「お母さんはいますか?」
毎月取っている本を届けてくれる律儀なドライバーは昼前に電話で在宅の確認をしてからやって来る。そしていつもこう僕に尋ねる。

「お母さんはいますか?」

母は田舎に健在だが、我家にはいない。僕が代わりに受け取ると答えると納得して彼は電話を切る。そして少しして電話の主がトラックでやってくる。

彼とはもう何度か会っているのだが、それが料理の本であることも手伝って、彼は僕はこの家の息子で、本を取っているのは僕の母だと信じている。
彼だけではない。チャイムが鳴るので玄関に出るとこう聞かれる。

「お母さんはいますか?」

僕は相手を見て、話を聞くのが面倒な感じならば「ちょっと出かけてます」、一応用事だけでも聞いたほうがようさそうならば「代わりに伺っておきますけど」と対応している。
彼らが僕がこの家の主だと思わない理由は簡単である。平日の昼間に居るからだ。
散髪に行ってもそこのオバチャンは僕のことをフリーターだと思っている。

「今日はお休みですか?」
「ええ、まあ、僕はフリーで仕事をしているんで」
「フリーターね」

近所の人も不思議に思っているに違いない。毎日のように宅配便は来るし、車で出かけるかと思えばサーフボードを積んでいるし、昼間から庭で猫をじゃらしているし、いつもTシャツで、ようするにプラプラしている。
実は両親も今だに僕を納得していない。父は電話でよくこう言う。

「仕事はあるのか?」

この質問は困る。僕の仕事は半年ぐらい先まで決まっていれば見通しがあるほうだ。著書を送ると安心するようだが、それでもしばらくすると「次の本はいつか?」と聞いてくる。

人に職業を聞かれると僕は一瞬黙ってしまう。いつも、同じだけ考える。そして「本を書いています」「どんな?」「コンピュータについて」「頭がいいんですね」という力のないキャッチボールが待っている。

「テクニカルライター」と答えて、それで済むなら簡単なのだろう。ところがこの答えには2つの問題がある。1つは、僕は果たしてテクニカルライターなのだろうかという疑問。もう1つは、テクニカルライターって何?という疑問だ。

この2、3年の間にパソコン誌がどっと出た。雑誌が増えたからテクニカルライターも増えたのだろう。でも、テクニカルライターというのはもうかる商売じゃない。そしてこのことがもしかしたら自分のことをテクニカルライターとはあまり呼びたくない要因の1つかもしれない。

たとえるなら、テクニカルライターの実情はスーポーツの社会人リーグのようなものだ。プロのようであってプロじゃないライターが少なくない。職業の欄に「サッカー選手」と書いても認められなくて、「フジタ」ならば納得してくれる。日本にサッカーというスポーツはあったが、サッカー選手という職業はなかった。それと同じようにテクニカルライティングは存在するが、テクニカルライターという職業が成立していないのだ。

キリンカップでフランスに完敗して知ったように、プロ化されて間もない日本は弱い。社会人リーグはさらにヘタくそ。テクニカルライターはそういうレベルなのだ。そんなヘタくそリーグの選手だとは胸を張って公言できない。MacPowerの良心、川村渇真氏は自分のことをインフォメーションアナリストと呼んでいるし、掌田津耶乃氏はHyperTalkerと言いだす始末だ。どう呼ばれてもいいが、「テクニカルライター」だけは勘弁してくれ!というのだ。

はたして日本にプロテクニカルライターリーグのTリーグは誕生しないのか。次回は、 金にも女にも見捨てられたテクニカルライターの苦悩、そして商品レビューをめぐる疑惑に迫ってみたい。


ASCII MacPower 1994.8月号掲載
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