やり残し
ふと窓を見ると粉雪が舞っていた。いつもならエサをせがむ猫が丸くうずくまって毛糸玉のようにして動かない。猫の調子が悪そうに見えたのは、そういうことだったのかと思った。

その日の夕方、僕にはめずらしく出かける予定があった。行き先は六本木の交差点から少し歩いた所。FAXで送られてきた地図を片手に「さびーよー」と震えながら目的のビルに飛び込んだ。

そこは映画配給会社の試写室。ぼくは、話題の「トイ・ストーリー」を観るために2時間かけて出かけてきた。試写室は狭くて40人ぐらいで満席という広さ。召集された顔ぶれを見るとどっかで見たような、いわゆる有名人というか、そうそうたるメンバーといった感じ。きっと呼ぶ人を39人は思い付いたんだけど、40番目を考えつかなかったに違いない。でも、40番目にしろリストにぼくの名前があったことは事実で、そう思うと少しはいい気分がする。

でも、人とうまくやっていくのがどうも苦手なぼくは、部屋のあちこちで行われている名刺交換とかを見るにつけ、なんか場違いな、不釣り合いな気配に包まれてしまって、早く映画が始まらないかなとイスにじっとして黙って開演を待った。

「トイ・ストーリー」のことをここで改めて書くこともないのだろうけど、この映画の見所はなんと言っても全編CGだということだ。今や映画にとってCGやコンピュータ処理による特殊効果は常識だが、全編CGという本格的な劇場映画はこれが史上初。もちろん、全編CGだからいい映画ということはなく、それだけでヒットしているわけでもない。映画として本当に面白くて、笑ったし、ハラハラしたし、壮快感もあった。とは言っても、これが手書きアニメだったら魅力が半減するのは否定できないし、寒い夜にいい大人がアニメを観るためにわざわざ集まることもなかったろう。昨年の映画「アポロ13号」のように「どこにCGが使ってあったの?全然わかんなかったよお」ではなくて、「ひゃあ〜、最初から最後までCGだあ」ていうのが、この映画なのだ。

ぼくは、ストーリーとCGキャラクタのデザインや動きの面白さにすっかり引き込まれていた。しかし、スクリーンで展開されるアニメに笑いながらも、頭の片隅にはもうひとつ、いや3つのことが消えないでいた。1つは「トイ・ストーリー」の製作会社ピクサー社がスティーブ・ジョブズの持ち物だということ。2つ目は今見ている映像はサン・マイクロシステムズのワークステーション300台を使ってレンダリングされたということ。そして3つ目はApple社がそのサン・マイクロシステムズに買収されるかも知れないというニュースがあるということだ。

そもそも、スティーブ・ジョブズにとってサンという会社はくやしい会社である。ジョブズがNeXTで綱渡りをしていたとき、サンのマクニーリーはSPARCワークステーションをがんがん売っていた。何が成功で何が失敗かぼくにはわからないが、ビジネスとして成功したのは誰の目にもサンのマクニーリーである。

偶然にもその夜はスピンドラーが更迭された日で、Apple買収ストーリーも映画に負けず劣らずの展開を見せていた。ジョブズよりスカリーが、スカリーよりスピンドラー、そしてスピンドラーよりアメリオ氏が優れているかどうかは知らない(一企業の歴代社長人事をただのユーザーが知っているというのもなんという会社だろう)。そして、この原稿を書いている時点では、このストーリーがApple社が再建する逆転劇なのか、あるいは、がんばって高く売ることができましたという話になるのか、その結末も知らされていない。

ぼくは38歳になったところ。人生で言えばそろそろ午前11時。お昼まであと1時間しかないというのに、どれも中途半端で、めんどくさくて、手つかずで、放り投げたり、後回しにしたり、なんだか何もちゃんと終わっていない。

Appleもまだ昼飯前ってとこだろう。ぼくと違って午前中にやっつけた仕事はたくさんある。でも、もし、このまま早退しちゃったら誰が午後の仕事を引き継ぐというのだろう。仕事はたくさんしたけど、やり残しも多いでしょ。Apple社内、社外の天才たちのやり残しをどうしよう。そのまま机に放り出してしまうの?天才は一人でもちゃんとやっていくから天才かな?じゃあ、秀才はどうしよう。秀才も心配しなくていいかな。じゃあ、じゃあ、間違って招待されたぼくはどうしよう。またやり残しが増えちゃうじゃない。


ASCII MacPower 1996.4月号掲載
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