パソコンが救援物資になる日
「知恵を絞り、手塩をかけて作り上げた街を突然の大地震が襲う。いたるところから火の手が上がり街はさながら空爆を受けたようになってしまった」これがレビュー記事ならば、それはシムシティの紹介だ。

テレビには神戸の街が燃え落ちていく様子がリアルタイムで映し出された。ヘリコプターからの映像は、編集なしの生の惨状を伝えていた。それは規模が大きすぎて、にわかに信じられない光景だった。湾岸戦争をまるで映画のように、ゲームのようにテレビで観戦したときと同じだった。

でも今度ばかりは、テレビの前の誰もがまるで自分に降りかかった災難のようにそれを受けとめたに違いない。一般には地震の心配が少ないと思われていた関西で起きた大地震。だから、「次はうちかもしれない」と日本中が震え上がってしまった。

とは言え、大島の大噴火、普賢岳の火砕流、奥尻島の津波が、どれくらい前のことだったかわからなくなってしまったように、阪神大震災についての特別報道は減り、ワイドショーも芸能人を追いかける日々に戻るだろう。だが、すべてを忘れ去る前にやっておくべきことがある。

コンピュータ業界では災害時のバックアップシステムは常識であって、依頼を受けてそれを専門に行なう企業もある。各企業内の情報システム関連の部署もバックアップについては日頃からやかましく指導されていることだろう。緊急時に備えるという意識は他の業界、業種よりも高いのではないだろうか。そして、今回の地震を機にデータバックアップを含めた緊急時の体制を改めて見直している企業も多いことだろう。しかしながら、想定よりも地震の規模が大きかったからそれに備えようというだけの見直しでは情けない。

「社員の安全など、自衛のための災害対策マニュアルはあったが、被災地の救援活動のマニュアルはなかった。今回、これが必要であることがわかった」

ある酒造メーカーの社長が新聞のコラムで書いていたことだ。コンピュータ業界の企業が取り組まなければならないことは、まさにこのことである。

コンピュータ業界からもさまざまな形で被災地への支援があったかと思うが、コンピュータ業界のノウハウや資産を最大限に活かせていたようには見えない。

なにより被災地の人々はコンピュータ業界の支援に期待を寄せていたふうでもない。コンピュータを知る人でも、「災害時にはコンピュータシステムはダウンして役立たずになる」そういう認識の方が一般的だろう。

コンピュータ業界の人はこの定着した認識を変える努力をしなければならない。パソコンを含めたコンピュータシステムが災害時にどう役立つ物なのか、そのために日頃からどのような準備を行なわなければならないのか、それを災害対策マニュアルとして確立しなければならない。また、その社会的責任もある。

今回、パソコンを扱えることが何かの役に立つのなら協力を惜しまないというパソコンユーザーが多くいたと思う。現場に行けなくても、通信を使えば何かの役に立てるのではないかと考えた人も多いだろう。こういった善意を汲み上げるのも業界の使命だろう。

電気や電話がそうなったように、パソコンが生活に不可欠な物になるというのなら、パソコンを使った救援が人々に期待され、パソコンを使えることが人を救うことにならなければならないはずだ。


ASCII MacPower 1995.4月号掲載
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