コミュニケーションブレイクスルー
1985〜1987年の3年間、もう8、9年も以前のことになるが、僕はパソコンネットのシスオペをしていた。電子掲示板、データベース、チャットの機能をもっていたが、メンバーの多くがHC-20/40/80という英数カナしか表示できないハンドヘルドコンピュータ(A4サイズパソコン)のユーザだったため、漢字対応の会議室はあったものの、ほとんどがカナによるメールというネットワークだった。通信速度は300bpsでスタートし、その後1200bpsをサポートした。300bpsは音響カプラという受話器にカポッと取り付けるモデムを使っていた。こう書くとずいぶん稚拙なネットワークだと思う人もいるだろう。しかし、当時はNiftyはおろかASCIIネット、PC VANなどは1つも存在せず、いわば草分け的な存在だった。

その後、パソコン通信はブームとなり、通信機能付きワープロが売れ、ワープロ通信という言葉まで生まれた。利用者が増え、通信速度が上がり、サービスエリアが拡大し、商用データベースとのゲートウエイサービスも一般的になった。パソコンネットは確実に進歩しているように見えた。しかし、それはそう見えただけだった。ただ広がり、大きくなり、速度が上がっただけだ。現行の主たるパソコンネットはシステムとしては旧泰然としたままで、開局当時から少しも進歩していない。会員の増加やアップされるデータ量、その量の肥大化にシステムが追い付かず、動脈硬化を起こしている。

有線、無線で地球上のすべてのコンピュータがネットワークされる。テキスト、映像、音声のデジタルコミュニケーションが当り前のものとなる。それはもはや時間の問題だ。

新しいネットワークの到来?そうじゃない。ネットワークが接続されただけでは今までの繰り返しだ。いや、今よりひどい。1つの話題に世界中からレスポンスが山のように届く。そのレスポンスにまた返事がある。昨日の意見に異議があるかもしれない。しかも映像 メールや音声メールが混在している。テキストのように斜め読みや検索もできない。朝刊を読んでいるうちに夕刊が来たというレベルの話ではないのだ。

この問題が大きいことに早く気付くべきだ。デジタルネットワークをどう張り廻らすかにばかり気を取られていては、人類のコミュニケーションの進歩のチャンスを逃してしまう。双方向CATVなんてどうでもいいことなんだ。そんなことより、個人がネットワークされることをもう一度考える必要がある。今のやり方はすでにパンクしていて、これ以上の進歩は望めないことを強く知る必要がある。デジタルネットワークはそれをブレイクスルーする絶好のチャンスなのだ。そんな大事なことをFAXすら使えない株主やワープロも打てない代議士、会議だけの広告代理店にいいようにされるようでは、パソコンユーザーは全員責任ものだ。


ASCII MacPower 1994.6月号掲載
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