ラジオで、ロシアの軍事の専門家のお話が面白かったので本を読んでみました。著者は自称ロシア軍事のオタク。かつての軍事大国ロシアが、今やってる小技の戦略に興味があったのと、なぜアメリカ大統領選に介入してきたのか?ロシアにとって一体何の得があったのか?知りたかったので。
著者は、従来の重火器を使った地上部隊による大がかりな戦争に対する、ハイブリッド戦争(情報操作、テロ活動、遠隔操作による攻撃など)が出現してくるが、それはあくまでも脇役であると釘を刺しています。
西欧諸国にとっては理解できないロシアの様々な工作、国内政治への介入は、なぜ起こるのか?ソ連時代に比べて失われたとはいえ、ロシアが自国の勢力圏と認識する地域が、NATOなどの西欧軍事圏に飲み込まれていくのを、ロシア政府に対する侵害ととらえ、それを抑止(戦略的に防ぐ)しようとするからと著者は述べています。旧ソ連の領土下の国が民主化するのを、ロシアは攻撃されたとみなし対抗策を打って出てくると。ロシア政府の見解では、民衆という者は自ら考え動く者では無い、必ずどこかの誰か(敵の回し者)に操られている、のでその敵を押さえ込まなければならないという図式だそう。
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今回のオリンピック中、ベラルーシの選手が羽田空港で亡命を希望、ポーランドが受け入れるという事件がありました。ああこれまさにヤバイケースということになるのでは?と思っていたら、ベラルーシからウクライナへの亡命を助ける団体のメンバーが死体となって発見されるというニュースが。これはまさに ベラルーシ(ロシア)からのわかりやすい、わかりやすすぎるメッセージでは?オリンピック中、NHKBS1のワールドニュースはお休み。替わりにTVKのBBCワールドニュースを見ていますが、この件をずっとやっていました。
]]>AppleTVで試聴できる、「モスキートコースト」(本人又は家族がiPhoneなどApple製品を購入した場合、期限付で無料試聴できます)これまさに違法にメキシコ国境を家族で越える話。ただしアメリカからメキシコへ。民兵や危険なルートの風景が出てきて「これか」とつぶやく。コヨーテに連れられて移動する移民たちとすれ違うシーンがある。シーズン1は終了。これからどうなるのだろう?ダリエンギャップまで行ったりして!(そこに生息する蝶を見たい。。。無いよね)
町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNNによると、エクアドル、ホンジュラス、エルサルバドルから移民が絶えないのは、国内産業が破綻しているから。その原因はアメリカ企業による大規模農業にある(バナナとかコーヒーとか)のでアメリカにも責任がある。アメリカ民主党は、壁を築く代わりに産業を立て直すべく援助する方針らしい。これは中村哲先生がアフガニスタンでやっていたこと方針は似ている(本当にできるのか?わからないけれど。先生の哲学が地域や時代を超えて受け継がれることがあったらいいなあ)。
にしても、「エクソダス」は読んで半年以上経つが、まだわたしの心の中に居続けている。この本はドキュメンタリーなのだけど、波瀾万丈のドラマを見ているようだった。記者が自分で現地に行き取材した一次情報によって構成されている。この取材はすごいと思う。
]]>「すごい進化」の 鈴木 紀之 さんのポッドキャストを聞いていて、面白かったのでこの本も読んでみようと思いました。岩波ジュニア文庫で、中高校生向けに書かれているので、生物に詳しくなくてもわかりやすく読み物として楽しいです。10人の研究者による、研究者としての道を選んだ経緯、研究上の悲喜こもごもなど。研究内容もドラマチック。
桐谷圭治 博士の、研究結果の社会との関わりを読むと、また「宗教国家アメリカのふしぎな論理」の最後の章にあった「正統とはなにか」が思い出される。博士は農薬が害虫の駆除に効果が無いことを研究により検証、当時(1968年頃)国の農業政策に反して、母乳に影響が出ていることを婦人雑誌にすっぱ抜いた。そのせいで上層部の怒りを買い十数年間キャリアがストップ。でもおかげで生産してしまった大量の農薬は土中に埋設された。2008年時点でまだ数千トンもあるらしい(それはどこでどのように管理されているのか?大雨で流出しないのか?)。桐谷博士について調べていたら、過去に博士の本を読んでいたことがわかった。
昆虫と気象 - r2
あの本か!あれは桐谷博士が書いていたのか(わたしにとっては衝撃的な内容だったが、著者名を忘れていた)。
「エクソダス」を読んだ後、今ならアメリカの宗教観がわかるかもと読んでみましたが。。。1章1章はわかる、しかし読み終わって全体にどうだったかと考えると、やっぱりよくわからんなあという感じ。
この本は文体が口語でわかりやすい印象だなあと思ったら、表紙に「シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ」とあって、講演会の内容を書き起こしたようなものらしい。最後の章の「『正統』とは何か」は、まさに大会社を経営する人への語りかけになっている。
共産主義には正統争いがあるが(ロシアと中国)、全体主義には正統争いはない(日本とドイツ)。
著者は「正統」を底辺の広いテニス同好会に例える。「異端」はその中からで出てきた精鋭メンバーによる部会。正統に迫る異端がいてこそ、正統も普遍的な理念や目的を提示することができる。今の日本の異端は「片隅異端」SNSで個人としてつぶやいているだけ。正統に取って代わる覚悟のある気骨ある異端の挑戦を受けなければ、正統も育たず、官僚的な手続き・前例・系譜に依存してしまう。
別に経営者では無くても、眼前の利益にかかわらず「誰にとっても正しい」ことを忘れないようにする、というのは大事だなとあらためて思った。きれいごとと言われようが、お花畑と言われようが。職業、宗教、人種や言葉が違っても、お金持ちでも貧乏でも、年を取って地位や名誉を失い体力や美貌が衰えても。最後に残るのは何か?そこに老年期に世の中のためにできることのヒントがあるのかも。
この本の中で、モイセス・ライムの「権力の終焉」が紹介される。これも読んでみようと図書館で借りてきて、しばらく表紙をながめていたが「だよね。」とつぶやいて終了。もう読まなくてもいい気がした。
]]>アメリカ大統領選挙中に、ラジオで聞いた話に興味を持ち、話をしていたゲストの著書を読んでみました。
著者は元新聞記者。この本で扱っているのは、アメリカ、メキシコ国境を越える移民について。違法移民対策の壁とは何なのか?それを越えてくる人たちとはどんな人たちなのか?実際に現地に行って、移民のルートを著者も辿り、関係者に直接取材したドキュメンタリー。その旅路はアメリカ〜メキシコ〜グアテマラ〜エルサルバドル〜ホンジュラス、パナマ〜コロンビア。
・アメリカ側の壁の周辺で、壁ができることに賛成している人はいなかった。国境が開かれ自由に往来できた方が、経済的に潤い、マフィアの裏家業が減って安全になる。壁を望む人々は、壁から遠く離れたラストベルト地帯にいる(著者はそこにも取材に行った)。産業構造の変化による経済的な不満や不安を、移民のせいと短絡的にとらえ、壁が解決してくれると思わされている。
・アメリカ国境を越えようとやってくる移民はメキシコ人だけではない。中南米各国、シリア、カメルーン(英語圏)、インドなどからも。その陸路の出発地点はエクアドル、チリ、コロンビアなど。厳しい地形や気候、マフィアによる危険な場所を通過する。道中あちこちで白骨死体を見る。それでもアメリカに逃れてくるのは、故国でもマフィアや反政府組織、自国の政府組織により殺される危険があるから。故国から逃げても逃げなくても生きるか死ぬか。
・マラスというギャング組織がある。若い男の子がメンバーにスカウトされて断ると殺されるので、その夜のうちに家族で国外に逃げ出すパターン。マラスの組織メンバーは普通の村人の中にもいて誰がそのメンバーかわからない。マラスに目を付けられると、家族構成や日常生活のパターンすべて調べられ、逃れることはできない。
・マラスは最初ロスアンジェルスで、他国の移民に対抗するため、移民により結成された。米政府により強制送還されたメンバーが故国でもその組織を継続維持したのが始まり。マラスの資金源の一つが誘拐。アメリカに移住した家族に連絡し身代金を払わせる。家族がいなかったり、支払いを拒否した場合は殺害。
・一家の稼ぎ手がアメリカに移住してしまって「親世代」が空洞になっている家庭の子に、マラスが近づく。経済的な困窮を解決するために、家族や地域社会が機能しなくなり、マラスが入ってくる。貧しくとも子供のそばに親が居てやることが重要だが、難しい。
・内戦により傷ついた心をケアする「生活改善」というプログラムがJICAの提供である(現地の人を日本で指導員として養成したもの)。「生活改善」の原型は敗戦後にJHQにより提供された。特に沖縄で効果を発揮。「生改さん」と呼ばれた人たちが地域で活躍した。炭酸飲料を飲まない、規則正しく生活する、家事をきちんとやる、などの基本的なプログラム。地域の女性7、8人で集まって、互いの話を聞いたりなど。
・エルサルバドルの刑務所に、マラスを収監した際、対抗している2大組織を別々の棟に収監したのが発端で、マラスの組織が所内を支配するようになるー>所内から殺人などの指令が出されるようにるー>看守も手を出せなくなり刑務所がマラスの要塞化した。結局、当局が刑務所の壁に穴を開け、受刑者を捕獲して離れた刑務所に収監しなおした、という事件があった。
・大金で移動を手引きするコヨーテという職種の存在がある。移民のルートはマフィアによる密輸のルートと重なる。移民の大量死が報じられ、ルートがメジャーなニュースに出たことを怒ったマフィアが報復としてコヨーテを何人も制裁(殺人)した事件があった。
・移民の移動ルート上には点々と、カトリック教会や福音派教会による保護施設がある。旧約聖書の出エジプト記(エクソダス)や、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼路になぞらえて、信徒を救済するため。迫害された民の逃避行を助けるという逸話はキリスト教的。(いつだったか、飲み潰れた知らない女性を家に泊めたとカトリックのシスターの大叔母に笑い話として話すと、聖書的だわと喜んでいたが、わたしは???だったのを思い出す)
・オバマの時代にパナマとの国交が正常化された。それは喜ばしいことではあるが、難民認定がされにくくなったため、違法にエクアドル〜〜メキシコ経由でパナマ難民が入ってくるようになった。
・コロンビアでかつて非常に危険とされた町メデジンが、今では安全に生まれ変わっている。貧困層の救済に集中して資金を投入したため。その投資先の一つが、町の中心と貧困地区を結ぶロープウェイの増設。貧困地区の人たちが仕事や学校に行けるようになった。
・移民ルートで最も厳しく危険とされる、コロンビア〜パナマ間の、ダリエンギャップという地域の麓を、天候の悪化により著者がやむなく馬で通過した際、ガイドから「蝶の採集に来る生物学者をよく案内する」ときかされた。ガイドは著者を「生物学者だ」と出会う人ごとに説明しながら進んだ。よそ者を厳しく監視しているマフィアも生物学者はフリーパス。
(人気テレビ番組、クレイジージャーニーでとりあげてもらいたいコンテンツだが、番組は終了してしまった。その原因はやらせと言うことだったが、視聴者として、ちょっとやそっとのやらせは構わない。番組で大事なのは、そんな小さな事じゃないので。)
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アメリカにおける移民の問題は、実はテレビドラマでよく見ていた風景。ロスやマイアミが舞台のサスペンスものには必ず出てくる。ドラマ「スタートアップ」(2016)を思い出す。AmazonPrimeVideo・Facebook・SuperDramaTVでは、主人公3人のうち、一人がハイチ人で移民、もう一人もキューバ人で移民出身。
思えば、わたしも生まれ故郷から関東に移民してきた。若い頃は、シリコンバレーに住みたいと思った時期もあった(実現しなかったが)。日本語が通じる場所は怖くなかったが、日本語圏の外は怖かったのね。
あれから月日が経ち、政情も経済状態もかなり変わった。そして今は、自分たちが生きている間に起こるとは思わなかったパンデミックという事態により、移動が制限されている。しばらくは、経済と移動の制限の問題について、いろいろ思うことがあるのだろうなあ。関係ないけど、コーヒーが切れて、次何買うか?と思っていたところ、なんとなくイオンのフェアトレードコーヒー、グアテマラブレンドと、コロンビアブレンドを買ってしまった。
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大統領選の最中に聞いた番組で、アメリカの社会を知ることにもなったおもしろい話題としては以下の物もあった。
アメリカ在住、町山智宏さんの解説
何故トランプは今回選挙資金を集められなかったのか?
「ええ!そんな理由かい。。。絶句」という内容。足の力が抜けたよ。
https://www.pscp.tv/w/csfuzTFvTlFsT3dhQkd2RXd8MU95SkFnakV6Tm9LYsEtvhuyOTjFvwi9bTjfKpkvwj2FOusetaCyQofVyF9M
spotifyで聞いているポッドキャスト「朝日新聞ニュースの現場から」より
ラストベルトに住んでみて取材した記者による、現地の声。
#92 壁があるなら壊そうぜ トランプ支持者との向き合い方を考えた
朝日新聞 ニュースの現場から
https://open.spotify.com/episode/14gA49BPmDUEMXiB6kuySJ?si=tFCVmsG_SXWm0dVSmQdRxQ
#91 トランプ氏の支持者たちは今、何を思うのか ラストベルトで聞いた
朝日新聞 ニュースの現場から
https://open.spotify.com/episode/5xoSis1e5QNuswlUzjsTkP?si=GGoyvN8WQjOVBxPfHV6_0Q
一つのマユから20匹。。。何か出てくるなら1匹だとおもっていたのに。マユをカッターで切ってみると、外側の白い糸とは少し色が違う糸によって、細長いマユが同じ方向にそろって積み重なるようになっている。ハチの幼虫が集まって規則正しく整列し集団で繭を作りサナギになったのだろうか?どうやって?
岸一弘先生に写真をお送りして見てもらって、ハチはコマユバチの仲間ということがわかった。ネットで検索すると、大変恐ろしいことが書いてある。コマユバチの仲間のメスは、ガの幼虫(アオムシ)に卵を産み付け、孵化した幼虫はアオムシの体内で生き続ける。成長すると宿主の表面から一斉に出て繭を作ると。バッタや甲虫類に寄生するボーベリア菌も恐ろしいが、このコマユバチの仲間の寄生はそれを上回る。
普通、体内に入った異物は免疫により退治される、または異物が強力な場合、寄生された宿主は死亡する。しかしコマユバチとアオムシはどちらも死なずに生き続ける(コマユバチが出るまでは)。コマユバチの幼虫たちが出て体表が穴だらけになっても、アオムシは死なずに生き続けるのは何故か?コマユバチがサナギになる前に、アオムシがサナギになってしまったら?
「寄生から共生へ―昨日の敵は今日の友」共著者の一人、早川洋一さんの研究。「寄生バチをめぐる三角関係」でも概要を読んだとおり、ハチの幼虫が宿主であるアオムシの体内で生きていられる秘密は、ポリドナウイルスというウイルスの介在があるらしいのだが、そのしくみを分子レベルで調べていくドキュメンタリー。
ポリドナウイルスは、ハチの種類ごとに違う種類が存在し(1995年当時)40種類ほどが報告されている。ポリドナウイルスの遺伝子は、寄生バチのゲノムDNAに組み込まれていて、ハチの子孫へは垂直伝播する。オスメス両方の寄生バチの体の細胞内に存在するが、増殖できるのはメスの卵巣でのみ。ウイルス粒子は卵巣内側輸卵管でのみ見られる。寄生の際には、卵や毒液と一緒にアオムシに注入される〜そしてゲノムDNAのみアオムシの細胞に感染する。ウイルス遺伝子についていえば、常に寄生バチからアオムシへの一方通行。(コロナウイルスのしくみをテレビで見ていたので、エンベロープとかの言葉にもついていけた!)
から話がさらに専門的になって、知識としては字を読めても、心から理解することができず、受験勉強ぷくなってきたので、早送りでページをスキャン。
終わり近くに、衝撃的な記述が。現在は寄生バチのゲノム内に一体化してしまったポリドナウイルスが、そのゲノム内にアワヨトウガ(宿主のアオムシ)の遺伝子を持っているということは、このウイルスが過去にアワヨトウガと遺伝子のやりとりがあったことを意味する。。。ガとハチという異なる種類の昆虫の間で遺伝子のやりとりが!
ポリドナウイルスがどのように進化してきたのか?知りたい!!(誰か調べて)
さて、この本は1995年刊行なのです。分子生物学の分野の研究はすごい速さで進んでいると思います。今はどうなってるの?とっくにいろいろわかっているの?
「生物多様性」ってなぜ必要なのか?今までよくわからなかった。珍しい種が絶滅してしまったら、コレクターとか詩人とかが寂しいからなのか?今回、現実に世界的なパンデミックという事態に遭遇し、ウイルスの影響が日々報道されるのを見つつの、一見関係なさそうな寄生バチの生態の研究を読んでいると、ん?これ今まさに世界中の研究者が血眼になってやってることと似てない?と感じることがあった。どんな生物もいつ人類にとって役に立つかわからない、貴重なサンプルを保全しておくの大事。標本じゃ無くて、生きている状態で環境ごと。と思った。
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]]>Max Richterのfacebookより
KITCHEN PLAYLIST / https://spoti.fi/2wHqr86
Since we are all spending a lot more time in the kitchen these days, I'm starting up The Kitchen Playlist again; 3 tracks every Friday of what's on rotation at our place.This week a Persian king sings one of the most beautiful love songs ever written (to a tree), the sprit of King Tubby visits Texas, and Bach transfigured for viols. Stay home and stay safe everyone!
GoGo Penguinのfaceboolより
Hey everyone, hope you're ok. Just in case you missed it... we've put together a Spotify playlist with tunes picked by each of us and we wanted to share it with you to help keep your spirits up! We'll add to it each week. Love GGP x
Listen here: https://spoti.fi/2JmLNu9
コロナウィルスによる社会情勢により、叔母3(これまでこのblogに登場していない夫の叔母)が入居している介護施設が面会謝絶、物品の持ち込みもできるだけ制限ということになった。最初は叔母3のことが心配だったが、電話で話すと結構気持ちが安定しているよう。「つらいのは私だけじゃない」「私より恵まれない人もいる」「みんな同じように我慢している」という聞いたことのない言葉が出て驚く。いつもは「周りの年寄りはみんな嫉妬深い」など反対のことを延々と言っているのに。家族からの接触が一様に制限されて、施設入居者間の「親族からの愛され格差」が無くなったためだろうか?にしても叔母3が1年前と同様独り暮らしだったらと思うとぞっとする。今は介護施設のスタッフに守られているので安心。叔母3もそう思ってくれているといいけれど。叔母3に会えなくなったことは、私たちにとってかえって心の平安をもたらした。何もできることはない、全てを神(施設のスタッフ)にお任せするほかないのだという。
わがやは元々二人とも家で仕事をしているし、駅から遠く車も持っていないので、買い物は生協の個人宅配中心。花粉症なのでマスクの在庫は普段からある。ということで特に生活には変化無し。だが、あれに出かけねば、これに顔を出さねばということが無くなり、心が平安に。この平安な時間をCOVIT-19がくれた時間として普段はできないことに使わなければという気がして、確定申告の期限が延びたのもあり、申告書作成のやり直し。65万の控除を受けられるコースで申告(間違いが無ければいいけど)。クラウドの会計ソフトで簡単にできると言われていたけど、今まで「同意する」ボタンを押すのが怖くてできなかった。やればできたのに!(と今は言える)
故郷に高齢の親がいて、春休みに帰省を考えていた友人たちは、感染から親を守るため帰らない決断をした。わたしもその一人。心配だけど帰れない。実家にインターネット環境があってよかった。Facetimeで顔を見ながら話せるし、ここ数年、1年に一度まとまった時間を一緒に過ごして、IT奴隷としてネットの使い方の特訓をさせてもらった苦労が報われた。老人ホームにはWi-Fiが無いところが大半だと思うけど、わたしたちが施設のお世話になる頃(自分はならないかもしれないが)は、Wi-Fi、ケーブルテレビが施設を選ぶ主要な条件になっているだろうか?
]]>「クモのはなしⅠ」「クモのはなしⅡ」という1989年の本を「時間がある時に読んで」と師匠から預かって3ヶ月、読む時間が無く机の上にある表紙を毎日眺めていた。この本を読んだら読みたくなるだろうと「クモの奇妙な世界」を図書館で予約していたら(人気の新刊で順番待ちだった)、とうとう「クモの奇妙な世界」が手元にやってきた。これは2週間で読まなければならない。
いろいろなクモの変わった生態が紹介されている。イソウロウグモの章とトリノフンダマシの章、それらの変わった生態は野外で鳥のカウントの合間に教えてもらっていたので、ふむふむと流し読み。その章の末尾に、最近DNAの解析ができるようになって、進化の系統樹があきらかになった。近縁の種で変わった採餌方法を持つ種類が、「普通ならこの順番で進化してきたのだろう」と思っていたら、DNAの解析結果はまるで違っていた。という部分があり、興味深かった。普通ならこの順番で。。。というのは、ヒトの思考の特性を表しているなあと思って。もしクモが「ヒトの奇妙な世界」という本を書いたら、何を最初に書くだろう。
「クモの奇妙な世界」の中に、当然という感じで「『クモのはなし』という本にも書かれていますが」という記述が数カ所あり、それは今わたしの机の上にある2冊の本では!ああ、早く読まなくちゃと思ったのでした。
]]>著者は沖縄で「不妊虫放飼法」という作戦で、農作物の害虫ウリミバエを根絶させる仕事に携わっていた人(1993年にミッションは完遂)。
生物の(この本では昆虫の例)オスもメスも自分の遺伝子を残すために、特にオスはいろいろと姑息な手段を使っている、時には遺伝子を残すために協力関係にあるべきメスを敵に回してまでも、その例が次々紹介される。
しかしこのオスvsメスの戦いというか、出し抜いたり出し抜かれたりというか、虫の世界はすげえな、とも思えるし、面白いなとも思えるし、虫の世界も世知辛いのう、とも。
「哲学のなぐさめ」に書かれていた、哲学者ショーペンハウエルの言葉「よりよい遺伝子を残すことと、よりよい生活を送ることは(パートナーと楽しく暮らす)、相反する(場合が多い)」生物のほんの一部であるヒトを観察することによって、生物一般に共通するこの問題を喝破していたショーペンハウエル先生はすごいなあと、今改めて思う。
各章ごとに、その章のポイントが箇条書きである。読んだはしから忘れていく私には、読後直後の強制的なおさらいは、なかなか助かった。(受験勉強か?)
]]>若桑みどりにしては珍しくエッセイ集。女性画家列伝 - r2を出版した後の反響について書かれた一文がある。
まさかと思ったが、このほんのタイトルは、ビートルズのあの「Let It Be」のことだった。
"夜の空に雲がたれこめても、わたしの上に射す一筋の光はある。その光は朝まで続き、消えはしない。わたしは音楽によって目覚め、聖母マリアがわたしのそばでささやくのを聞く。すべてをあるがままにあらせなさい。きっといい日がくる。" p218
どうしようもない状況を暴力的に変えようというのではない、さりとて、それに従えととか、満足せよというのでもない。そういう状況の中でも、やけを起こさず、希望を捨てないといういうのである。 p219小学生の頃からそらんじていたこの歌詞。中学で卒業したと思っていたビートルズ。若桑さんのテキストを読み、久しぶりに聴いて涙が。。。子どもの頃は知っているようで、本当の意味がわかっていなかった。
]]>福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一 - r2 を読んで、この本を読もうと思った。
学生時代に美学美術史の先生に言われたことを思い出す。
「哲学(美学)とは、楽しみであって、それで世界を変えるための手段では無いんだよ」
先生は、わたしが世界に対する怒りをもって哲学(美学)に接していると感じられたのかもしれない。
ーーーーー
三木清だけが二十世紀の戦争の現場を経験した。当時の首相東条英機も陸海軍首脳の多くも日米戦争の現場経験が無かった。戦争の現実を体験した人が指導層にほとんどいなかった。政治指導者も軍人も知識人も二十世紀型の戦争の難しさと恐ろしさを十分に想像できなかったのではないか。哲学者だけではどうにもならなかった。言論の自由がないのが致命的で、各分野の専門家・実務家と一緒に議論して日本の未来を構想していくことができなかった。そのような状況では沈黙していることが政治的には賢明だが、京都学派の人たちは一縷の望みを抱いてどうにかしようと飛び込んでいった。(植村)
世界を語る言葉が求められた時代に、言葉を政治利用に差し出すか、自重して普遍的な物として留めておくか、その判断が個々の哲学者に試された時代だった。西田本人は持ちこたえたが、弟子たちの中には積極的に言葉を時局の中で踊らせてしまった、あるいは巻き込まれてしまった人たちがいた。言葉を信じ、言葉を操るものとしての哲学者のスタンスが厳しく試された時代だったと感じる(福岡隆)
西田哲学は時代の激流に飲み込まれてしまった面があると思うが、「日本文化の問題」を読んで大事なことに気がついた。それは類希なる生命論がそこで語られているということ。西田は「全体」と「部分」についてその二つは同時的なものだと言っている。「全体」と「部分」が呼応しているというのは、現在の生命科学が直面している重要な問題。西田は、一つ一つの部品は全体でもあり、全体は一つ一つの部品でもあり、生命はある種の関係性のなかでとらえなければならないと言っている。これは非常に古くて新しい生命観。生命というのは「合成」と「分解」という一見矛盾することが同時に起こっている。西田の言う「矛盾的自己同一」がそこで起きている。こうした生命のあり方を「動的均衡」と呼ぶ。このビジョンがすでに「日本文化の問題」に書かれている。関係性や同時性、「全体」と「部分」の不断の連続性によって生命が成り立っていると。(福岡隆)
哲学とは何か。私たちには固定したものの見方がある。そのフレームに対して批判的であり得る「知」だと考える。従来の枠組みを越えて出ていく自由を持った学問。越えて出ていくためには、自分がフレームを持っていることに気づかなければならない。そのために大事なのは異なった考え方をする人との対話。東アジアに限らずアメリカ、ヨーロッパ、イスラム圏など様々な考え方の人たちが対話する場が出来上がってくればそれぞれが自分のフレームの限界に気づくと思う。そこから新しい哲学が生み出されていくのではないか。(藤田)
決められたこと、決まったように見えること、それは全てではない。もっと別なことがある、その外があるというセンス。それが非常に大切。(上田閑照)
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哲学の門から入るとよく理解できないことも、生物学の門から近づくと、それは結局こういうことなのかと理解しやすいことってあるのね。応用編(部分)を理解できて、初めて概論(全体)が理解できるという手順。哲学者がたどった道を一緒に歩いて到達点に着けるというか。
日々悩まされる些末な問題を背負って耐えながら生き、他人とそれについて話して共通することに気づき、ふーんこの荷物はそういうものなのだと問題が自分だけのものではなくなり気にならなくなった時、それを壊す言葉や出来事が現れ、自分たちが絶対と思っていた理は本当にそうなのだろうかと疑問が起きる。そのとき!未知の価値観に対応できる力があるか?その力を鍛える筋トレが哲学という学問なのかな。
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私は、911の報復でアフガン空爆〜イラク戦争が行われたとき、哲学や宗教に激しく落胆してしまった。全世界の良識ある人々(特に宗教界、学界)は報復行為が間違いであり無意味な殺戮がゆるされるわけがないと分かっていたと思う、なのにあのような行為が実行されるに至ってしまったとは。異文化を紹介することを生業とするナショナルジオグラフィックス社が黙っているのにも腹が立った。
悲劇が起きて、被害に会った当事者・当事国の悲しみ怒りの最中に、報復という手っ取り早い解決が採用されようとしているとき、それを諫める上から目線の情報を降らせるのは、多くの人にとって時期的に受け入れられないときもあるかもしれない。哲学・学問が人間にできることって何なんだろうか?
福島の原発事故が起こったとき、不遇に耐えて原発の危うさを啓蒙し続けた学者たちが再評価され、逆に政府寄りの見解の裏付けを提供していた学者は御用学者と罵られたが、あれから数年のうちに節電という言葉もきかれなくなり、事故のことも、あのとき怒りとともに語られたことも、すでに忘れられつつある印象がある。
戦前、戦時中に起こったことは、他人による愚かな行為、自分とは無縁の遠い出来事とは言い切れない。その後も学問が試される出来事は続いている。やっかいなことに、やって失敗してみなければ(部分)、本質(全体)にたどりつけない。悲劇を回避するにも、あらかじめ血を流さなければならない。またかたくなに真理(全体)だと思っていたことが、(部分)でしかなかったということもある。
ーーーーー
学問・哲学が、希望やみちしるべになり政治的に人々を導くという面もあると思うが、逆に、具体的に何の役にも立たずただあるだけという面もあると思う。むしろその方が多い。しかしそういうものの中に、過酷な人生のなぐさめがあると思う。「はー自分が悩んでいることは、そういうものか、みんなそうなのか」という。
わたしが今一番、宗教界、学界に頑張って欲しいと思うのは、老年期のあるいは人生の終末に関すること。日本の歴史上いや世界でも、名を残す人は大体早死だった。長生きした人も、今ほど高齢でなかったと思うし高齢者の人数も多くなかった。キリストも若死だったので老人の心はわからないままだったと思う。どうか名だたる宗教者・学者は長生きして、老年期にこそ頑張って、それも若い頃からの研究を続けるのはすっぱりあきらめて、老年期の心の研究をして世に発表してほしい。私の大叔母(シスターT)は宗教者としてキャリアのある人だったが、老年期の心の問題は当事者としては初めて対面することのようで大変だったようだ。若い頃の時間を支えてくれた宗教(価値の体系)が、ずっと老年期まで支えてくれるのか?「学問すること」がその人を支えていた場合、それができなくなった時、何が残るのか?
*このblogに出てくる私の大叔母は二人いて、どちらもカトリック信者でまぎらわしいので、イニシャルを付けました
]]>SNSで、ワクチンが危険という記事や、著書の紹介や、映画上映のお知らせなどが、タイムラインにあらわれる。投稿する人は善意で、しかし何も考えずに情報をシェアしている。元の情報をシェアした人が、自分が信頼できる人だから、同業者だからという理由で。
ワクチンが有害なのか、無害なのかは、科学的に検証すればすぐわかる。でも、だからといって人々がその事実を受け入れるかどうかは別だと言うことが、この本には書かれている。日本における事情を書いた本では、レビューを読むとほぼ高評価だが、少ないながら徹底的な(長文の)低評価が頑なにある。一方海外での歴史上の経過を書いた本では100%高評価だ。
ワクチンに疑惑を感じる理由として
・自閉症や、思春期の少女の神経症が、多数存在するとそれまで世間で知られていなかったため、急に増えたと感じる。
・ワクチンが高価すぎる。製薬会社・行政・医師が結託しているのではないかという陰謀論に陥りやすい。
・過去に、実際にワクチンの薬害があった。
などがあるという。
家族でも、読後の感想が「なぜ関西弁で書かれているのか?」に集中してしまうのは、なぜなんだろう
]]>【立ち読み用公開】「自然」という幻想 ――多自然ガーデニングによる新しい自然保護(エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳) - 草思社のblog
翻訳者がラジオに出演し、「手つかずの自然」とは、アメリカ発祥のカルト思想、と断言しているのを聞いて、読んでみました。
外来種×、在来種○、みたいなのをよく聞くけど、フィールドに出ていると、なにもかもそうとは言えないんじゃ?と思う場面がある。耕作放棄地に茂るアレチウリが、何もかもを飲み込んで低木をも覆ってしまっているのを見ると、嫌な気持ちになるが、冬になって里に下りてきたミヤマホオジロがそのタネをついばんでいるのを見ると、アレチウリがあってよかった!と思ってしまう。晩秋の花が少ないときに、コセンダングサやセイタカアワダチソウの花は、蝶たちにとって貴重な蜜源になっているし。
里山って、大陸からイネが渡ってきて、ヒトによって変えられた人口の自然ですよね。日本のそれ以前の自然からかなり変えられたはず。田んぼも残したいけれど、米の需要がないのに里山風景だけ維持するのは無理な気がする。
この本で著者は、現代人が思うところの「古き良き自然」に何が何でも戻すべきという考えが、ナンセンスだと論じていますが、だからといって何もしなくていい、というのとも違います。必ずしも過去の自然に戻す必要はないが、生物多様性は管理して守るべきと言っています。
(訳者は例として、池の水を抜くテレビ番組を挙げていますが、あれを見て楽しいのは外来種が駆除されるからでは無くて、ふだんよく見えない池の中に実はこんなのがいた!という単純な驚きだと思います。あまり心配しなくてもいいと思いますけど。。。)
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