ベータ本
法則は変えられないということか。名古屋の某ショールームのために納品した投票&アンケートを行なうムービーは、ショールームオープンの3日前にバグが発覚。アンケートの最後に「また来る?もう来ない?」てな選択肢があって、これをクリックして選ぶとき、画面上では最後に選んだものにだけにチェックが付くようになっていたが、書き出されたログファイルを見ると迷ってクリックした選択肢が全部記録されているという。そんなハズはと思ってスクリプトをチェックすると、確かにぼくのミス。誰も見やしないのに、ちょっとでもステップ数を減らそうとイレギュラーなことをしたら、墓穴を掘ってしまった。

このバグの修正は難しくはなかったのだが、再度納品するためには、バグフィックス版のムービーファイルを持って現地ショールームまで出向かなければならないというやっかいな問題があった。

単にファイルを入れ換えるだけだから、パソコン通信で送るか、宅配便で送る方法があるでしょ。と思ったのだが、現地入りしているコーディネーターはMacについては詳しくない。オープンまで日にちもないことだし、あれこれやっているより、出かけてひょいひょいとやるほうが安心だ。というわけでちょうど今頃、M氏がひょいひょいとやっているはず。昨夜はわざわざご足労いただき、今日は新幹線で名古屋までお出かけ。申し訳ないことです。

不思議というか、恥ずかしいというか、どの初版本にも(と言ってもぼくの本のことですが)誤字、脱字、内容の誤りがあって、増刷のときに直そうと思って貼り付けた色とりどりの付箋が七夕飾りのように咲いている。どんなに念入りに校正をしたつもりでも、刷りたての初版本のページをめくると必ずそのページに間違いを見つけてしまうのだ。

FAXやメールでもこの法則は生きている。FAXで送ったとたんに、メールの送信が終了したその時に、ゲーム終了とばかりに隠れていた間違いがニヤニヤしながら顔を上げる。

この法則が地球を回しているわけはないが、いま世界中にバグ在中当たり前のベータ版ソフトがあふれている。そう、それはNetscape Navigatorに代表されるインターネット関係のソフト群だ。

アマチュアの作品はともかくとして、商用ソフトのベータバージョンは社外秘扱いが普通である。ベータバージョンを試せるのは、ぼくのようなテクニカルライターの役得であった。ところがインターネットの世界ではこれが違ってきた。「最新バージョンはこれです」と商用ソフトを公開してしまうのだ。

確かに今までにもベータ版ソフトがネットで公開されることはあった。しかしそれは、フィールドテストとかシーディング(Seeding:そのソフトを使って商品開発をしてもらうために、ソフト開発者などに一般より早くソフトを提供する)といった特殊な目的をもっていて、数カ月後には正規版のリリースが約束されていた。ところが、インターネットで使われているソフトは、いつ正規版が出るのかを知らされていない。ユーザーは、それがわからないままにバージョンの枝番更新に付き合っているのだ。

商用ソフトをネットで公開する理由。それはシェアの獲得。自社規格の世界標準化である。Netscapeはこの手法を見事に成功させた。しかも、日々バージョンアップを続けるベータ版を公開したことが思わぬ効果を生んでいる。もしこれが機能制限付きのいわゆるデモ版ではうまくいかなかっただろう。ものによってはデモバージョンと商品バージョンはまったくの別物ということがあるし、それになんだか知らないけどベータバージョンという言葉にはデモバージョンという言葉にはない魅力的な響きがある。デモ版のバージョンアップだなんて、誰がせっせと行なうだろうか。

ベータバージョンを公開する。これは使える手だ。しかもネットワーク上での公開だから、ユーザーが勝手に自分の電話代を使って更新手続きをやってくれる。ベータバージョンだからバグがあっても文句は来ないし、完成度が増してサイズが大きくなればダウンするのに時間が掛かって辛くなってくる。そうしたとこで完成品の商品版を販売すれば、そっちのほうがいいやということになるわけだ。

そうだ。ぼくも書籍の草稿をベータ版として公開しよう。そして、初校、再校というようにバージョンを上げて、もういいかげんネットで読むのは辛いよー。早く本にしてくれーってなったころに、書店で売ろう。すでに内容はわかっているのだから、買った時点ですでに使い慣れた本というわけだ。

うむ。これはいいぞ。ベータ版利用者の名前とかをサンプルデータに使ったりすれば、それだけでも特典付ってことになる。読者の感想とか質問とかを、その本に付けることだってできる。これは今までにない手法だ。雑誌には必ず読者の感想とかあるけど、それは2カ月ぐらい前の号に対する感想であって、手にしている本に対するものではない。

あ、でもそうやって初版本にした途端に校正ミスに気付くんだった。うーむ。どうしよう。

いっそ、ぼくの本はベータ本という呼び方をしようかな。


ASCII MacPower 1996.9月号掲載
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