5 11, 2008

クアトロ・ラガッツイ 中間報告3

少年使節がヨーロッパに行っている間に、キリシタンを保護した信長は暗殺され、秀吉の天下となった。

信長は、当時としては非常に珍しい、近代的な合理主義者だったと著者は分析しています。がゆえに暗殺されてしまった。明智光秀のバックにいたのは誰だったかについても書かれています。信長暗殺のいきさつを読み、その夜フリーチベットの集会の中継の再放送をオーマイニュースで見、うーむ日本は呪術によって保護支配されている島国だなあと感じました。

日本に最初に布教に来たカトリック宣教師たちが属するイエズス会は、司馬遼太郎の「南蛮の道」を読むとよくわかるが、スペインバスク地方出身の元城主、元騎士団の隊長などで結成されたエリート集団だった。

もともと支配階級の軍人たちだったので、日本で布教をするにあたっても、まず領主に会い許可をもらってできればその人物を改宗させ、そうすれば領民も自然と改宗者が増えるだろうという、垂直型伝播方式をとった。それに対して、その後に来たフランシスコ会は、まず社会の底辺の人から布教を始める、水平型伝播方式だった。

イエズス会がトップダウン方式だったのは、元々自分たちがエリートだったからで、人は知らず知らずのうちに、振る舞いや判断において、生まれ育った環境の影響を受けるものだと著者は語っています。

そういう彼らだったので、日本の諸国の武将たちは、宣教師たちを外国人であっても自分と同じ職種・階級の者だと感じ軽んずる事はしなかった。宣教師は当時の日本の権力者にやすやすと近づく事ができ、日本社会の序列の外に居たので対等な立場で、倫理や宗教という深いテーマについて話をし、彼らの世界観を知る事が出来た。

それらは逐一ローマへ報告され、当時の文書は今も残っていて、現代イタリア語で読めるそうです。その筆致は、冷静で客観的で、キリスト者というよりはジャーナリストに近いと著者は言います。


さて、信長が死んでしまったので、国内で安全に布教をできるという許可が無効になってしまった。それで宣教師たちは、秀吉に面会して許可をもらう。秀吉は、信長のアジア戦略構想をそのまま引き継いだ。しかし、信長に比べていくらかは信心というものを持っている、普通のタイプの人間だった。

宣教師のうち、コエリョとフロイスという2人は、秀吉が九州を平定するのに苦慮していると知ると、協力できる事を示して取り入ろうとして、大友、有馬などキリシタン大名を動かしましょうと請け合う。それどころか、朝鮮半島に討って出るときは、ポルトガル船を用意しましょうとまで言う。

それを聞いていた、日本人というものをよく知っているオルガンティーノ、ヴァリニャーノたちは、2人が非常に危険な発言をしていると思って焦った。秀吉は上機嫌な顔をしながらも、キリシタンが戦力になること、いつかは自分を脅かす勢力になるかもしれない事を、その瞬間に確信したと悟って。人間関係を「支配」「被支配」という形でしか結べず、自分に自信がない支配者だった。。。と著者は秀吉を評しています。

猜疑心の固まりで、いつかは自分を越えるかもしれないものを許す事ができない。宣教師たちは、そのような性格を秀吉に限ったものでなくて、当時の日本の武将たち全般に感じていた。というのも、当時の日本では、家臣による裏切り、寝返り、だまし討ちが横行していた。例外は高山右近などキリシタン大名で「デウスを信じるものは、主君に忠実で正直です。キリシタンの家臣は絶対に裏切りません。」というのが、宣教師たちのウリ文句だった。

秀吉はキリシタンの家臣を利用して九州の島津を征伐した。しかしその後。。。つづく。

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4 28, 2008

銀輪の覇者

銀輪の覇者 (ハヤカワ・ミステリワールド) (単行本)

内容(「BOOK」データベースより)
戦争の足音が忍び寄る昭和九年、軍部の暗躍から実用自転車を使用した前代未聞の本州縦断レースが開催される。多額の賞金を狙い寄せ集めチームを結成した響木、越前屋、小松、望月の四人は、各々異なる思惑を秘めつつ、有力チームと死闘を繰り広げるが...。一攫千金を目論む出場者の悲喜劇、ロードレースの戦略や駆け引きを、日本推理作家協会賞作家が圧倒的なリアリティで描く、感動の自転車冒険小説。

いやあ、おもしろかったです。1日で読了。これは地方紙の連載小説だったのですね。年齢、職業、性別に関わらず、新聞を読む全ての人に楽しめます。多彩な登場人物、その誰もが魅力的。いろんな要素が入り乱れ、レースは前へ前へ進んで行きます。朝の連ドラ希望。

「復讐なんてあなたのような人がすることじゃありません」か。「復讐は人をダメにするんだよ」カンフーハッスルで大家のオバサンも言ってたな。

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4 24, 2008

クアトロ・ラガッツィ 中間報告2

本日より、シャミ先生は、ふわふわのジャグジーではなくて、アマゾンの段ボール箱でお休みになるようになった。あったかくなったのね。

クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国 (単行本)

少年使節は修業の旅を終えて日本に帰って来た。でもまだページが半分残っているので、これからがまた大変なんだろなあ。

使節を派遣したイエズス会の宣教師は「日本で布教をするなら、神父は日本語を習得し、日本の慣習や日本人の心情を理解しなければならない」と考えていた。

一方、そうは思わない神父もいて「われわれは後進国の未開人にありがたい教えを授けてやっているのだから、こっちが日本語をおぼえるのではなくて、日本人がこっちの言葉を理解する努力をするべき」という態度だった。

どっちが布教の成果を挙げられたか。そりゃ前者だった。

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今朝、シドニー(*じゃなくてキャンベラだった)の聖火リレーに中国人1万人が集まったというニュースを見て「負けた」とつぶやいた私。聖火リレーなんてどうでもいいじゃんと思っていたのに。なんていうか、その生物としての力に圧倒されたというか「ひえーこりゃかなわんわ」というか。その10秒後に「なんて下品な」とつぶやき、その5秒後に「っちゅうのも負け惜しみやな」と自分を嘲笑する。

北京在住のふるまいよしこさんが、JMMのコラムで(日本人が中国人に対して反感を持たないよう配慮しているのだと思うけど)、中国にも反仏デモとか国内の行きすぎたナショナリズムに危機感を持っている人がいると紹介しつつ、このごろ中国人がストレスに思っている事について書いています。

それは「マナーマナーってうるせーよ」。。。これは私の曲解ですが。オリンピックを前にして政府から「民主化」だの「グローバル化(全球化!)」だの欧米由来のスローガンを押し付けられてその上、その西欧から「なっちゃいない」と批判されてキレた状態。

その気持ちはわかる。私も高校時代に先生や世間に対して「受験受験ってうるせーよ」と思っていたから。そして告白すると今は「エコエコってうるさいよ、言われなくてもわかってんだよ」と思っている。。。

長野の聖火リレーの映像には、中国政府への抗議をするにせよアルファベットではなくて、「慈悲西蔵」みたいな漢字が映っててほしい。「人権」とか欧米のスローガンではなくて。(漢字の教養がないので、もしかして「偶然だぞ」事件みたいなことになる可能性もあるが)ああ、明治生まれの祖母なら、いい言葉を教えてくれたのに。おばあちゃんの机の上には、カナがない漢字だけの本が並んでいた。

今日テレビで中国・台湾・香港・韓国・日本・共作の「墨攻」という映画を見ていたら「兼愛」「非攻」という言葉が出てきた。これってどうなんだろ?検索してみると。。。「兼愛」=「人類愛」、対するのは特定の集団に対する愛、たとえば「愛国心」、か。え?「兼愛」は孟子には否定されてるの?それじゃ博愛を説くキリスト教とはぶつかるな。てことは、それを下敷きにした「人権」なんてものは儒教に反する?ああわかんない。今日はもう限界。


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「ふだんはおとなしい人たち」が一線を越えるとき、それは自分の子供や身内の弱者が飢えているのに、隣の家で宴会をやっていて「パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの」と言われたとき、じゃないかなと想像する。「ベルサイユのばら」で、オスカルが無断欠勤している部下(平民)の家を訪ねると、餓死した子供の死臭がして、その体験が、恵まれた貴族である自分の境遇に気づき、革命で民衆の側に立つことになった、という場面があった。。。(と記憶してるんだけど、時々勝手にストーリーを作り変えて記憶しているので)

西蔵自治区で食糧が足りてないんじゃないのかな?拘束されたチベット人たちは食事を与えられてないっていうし。中国国内の食糧の値段が上がっている。オリンピックを前に問題が起きないよう地方に大勢の軍隊が配置されている。軍に回す食糧の確保か、輸送が追いつかなくて、または誰かが横流しして、現地の食糧が不足または高騰している。とか。

私はダライ・ラマの「チベットのみなさんへ」という声明を読んで、西蔵自治区の実質的な責任者は誰なんだろうと思った。この張慶黎と言う人は軍閥らしい。

asahi.com : 国際 : AAN
アジア関連書籍の紹介です
『胡錦涛ーー21世紀中国の支配者』

チベット問題は宗教や民族というよりは経済の問題だと思う。やっぱり中国に、労働に見合った対価が必要だと思う。一部の沿岸の人たちが豊かになったとは言え、それは鹿鳴館でしかないと思うし。私は10年以上前バリ島で出会ったフランス人に言われた言葉「日本円で○○円がインドネシアで○○ルピー、それっておかしいと思わない?」が消化されずにずっと残っている。

想像してごらん、国境のない世界を

「それは中華世界だ」と中国人は言うだろうか?「グローバル化された世界だ」とアメリカ人も言うかもしれない。成功しているのはEUだろう。民族も宗教も違うのにトルコはEUへの加盟を切望しているし。どこが違うんだろう?言葉や宗教は各国そのままで、人の往来と通貨だけを統合してるから?そうだよ、通貨の統合。世界中の。ダメ?


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こんな寄り道ばっかして、全然ページが進まない。。。

Posted by ritsuko at 15:21 | |

4 08, 2008

街場の中国論

街場の中国論 (単行本)

で、不思議なのが、中国ってなんでああなの?てゆうかああせざるを得ないの?この本は手っ取り早くそんな疑問に答えてくれる本。「週刊こどもニュース」大人版て感じ。(著者には同じシリーズで「街場のアメリカ論」というのがあり、アメリカはなんでああなのか?という似たような問題に答えを出そうとしています。)

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ところで、今の中国政権とアメリカのブッシュ政権は似ていると思う。アメリカがイラクに対してとった行動と、中国がチベットに対してとっている行動は、そう変わらないと思うけど(どちらも資源目当てに、いらん世話を焼くふりをして、罪のない人たちを弾圧している)。

日本ではそれぞれに対して抗議行動をする人たちが重ならない。イラクは見殺しだったのに、チベットでは抗議するのはなぜ?またイラクで気勢を上げた人たちがチベット問題に距離を置いているのはどうして?

著者は、日本人保守派の人々の、米国に対する屈折した感情を述べています。太平洋戦争で負けて、本来なら相当憎んでいいはずなのに、無意識のうちに抑圧されている。首相が靖国に参拝したなら、まずアメリカが抗議するはずなのに、そうならないのはなぜか?などについても書かれています。


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印象に残ったのは、著者の父親の話で、戦時中、中国に居て終戦を迎え、現地の中国人にひどい目に遭わされるかと思ったら、逆に帰国の日まで親切に面倒を見てもらった。しかし、その後、その中国人たちは、日本人に親切にしすぎたという罪で処刑されてしまった。戦後、中国を訪れたお父さんは思い出の街並みを歩きながら「街は当時と変わっていないが、あの人たちだけが居ない」と語ったという。

ひとたび負けを認め、自分たちの作法に従うものには篤い保護を与えるが、内部の裏切り者には苛烈な罰を与える。。。(イラクで人質になった人たちを非難する日本人を欧米人が不思議に思ったという事実を思い出します。)

イエズス会の宣教師は中国人と日本人について、世間知らずの割りに異様に自尊心が高い、とローマに報告したらしい。中国人と日本人って世界から見れば似ているのでは?

この本にはローレンス・トーブという東京在住の未来学者が書いた「性・年齢・最後のカースト」という本が出てきます。トーブ氏はベルリンの壁崩壊やイラン革命を予測した事で有名だそうです。その彼が、2020年に東アジアに儒教圏ができると予測しているそうです。ヨーロッパのEUみたいなものでしょうか。


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著者は、13億人の巨大国家をまとめて運営して行くには、シンプルで力強い幻想が必要、それはシンプルなほどよい。と述べています。

先日NHKのETV特集「ロシア」についての番組で、亀山郁夫氏がインタビューしたロシア人の学者が「民主主義っていうのは投票による数の原理でしょ?わたしたちは夢がないと生きて行けないのです」と言っていたのを思い出します。

中国人の人たちが、みな判で押したように同じ事を述べるのは、自分で考える力が無いからとか、情報を統制されているからとか、ではなくて、むしろ積極的に幻想を共有しようとしているからなのでしょうか?

中国近代史は、日本や欧米に分割統治されるなど不幸な事だらけで、全国民で団結して成功した幸せな思い出が、抗日戦線での勝利しかない。ので、内部の結束が危うくなると、その思い出を反芻する。日本の政権内部はその事情を分かっているので、まああまり苦情も言わない。と著者は解釈しています。


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著者は「文明の内容そのものは時とともに変わっても、文明が崩壊・再生されるときの方法は変わらない」という梅棹忠夫の「文明の生態史観」を紹介して述べているのですが、中国の場合は、政権の交代はクーデターなどではなくて、疲弊した農民の反乱から始まる。人口が増えすぎてその土地が養える限界を越えると、農民の反乱が起き、流民化し、地方にカリスマ的な指導者が現われ、王朝が交代する。それを「易姓革命論」と言うそうです。その際、飢餓や戦争で人口調整もおこなわれる、その繰り返しだと。

(日本の場合は、王朝は天皇家しかありません。為政者は変われども、王家は一つです。)

今、中国では農民の不満が高まっています。チベット問題とは民族間の争いという問題ではなくて、政府vs農民の問題なんでしょうか?チベット以上に非道に弾圧されているウイグル自治区の現状は、あまり話題にならず、知る人も少ないようです。中国全土で起こっている事が、チベットに限って報道されているだけなのか?

先日テレビでアメリカの南北戦争を題材にした映画をやってまして、それを見ていた家人が「この単純すぎる戦い方は何?戦術も何もない。三国志を読んだ事がないのか」とあきれていましたが(彼が読んだのはマンガ三国志だったのですが)、中国の現政権が交替すると、三国志のような乱世になってしまうのか?


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毛沢東が文革で医者や教師など専門職の人を迫害したのは、オールラウンダーな人材を育成したかったから、と著者は書いています。組織が巨大になると、人材が専門化してしまい、全体に対して責任ある考えを持つ人がいなくなる、それが不満だったと。

幕末〜明治にかけて、日本がすばやく近代化できたのは、多くの小藩がそれぞれ政治的にも経済的にも自治権を持っていたからだと著者は言います。いずれは藩主になるために、子どものころから経営者としての帝王学を学んだ人がたくさんいたから。

教育の権限を中央に集権化せず、現場の判断に任せた方がよい、とする(たびたびblogで読む)著者の教育論は、そういうとこから来ているのか。。。


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と、ここでまた出た、若桑先生のあれですよ。個と全体が調和している世界にいると感じる場合と、始まりも終わりもなくとらえ所のない茫漠な世界にいると感じる場合の、人間の感覚の差。


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梅棹忠夫の「文明の生態史観」を読んでみました。気候風土によって、文明は2つのタイプに分けられる。日本やヨーロッパなど大陸の端っこに位置するものと、インド・中国・ロシアなどユーラシアの真ん中の乾燥地帯を含む地域。

文明にも、生物のように生態がある。という考え方。わたしも文明の盛衰は人の成長過程に似ているのでは?と考えた事があった。こんな突拍子もない事を考える人はいないだろうと思っていたのに。しかもこの本は前の世代ではベストセラーだったらしい。


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チベット騒乱の背後に地下資源問題:NBonline(日経ビジネス オンライン)

2007年10月21日の第17回中国共産党全国大会において胡錦濤国家主席は、過去5年間の政権運営の活動報告を行った。その冒頭で胡政権が抱える"困難と課題"を列挙し、その第1番目が「資源・環境・格差」であった。資源は国家の最重要課題なのである。

チベット問題で抗議の声は上がっても、中国での事業から引き上げるとか、中国製品をボイコットしようという声は聞こえてこない。われわれが安い中国製品にたよって暮らしているという事実が、周り回って中国の底辺の人々に対するしわ寄せになっている、ということも忘れてはならないと思います。


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以下、怒りのオプショナルツアー

人権問題と、捕鯨問題って似てるなと思います。イラク戦争の時、世界のリベラル活動家はアメリカに反対した。けど、その意見は聞き入れられなかった。そこに利権があったから。金の亡者とは呼ばれたくない、けど「いらないの?じゃ、オレがもらう」と他人がむざむざ持って行くのはもっとイヤなわけで、結局みんな派兵した。日本を含めて。

利権に直接は関係ない貧乏人である大半の人たちは「そんなの関係ねえ」「金より道理だ」と仁侠心を見せるかと思えば、逆にナショナリズムに踊らされた。

捕鯨問題が起きとき、わたしはマンガに影響されて、鯨は日本の伝統食だと思い込んだ。今、鯨が伝統食だと言っているのは水産庁のホームページだけだ。正当性のない主張を、無理やり一般的なものにしようとするとき使われるのが、ナショナリズムだと思う。「私たちは一緒ですよね」と。

どうしてグリーンピースは「クジラってかわいいでしょ?」なんてトンチンカンなキャンペーンをやるんだろう?日本人には逆効果なのに。。。と思う。でも報道される日本人の行動は、「クジラが座礁したのを多くのボランティアが集まって助けた」(そのとき手に手にノコギリと包丁と皿。。。は持ってなかった)「水族館でこどもがイルカのショーを見て喜んでいる」(おいしそー。。。とは言わない)行動から見る日本人は、みんなクジラを愛でているようだ。が、なぜ外国人に言われるとムキになるのか?

このごろ、水産庁は捕鯨に関して路線変更をたくらんでいるらしい。これまでの捕鯨推進は最近退職した官僚一人の独断だったというシナリオにして。それは、ホエールウォッチングがお金になるとわかったからです。鯨がかわいそうとか、伝統食だとか、そんなの本当は関係ないようです。

真に人を動かすのは、怒りや悲しみではなくて、「ポジティブな」ステータスへの欲望。ルワンダの元ホテル支配人ポールはそれを利用して困難な仕事を遂行した。
ジェノサイドの丘〈上〉(フィリップ・ゴーレイヴィチ著 柳下毅一郎訳)p.162

ステータス。お金でも、権力でも、その他の場合でも。(ポールが使ったのは高級な酒でした。)

われわれ無力な人間の主張を、ちょびっとでも確実に世間に反映させる方法は「投票」と「消費」しかありません。

もう寝なきゃ。ネコ温度計はラサにしました。


ーーーーーmemo


3つの原理?セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす(単行本)

文明の生態史観 (中公文庫) (文庫)

Posted by ritsuko at 00:02 | |

4 06, 2008

サクリファイス

サクリファイス (単行本)

個人競技でありながら、チームワークがなければ勝てない自転車ロードレースの光と影。元々陸上選手だった主人公は、勝つ事の意味を見いだせず競技から去る。その後出会ったのが自転車だった。そしてエースではなくてアシストという役回りに自分の存在意義を見いだし、この世界で成功していく。そのチャンスをくれたのは。。。

前半に小さな疑惑とチクチクした心理描写が続き、後半に大事件が。ついつい、ストーリーの盛り上がり度をロードレースの高低図にたとえてしまうんだけど(この高低差は映画「アダプテーション」に似てる)。

淡々とした筆致に浪花節なストーリー。これはミステリーに分類されるんですか?どっちかというと昼メロぽい。絶対向いてるとおもう。ぜひ昼メロでやってほしい。イケメンのみなさんで。

ジャニーズのみなさんで「シャカリキ」も撮ってるらしいし。
Web R@dio Station"くりらじ" "BICYCLE21PODCAST"

自転車選手が現実にはどういう仕事か、何を考えているのかは、ここを聞くとよくわかります。特に今週はおもしろかったです。
Web R@dio Station"くりらじ" "Massas Channel"


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ツバメ初認。

Posted by ritsuko at 00:21 | 0 Comments |

3 16, 2008

クアトロ・ラガッツィ

ー天正少年使節と世界帝国ーという本を読んでいます。若桑みどりさん渾身の1冊。16世紀の日本文化とヨーロッパ文明と接触した際の克明な記録。当時の日本が元スペイン・ポルトガル領の南米の国々のように植民地化されることを免れたのは、イエズス会の宣教師が「当地は非常に貧しく占領する価値はない」と母国に報告したからだったらしい。

アフリカを出て大陸で生存競争をしながら移動してきた極東の地、この先は太平洋でどこにも逃れる場所はない、ここでどうにか生きなくてはという場所。チベットもアイスランドも同じような環境だったと思う。生産性が限られた厳しい土地で、淘汰してくれる天敵もいない人類が、殺し合わずに生きて行くというシステムを作り出した、チベット仏教はすごいと思う。

モノがなけりゃどっかから獲ってくればいいじゃないか、いらなくなったらそこら辺に捨てときゃいいじゃないか、いやになったら出て行けばいいじゃないか、生き残るために他民族から略奪するのは仕方ない、というスタンスのキリスト教に比べて。

西欧文明と接触するたびに影響を受けて、日本も何度か大陸に略奪に出かけている。秀吉の朝鮮出兵とか、明治以降の植民地政策とか。だから日本人だって善人というわけではない。それに宣教師から見てどうしても許せなかった日本人の悪徳についても書いている。


この本は重く厚く読み通すのが難しいと著者自身思ったのか、ちゃんと飴とムチで読者を誘導してくれる。その飴は「当地は占領する価値はないので無敵艦隊を寄越さないでほしい」と報告した宣教師は、中国人と日本人は野蛮な未開人ではなく、西欧と同等の高さの文明を持つので、暴力で支配したり子供扱いして指導するには適さないと判断した、という部分。

550ページ中、今やっと160ページ。まだ天正の少年使節はユニット結成もしていない。少し読んではいろいろ考える事があってなかなか先に進めない。昨日今日はチベットの暴動のニュースを見てまたオプショナルツアーに出てしまった。

チベット暴動の悪夢再び!五輪どころじゃねぇ!:イザ!

ラサにはもう行けないんだろうか?西川一三の「秘境西域八年の潜行 上・下・別巻」、木村肥佐生の「チベット潜行十年」を読むとチベットだっていい事ばかりじゃないらしいけど、いつか行って見たいと思っていたのに。そういえば、西川一三さんって今年までご存命だったのですね。チベット式: 【訃報】西川一三さん、チベット暦元日に逝く


ダライ・ラマとは特別な人なのか?図書館で著書をパラパラと立ち読みした事がある。めぼしい記事には当たらなかったが、これは?と思った一言があった。それは「あなたは他人が一目見てあなたが何者であるか判断できる身なりをしなければならない、でないと人は後であなたが第一印象とは違う人物だとわかると、だまされたと思って憎しみを抱くから」というもの。難しいです。こんなことは他の宗教家は言ってなかった。

まず自分が何者なのかわからなくてはならないし。普通の人は「ほんとの自分」より「なりたい自分」を服装で演出してると思うし。「本当の自分」って何?ときかれれば、自分を全く知らない初対面の他人が情け容赦なく観察した結果が「本当の自分」だ、と思っている、自分の事に関しては他力本願な私には特に。

昨日今日とチベットのニュースを見てると、ふとあれはもしかして公安のスパイのことを言っていたのか?そんな具体的なことやったん?とも思えてきた。


日本は資源のない貧しい国。今までどこの植民地にもならなかったのは、その価値がなかったから。もしもすんごい天然資源が発見されたら。。。チベットみたいに他国の餌食になっちゃうのかな。それはいやだ。そのとき、アニメを愛する世界のオタクが抗議行動をしてくれるだろうか?

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ

チベットを知るために/人権問題

白雪姫と七人の小坊主達 チベット争乱「統合される側」の悲鳴

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2 24, 2008

(勝手に)なか見!検索 都市のイコノロジー

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1章と2章は「現代思想」1987~1990に「日常の図像学」というタイトルで連載されたもの。懐かしいトピックも。これを見てもういいや。。。と思うかもしれない。

そう思いつつ、3章に進み、ちょっと眠くなりそうになるのを、お茶を飲んだり声に出したりしながら最後まで読むと、えもいわれぬ幸福感に包まれます。この本は絶版ですが、3章はCiNii - 東京芸術大学音楽学部年誌 5 に「人間的空間の系譜 : 人文主義的文化における建築と都市の理論」というタイトルで収録されていて、幸いな事に、インターネット上で読む事が出来ます。

Posted by ritsuko at 01:19 | 0 Comments |

人間の空間

都市のイコノロジー―人間の空間 という本を読んだ。人が幸福感に包まれて暮らすには建築や都市計画はどうあるべきかということについての本。図書館で見かけてパラパラと見て、その巻末にあった小論文「人間的空間の系譜」に感動して、ぜひ手元にほしいと思った。だがすでに絶版。ネットで古書を手に入れた。

その小論文は当時芸大に勤めていた著者が、旧奏学堂を保存するために、関係者を説得する目的で書かれたと後書きにあった。しばしば研究者に引用されてきたが、一般には知られていなかったと。そしてその小論文で引用されている、更なる元ネタ「視覚芸術の意味」(E・パノフスキー著)という本を読みたくなったが、これも絶版。

amazonのマーケットプレイスで5600円より(元々の定価は7500円)。一度どこかの図書館で立ち読みしてから購入するかどうか決めよう、と県立図書館の横断検索をやってみた。県図書は貸出中、あと在庫しているのは厚木市と小田原市の図書館。この本は岩崎美術社の「美術名著選書」というシリーズだった。そのシリーズごと開架している小田原の「かもめ図書館」というところに行ってみる事にした。

初めて降りる鴨宮(かものみや)という駅。私の前を歩いていた若いカップルは「何もない。。。」と絶句していた。駅から「かもめ図書館こちら」というプレートに沿って歩く。本当にこの道なんだろうか?こんなさみしい。。。と思っていたら、目が合った。

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住宅街の中に突如あらわれるきれいな建物。
閲覧席でふと脇を見ると、目が合った。

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目的の本の「第2章 様式史の反映としての人体比例理論史」35ページ分をコピーさせてもらって、安心して談話室(休憩室)でコーヒーを飲んでいると、隅に座っていたおじいさんがナイフでリンゴをむいて4等分し、そのリンゴを素手で持って、その場にいた人に配り始めた。周りにいたおじいさんたちは、当然のように素手で受け取って食べた。私の近くに座っていた若い男性は逃げて行った。私の所には来なかった。リンゴは4切れしかなかったのだから、もしどうぞって渡されたらどうする?なんておびえなくてもよかったのに。

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図書館を出ると砂嵐だった。帰り道でまた目が合った。

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鴨宮の駅のホームで遅れた電車をずっと待った。強風のためではなくて、電車が小動物と接触したためらしかった。小動物って何だろう?西湘バイパスで「鹿飛び出し注意」の看板を見た事あるけど。大磯まで線路沿いの山側に梅が見えた。花は5分ぐらい。まだ咲いていないのか、風で散ってしまったのかはわからなかった。

Posted by ritsuko at 00:58 | 0 Comments |

1 23, 2008

文学全集を立ちあげる

カルチェ・ラタンで思い出したが、小林秀雄の有名な言葉「花の美しさはない、美しい花はある」は、バルザックの「ゴリオ爺さん 」からの引用だ、というのを読んだ。

文学全集を立ちあげる (単行本)

丸谷 才一・三浦 雅士・鹿島 茂、三氏による、もし今文学全集を作るとしたらどういうのにする?という対談。作家を目指す若い人が、これを読んでおけば息の長い作家活動を続けられるのではないか、文学作品を書く技術、基礎体力をつけるなら、という選考基準。前半が世界文学編で、後半が日本文学。文学賞メッタ切りぽくバッサバッサ。各人の個性が出ていておもしろい。

ロシア通、バレエ通の三浦雅士さんが挙げるロシア文学は、読んだ事がなくてもバレエ作品になっているものは大体見ているので、その世界がワーっと蘇って、採用されるとうれしい。

三氏とも理屈に関係なくこれは絶対入れたいと合意したのがリルケ。三浦氏は「ありがとうございました」とまで言う。バーチャル全集なのに!

そして人気なかったのが三島由紀夫と小林秀雄、埴谷雄高。堀辰雄に至っては「恥を知れ」とまで罵倒されている。堀辰雄はわたしもいらないと思うけど、立原道造は入れてほしかった。。。人に何と言われても好きなんだもん。いやでも、この文学全集の意図を考えると、ハンパに立原道造風な詩人が出てきたらいやだな。簡単に真似されたくない。


Posted by ritsuko at 16:36 | |

1 13, 2008

南蛮の道

街道をゆく〈34〉大徳寺散歩、中津・宇佐のみち (朝日文芸文庫) (文庫)


去年の秋、大分(豊後)に帰る直前、高校時代を同じ大分で過ごした友人から司馬遼太郎の「街道をゆく 中津・宇佐のみち」を読んだという話を聞いて、私もそれを読み、飛行機に乗った。

私の祖母の祖父の家は、中津藩の御抱えの両替商だった。「うちは武家ではなかったけれど、お殿様から名字帯刀を許されていた」とちょっと自慢気に祖母は語るのだけれど、高校生のとき日本史の教科書で「これはまさにそのことだ」という記述に出会った。

江戸末期になると地方の小藩は財政が悪化し借金地獄・リストラなどで武士は大変困窮した。その一方、低い身分の商人が金の力に物言わせ、のさばり、借金のかたに名字帯刀の権利をもらって武士の物まねをして悦に入る馬鹿者まで出現した。。。とまでは書いてなかったが、あーこれだったのか、トホホ、と思ったのでありました。ま、そんな祖母の家も廃藩置県で全てを失い、江戸に上京しています。

中津藩からは福沢諭吉が出ています。小学校時代に同じ大分県の出身ということで、先生が話してくれました。「君たちの先輩の福沢諭吉は、オランダ語を勉強して第一人者になったのに、これからの時代は英語だとわかると、それまで学んだ事を全て捨てて、一から英語を勉強し直したんだ。君たちも一度身に付いた知識にしがみつかないで、必要ならまた一から勉強する勇気を持つんだよ」


街道をゆく〈22〉南蛮のみち 1 (朝日文庫) (文庫)

街道をゆく〈23〉南蛮のみち 2 (朝日文庫) (文庫)

わたしとバスク (クウネルの本) (単行本)

大分には有名な銘菓「ざびえる」があり、駅や空港でその単語をたびたび見かけた。それから南下して宮崎に行き、姪がスペインに旅行するという話を聞き、スペインという単語がすり込まれた。というわけで、茅ヶ崎に帰ってきてからなんとなく司馬遼太郎の「街道をゆく 南蛮のみち」を手に取り読んでいました。

若い頃のフランシスコ・ザビエルは神学とは無縁で、将来は哲学の研究に捧げようと思っていたのに、カルチェラタンでイグナチウス・ロヨラに出会ったばっかりにイエズス会に入り、ポルトガル王の支援で日本に伝道に来る事になった。。。人の運命って数奇なものだなと思います。司馬遼太郎一行はザビエルの出身地、スペインのバスク地方を訪れ、実家のお城を見学します。

茶道の所作は、キリシタンの司祭のミサの所作に影響を受けているのは?、とか、秀吉以後、港湾部に首都を作るようになったのはリスボンをモデルにしたのでは?、とか、当時のスペイン・ポルトガルが日本に与えた影響について語られます。

歴史や文明についてはすばらしい文章を書いている司馬さんですが、食べ物の事になるとちょっと。。。料理研究家の長尾智子さんはバスクに魅せられ、何度も訪れ郷土料理などを記録しています。そのとき必ずバッグに入れて持ち歩いていたのはこの「街道をゆく」だったそうです。

Posted by ritsuko at 14:28 | |

12 21, 2007

ネコたちをめぐる世界

ネコたちをめぐる世界 (新書)

猫グッズのコレクションや、味のあるイラストがページをめくるごとに出てきて楽しいです。

ほうと思った事2つ。一つ目は、著者の飼い猫が、捕ってきたネズミは食べるが、ヒミズ(小さなモグラの一種)を食べない事。ヒミズは死んでいるが目立った外傷がない事。そういえば、うちのシャミもそうだった。シャミは簡単に捕れるというヒミズしか持って帰らなかったけど。ヒミズは本当に死んでいたのだろうか。

二つ目は、たとえば猫が机の上を歩くとき、置いてあるノートやペンケースは踏まないよう律義によける。けど、本やキーボードの上はかまわず歩く。踏んでいいものといけないものの境目はどこにあるのか?ある期間動かずに同じ場所にあればいいのか?足の裏に不安を感じないものなのか?

シャミは台所のカウンターに飛び乗る。カウンターには皿とかまな板とか包丁とかボウルとかいろんなものがあり、毎回配置が違う。床からはカウンターの上が見えない。とりあえず飛び上がり、着地するまでの一瞬にどこに脚を着けるか判断するようだ。置いてあるものを踏んでしまう事はない。すごい能力だと思う。

あるとき珍しく何かの袋の端に脚が着いてしまった事がある。そのとき、シャミは「しまった、大変なことをした!」という感じでそそくさと隅の方へ行きしばらく遠くを見て時間が過ぎるのを待っていた。私に「コラ」としかられても全然へーきなくせに、シャミ自身によるルールには弱い。

シャミは自分で自分に複雑な規律を課している。椅子に乗る時はまずその周りを左回りにグルグル回るとか。わざわざ必要のない約束事を果たす事で、昨日の世界と今日の世界が同じ事を確かめているのか?

Posted by ritsuko at 20:55 | |

12 11, 2007

冷蔵庫で食品を腐らす日本人

冷蔵庫で食品を腐らす日本人 [朝日新書059] (朝日新書 59) (新書)

ああ、耳が痛いです。いつだったか冷蔵庫が故障して数日使えなかったとき、冷蔵庫の中身を全部出してみて、いろんな物を発掘した身としては。それを戒めとして、今ではちゃんと食材を循環させているけれど。それはクックパッドのおかげもあるかなあ。つまり、レシピのレパートリーが大事なのです。今ある材料を使ってちょうどいいものを作るっていう。ほんと助かりますよ、クックパッド。

本書は、本を読むというよりも居酒屋で先輩の話をきいているような、ライブで曲を聴いているような感じです。軽快な語り口なんだけど、著者は「昔はよかったなあ」式の懐古主義者でもなく、「あいつらにはわかんねえ」式の国粋主義者でもなく、現実を経済的な裏付けから分析し、消費者としての自分の感情も客観的に観察している、非常に合理的な精神の持ち主だと思います。

Posted by ritsuko at 23:25 | |

11 13, 2007

第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界

皮膚は考える (岩波科学ライブラリー 112) (単行本(ソフトカバー))

第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界 (単行本(ソフトカバー))

皮膚は臓器。
皮膚は電気システム。
皮膚は脳。

著者は医者ではなく民間企業の研究員です。「皮膚は考える」は概論。「"第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界」はさらに図解で詳しく書かれ、著者の私的な考察もついています。著者の研究は、何か具体的な病気の治療に役に立つとか、目の前の何かをどうにかしたいというものではありませんが、人間って、生き物って面白いなあと思えます。

最先端の研究なので、目次だけ見るとトンデモ系かと誤解されるかもしれませんが、著者はそうならないよう注意深く言葉を選んで誠実に書いています。内容が非常に面白く、文章の手触りも繊細で心地いい本です。

ーーー

お風呂から出て私は暑いと思っている、扇風機の前に立って冷風を浴びると1秒後にくしゃみが出る。わたしはまだ暑いので体を冷やしたい。でも体は「ダメダメ」とくしゃみを連発させる。花粉の季節には体の中で嵐が起こる。頭はぼうっとして判断力が鈍る。自分の体の免疫システムに自分自身を乗っ取られる感覚。

ーーー

わたしは子どものころ、慢性扁桃腺炎でお医者さんから患部を切除するしかないと言われ、手術の日取りも決まっていた。その前日、母がノドの腫れに効くお灸をしてくれるおばあさんがいるという話を聞いて、わたしをおばあさんの家に連れて行ってくれた。おばあさんは鍼灸医ではなくて無料のボランティアだった。両ヒジのくぼみに小さなモグサを乗せて火を点け、アチッと思った一瞬に終わった。家に帰って熱を計るとすっかり下っていた。

翌日、手術前の診察でわたしのノドを見た先生が「あれ?すっかり腫れが引いてる。切らなくていいかもしれないよ」と言った。ほんとですか!手術が怖かったわたしはうれしくて余計な事を言った「やっぱりお灸が効いたんだ」その言葉を聞いた先生は「またあのバアサンか!」と険しい顔になって、手術は決行された。後で看護婦さんに「あーあ、先生はああいうの信じないからね」と同情された。

何ヶ月も薬を飲み続けて改善されなかった症状に、お灸が劇的に効いた。その効果には医者も驚いた(認めなかったが)。お灸を据えた場所はノドとは関係ない場所だったのに。熱を加えたのはほんの一瞬だったのに。

ずっと不思議に思っていた事のしくみが明らかにされるのを読むことができるのは楽しい。

ーーー

Yahoo!ヘルスケア - ニュース - ストレスで皮膚の抗菌能が弱まる

Posted by ritsuko at 14:31 | |

11 04, 2007

アッティカの墓碑

「墓の彫刻―死にたち向かった精神の様態」というタイトル。著者はE・パノフスキー。ということは「あれ」が見れるのではないか!と期待して手に取った本。

墓の彫刻―死にたち向かった精神の様態 (大型本)

人は何を価値あるものと感じるのか?パノフスキーの「イデア」と澤柳大五郎の「ギリシアの美術」は、そういうことを考えるということはどういうことか、という実例を教えてくれた。特に「ギリシアの美術」のアッティカの墓碑の章は、それを読み終わった後、感動で長く長くため息が出た。

前5世紀半ばから4世紀末までに、アッティカ地方で作られた墓碑。それは石の板に彫られた浮き彫りなのだが、そこに掘られているのは、死者の生前の姿。故人の業績を記念する姿でもなく、死後の楽園に暮らす姿でもなく、日常の生活の一場面。

その場面には、まだ生きている家族や従者も一緒に登場することもある。しかし、その人物たちのうち誰が死者なのかは、表情を見るだけですぐわかる。死者は周りの誰の声も聞こえず、誰の顔も見えず、視線を遠くに投げ、静かに死を受け入れている。生者の人物たちはそんな死者を見つめたり手を握ったりして愛情を示している。

エジプト人のように死後に旅に出るでもなく、キリスト教徒のように天国(または地獄)に暮らすでもなく、日常の中に永遠が、死と生が同時に存在するというギリシア人の死生観。それは故人の本質とは何だったかを記録し永遠に残そうとした、墓碑の彫刻を見ることによって、私の心に刻まれた。岩波新書の数ページに小さくモノクロで印刷された写真ではあったが。

「美とはどういうことだろうか?」「それは、ある人にとっては美だが、ある人にとっては美ではない、というものであってはならず」「ある時は美しいが、またある時はそうでない、というものではあってはならない」。。。という会話によって定義されていく、プラトンのイデア論を読むよりも。

この「ギリシアの美術」を25年ぶりぐらいに読み返してみて、墓碑の章の次章に鉛筆で傍線が引かれているのを発見した。自分で引いた以外に考えられないのだが。

しかし全期を通じてギリシア人にとってはこころと身体とは一つであった。こころは眼に見えるものであった。また顔と身体は一つであった。
ギリシア人にとっては眼のみならず、全身がこころの窓なのである。

「全身がこころの窓」という言葉にあっと思った。今、同時に読んでいた別の本とつながったからだった。それは「岩波科学ライブラリー 皮膚は考える」にて。。。


ギリシアの美術 (岩波新書 青版 520) (新書)

イデア―美と芸術の理論のために (平凡社ライブラリー) (単行本)

パノフスキーの「イデア」は新訳が出たんですね。少しは読みやすくなったのかな。

Posted by ritsuko at 00:09 | |

10 17, 2007

猫にかまけて

猫にかまけて (単行本)

町田 康の猫との生活と愛情の記録。猫たちのキャラに爆笑しながら、猫との別れでは自分の経験を思い出して不覚にも落涙。ヘッケと子猫の頃のシャミはそっくりだ。拾われた時の状況も、名前の由来も、おもちゃをくわえて持って来る所も。幸いシャミは私が拾った猫では珍しく長命だった。シャミチャン、ひしと抱き寄せる。愛とは悲しく苦しいもの。

Posted by ritsuko at 10:58 | |

10 11, 2007

食卓の安全学―「食品報道」のウソを見破る

食卓の安全学―「食品報道」のウソを見破る (単行本)

「暮しの手帖」で推薦されていて読んでみました。食品報道だけでなく、情報一般とのつき合い方を啓蒙してくれる本です。わかりやすく食情報を提供してくれるおすすめサイトのリストもあり。

Posted by ritsuko at 01:47 | |

9 21, 2007

輝く日の宮

輝く日の宮

ああ、おもしろかった!私はさきに「ゴシップ的日本語論」を読んでゐて、その最後
「どこかエロな所はないかと探しながら小説を読むのでいいんだ」
みたいな(詳細は忘れた)文が気に入っていました。この本「輝く日の宮」は全編エロです。

その上、ハーレクインロマンス風あり、チャンバラものあり、怪談あり、小津映画風あり、文学の楽しみの「物尽くし」にもなっています。説明が面倒くさそうな源氏の解釈については、女流研究者同士が壇上で対決というコメディの戯曲風に仕立ててあって、読者を退屈させません。松尾スズキにお芝居にしてもらいたい。紫式部と道長の部分は花組芝居がいいな。ちょっとキモイ感じがちょうどいい。

主人公の恋の行方はどうなるのか?意外なライバルが現われたりして、ありゃーますますややこしくなってきたよ。と思っていると、最後の章は。。。最初の1行を読んで、この章は作者からの贈り物だと瞬間わかって、感動でちょっと涙ぐんでしまいました。ほんと期待を裏切らない。至れり尽くせり。

そしてすべては語らず1番おいしい所は読者にまかせています。ここまで来たら、もう安佐子と紫式部の生霊が読者に乗り移っているので、その続きを想像するのは難しくないでしょう。てゆうか、気がつかないうちにすでに作者が全部説明してくれているんです。こっちが自分で想像したと勘違いできるぐらいに。まったく町山智浩さんかと思っちゃう。

ゴシップ的日本語論 (単行本)

ゴシップ的日本語論は、泉鏡花の解釈とか、柳田国夫と折口信夫の業績とか、源氏物語をめぐる瀬戸内寂聴との対談などが載っていて、ある意味「輝く日の宮」の解説書ともいえると思います。


Posted by ritsuko at 00:05 | |

8 27, 2007

わたしを離さないで

わたしを離さないで (単行本)

「日の名残り」のカズオイシグロの作品。限定された境遇を受け入れながら生きるということについて。この小説の場合の主人公たちの境遇は「提供」という言葉が出た時点で薄々わかってしまう。その秘密は、読み手を物語の最後まで連れて行ってくれる動力になっているが、読み進むうちに、彼らが過酷な運命の中に生きていることを忘れてしまう。主人公たちの子供時代、思春期と物語を読み進み、主人公の心にぴったりと寄り添ううちに。

以下は本作を読まれた後に































この小説の中には登場人物の容姿についての記述がないのです。欧米の作品を読む時、うっとうしく思うのが、髪は、目は、何色で。。。というくどくどとした表現なのですが、この作品では登場人物の具体的な外見については語られません。

彼らにとっては外見は単なるコピーでしかない?外見には意味はないのか?

もしこの作品を映像化するとなるとそこら辺が問題だろな。この作品を読んだ人は電器羊(ブレードランナー)とかを思い出すんでしょうか。私はメアリ・スチュアート・マスターソン主演の映画「恋しくて」です。


恋しくて


それから、三角関係といえば、古いけど、やっぱり私には「冒険者たち」ですね。アラン・ドロンのあの最後のセリフ・・・。


冒険者たち 冒険者たち 40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアム

Posted by ritsuko at 00:19 | |

8 01, 2007

空中スキップ

空中スキップ (単行本)

キシモトワールドです。最初の犬の話で、やめとこうかと思ったが、次の心臓移植の話で、もう少し読んでみようと進むうち、またまたドップリ浸かってしまい、一気に読了。不公平で不条理な現実世界に対する、皮肉とささやかな復讐。

ところで、「ひにく」はどうして皮と肉なのか?とすれば血と骨は?ん、そういえば「血と骨」ってありましたな。

Posted by ritsuko at 16:15 | |

7 30, 2007

心の砕ける音

心の砕ける音 (文庫)

これも打ちのめされるようなすごい本より。ミステリーです。クライマックス近く、ある一文を読んで、いやある形容詞を見た瞬間、ウオオオオ!!!恐怖が背筋を走った。読者に対して、念入りにしかけられていた罠。まんまとはまりましたよ。ああ怖かった。


「気をつけるのよ」
「愛を必要としすぎないように」

その言葉の意味も最後まで読むとわかります。そしてそれは特別なことではなくて誰にも起こりうると考え直すと、またうっすら怖くなる。。。でも気をつけろって言ったってさ、気をつけようがないよ。落石注意の標識か。。。やはりメロドラマは苦手です。

Posted by ritsuko at 23:11 | |

7 10, 2007

あなたのTシャツはどこから来たのか?

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実 (単行本)

Posted by ritsuko at 19:36 | |

7 01, 2007

笹まくら

笹まくら (文庫)

打ちのめされるようなすごい本から本命、丸谷才一の「笹まくら」。図書館で借りた新潮現代文学全集63巻。「笹まくら」「年の残り」「思想と無思想の間」「横しぐれ」と一気に読んだ。「打ちのめされる」というよりも「吸い取られた」感じで消耗した。

恋と女の日本文学」に書かれていた、「恋愛という個人的な事と、社会との関わりという公の事、どちらかだけを描くのではなく、双方が密接にかかわり合い切り離せないストーリー」(私のつたない解釈による)そのものですね。

過去と現在が交互に同時進行するスタイル。素晴らしいラストシーンは香港映画「ラヴソング」を思い出した。わたしの印象に残ったのは、その少し前、陽子が実は。。。で、主人公が妻の寝顔を見るシーン。主人公はその時初めて、妻を女としてでなく同じ人間として見た、と思う。普通の人には理解できない(と主人公が思っている)特別な孤独と悩みを持つ人間として。

ーーーーーーーーーー


徴兵忌避というと思い浮かぶのは、イラク戦争への従軍を拒否して裁判になっている、米国陸軍将校、ワタダ中尉の事件だ。中尉はハワイ出身の日系人。

暗いニュースリンク: ワタダ中尉の従軍拒否に関するタイムズ紙報道

太平洋戦争時、日系人の部隊は戦闘の激しい前線に送られた。日系人がアメリカ市民として社会に受け入れられるため、収容所に入っている家族や同胞のため、命令通り戦い戦死者も多数出た。

一方、その子孫であり生まれた時からアメリカ人として育ったワタダ中尉は、状況を自分で判断し、行いを自分の意思で決めるというアメリカ人らしいスタイルを通した。どちらもアメリカに忠誠を尽くしアメリカ市民であるための行動だ。

もし日本国憲法第9条が変わったら、徴兵制が復活すると思うけど、そのとき夫や息子が招集されたらどうするだろう?ワタダ中尉の母のような立場になったら?

日刊ベリタ : ワタダ中尉に関する報道 : 8 件

Thank You Lt. Watada

あらゆる情報が国境を越えてネットであっという間に世界に知れ渡る今、個人個人の信条や判断を認めないことで成り立っている軍隊という組織は維持するのが難しくなるだろうな。軍需産業は衰退して行くだろう。これからの国家規模の公共事業は戦争から他のもの(たとえばゴア式環境ビジネスとか)に変わっていくのかな。

「笹まくら」で主人公は「国家は何のためにあるのか」という問いに「戦争をするためさ」と答えている。「スイスなど特別な例を除いて」。著者がこの文を書いている時は、その例外に日本も入っている。9条のような憲法を持つ国は希有な存在だ。世界の宝だとおもう。

軍事産業が縮小されるとすると、在庫品をどこで処分するかが問題になる。アフリカとか中央アジアとか世界の目が届きにくい所が選ばれるんだろう。意外と極東の日本ということもありうる。経済的にはともかく、言語によるコミュニケーションという点では世界から孤立しているから。

ゴミ箱にされるのを慎重に避けなければならない時に、わざわざ戦争を出来る国に変えたりするなんて、不法投棄のトラックが出入りしやすいように、山の中に舗装路を造るようなもんだ。


ラヴソング 9条どうでしょう (単行本)

Posted by ritsuko at 23:56 | |

6 22, 2007

猫とスパイと源氏物語

恋と女の日本文学

「打ちのめされるようなすごい本」に紹介されている本から、すぐ読める軽い本をパラパラ見る。「ネコのこころがわかる本—動物行動学の視点から」は犬猫のマッサージで有名なフォックス先生の本。著者は動物の行動の研究のため猫をたくさん繁殖させる仕事をしたことがあった。最初単純に考えて、オスメス1匹ずつのペアをそれぞれケージに入れておいたが、子猫は全く生れなかった。そこで大きな部屋に猫たちを放すとオスたちの間に階級が生じ、トップのオスがすべてのメスを妊娠させてあっと言う間に子猫だらけになったという。

数ある中から選べることが大事なのね。そしてメスのみなさんの「ミーハー力(りょく)」もあなどれない。「彼ってよくない?」「えー、あたしもそう思ってたの」。。。結局、サッカーにしろ音楽にしろ宗教にしろ女性のミーハーの力によって維持されているのだ。

。。。という部分を読んだところで、丸谷才一の「恋と女の日本文学」に移る。いやあ、著者の言葉は非常にわかりやすい。しかし気持ち良く読んだ後、自分で消化しようとすると言葉が見つからない。それはつまりわかった気になっているけど本当はわかってない。んだろうな。中西準子さんの本を読んだときも思ったけど、上手い人が書いた文章を読むとものすごーく納得する。でもそれを誰かに伝えようとすると、あれ?うまくできない。自己開発セミナーか?「とにかく○○さんに会ってみて」「そんなにいいなら今自分の口で説明してみてよ」「。。。」「できないでしょ、内容じゃなくて言い方にだまされてんのよ」ってことになる。

というわけで、納得したつもりになっていることを説明できないが、平行して思いついたことがあった。わたしは911以後、人は権力とどう関わりながら生きていくのか?ということに興味を持つようになった。そのサンプルを並べて見せてくれたのは「ナイロビの蜂」だった。

ル・カレといえば、「パナマの仕立屋」が映画化された「テイラー・オブ・パナマ」を先月テレビで見た。(手嶋龍一の「ウルトラダラー」にも「パナマの仕立屋」のパロディが出て来る。勇気あるなあ。)配役からしてもうゲラゲラ笑いながら見た。私は最高だと思ったけど、007モノが好きな人にはウケないだろうな。


と脱線してばかりだけど、「恋と女の日本文学」の後半に収められていた「女の救はれ」は非常に興味深かった。そうか、源氏物語のオチはそこにあったのか!恋の煩悩から解き放たれた快感。女人成仏 nyoninjobutsu 。それある。世間体とか向上心とか自分探しとか女の道はプレッシャーだらけだ。祖母は晩年いろいろなことから解放されて本当に幸せそうだった。シワが増えたり体が衰えたりしてもそれとひきかえに手に入る幸せもあると思ったのでした。丸谷先生ありがとう!

Posted by ritsuko at 23:53 | |

打ちのめされるようなすごい本

打ちのめされるようなすごい本 (単行本)

Posted by ritsuko at 17:16 | |

6 18, 2007

ねにもつタイプ

ハマリマス。

ねにもつタイプ (単行本)

気になる部分 (新書)

Posted by ritsuko at 22:28 | 2 Comments |

5 25, 2007

冬の犬

冬の犬 (単行本(ソフトカバー))

アリステア・マクラウドの名前は池澤夏樹のメルマガで知った。響きから女性の作家なのかと思っていたが、実は男性、しかもかなりガテン系の経歴のある人らしい。この短編集に収められているのは著者が子どものころの思い出、家族や家畜の生と死にまつわる話、農民だった祖父母や父母の物語。飾りのない簡潔な言葉で語られるその話のあらすじのみを取り出すとかなり激しい話ともいえる。なのに読後に思い出すシーンは繊細でかけがえのないもの。

1冊読み終えた後は、お遍路の旅から帰って来たようだ。何も持たず誰とも会話せず自分の心の中と向き合うとき、最後に残るのはやはり自分が子どものころに関わった人たちの物語かもしれない。それは強い印象を残し、後々大きな物事について判断を迫られたとき影響を及ぼす。成長した後に得た情報はそれを裏付けるための補強材に過ぎないのだと、このごろ思うようになった。結局人は愛され大切にされた記憶と共にあるものを選ぶ。だから大切な人には大切なものを残さなくてはならない。

Posted by ritsuko at 23:40 | |

4 29, 2007

野生の哲学—野口晴哉の生命宇宙

野生の哲学—野口晴哉の生命宇宙 (単行本)

風邪の効用 (文庫)

整体入門 (文庫)

名著です。野口晴哉は70年代に亡くなっていますが、この人が今生きていたら、アレルギーに対してどのような対処をしたんだろう。養老孟司と対談しだたろう事は間違いない。

Posted by ritsuko at 20:50 | |

4 28, 2007

古の武術に学ぶ

「古(いにしえ)の武術」に学ぶ 身体は工夫次第で生まれ変わる (単行本)


武闘は舞踏。バレエダンサーも体中の筋肉を細かく使い分けています。筋肉の総量は少ないけれど、たくさんのパーツを使い分けることで、ダイナミックな動きができるのです。

どうしたら、細かく使うことができるか?それは運動神経、つまり脳を鍛えるしかないのですけど、私が思うに体の各部分を独立して動かせるようになる速い方法は、ストレッチだと思います。静かに息を吐くと、全身の力を抜くというのはわりと簡単にできます。

ある動作をしながら息を吐くと、動きに必要ない個所がふっと緩むのを感じます。ある場所を選んで力を入れるというのはなかなか難しいけれど、全身に力を入れた後、緩んだ個所を感じるのは誰でもできますから。

Posted by ritsuko at 23:22 | |

4 23, 2007

かたき討ち

かたき討ち—復讐の作法 (新書)

江戸時代までは「敵討ち」が認められていた。ただしそれにも決まりがあった。たとえば、父、兄など目上の身内の敵を取るのは許されたが、子供や弟など目下の者の敵は許されなかった。「敵討ち」は、支配層が武士である社会では全く禁止するわけにもいかない存在だったけど、大人数の戦闘になったり、復習の連鎖が無限ループしたりしないよう、最低限の流血ですむようなシステムになっていたらしい。

非常に興味をそそられたのは、冒頭に出てくる「後妻打ち」。妻を離縁した夫が、1ヶ月以内に後妻をもらった場合(たいてい先妻より若くてきれいな後妻だとおもうけど)屈辱と嫉妬の炎に燃えた先妻が親戚や知人の女たちを連れて、後妻宅を襲撃するという行事があった。

その作法は、「何月何日何時ごろ、何人で伺います。武器はこれとこれを持って行きます(たいていは竹刀や木刀)」と書状で通達し、その際の両家の使者は男性だが、あとは全部女性だけ。先妻チームは相手の家に乗り込み、台所用品や障子を破壊。その後双方の代表者で言いたいことを言い合ったのち引き上げる。流血なしのストレス解消劇。当時は女たるもの一生のうちに2,3度は参加経験があったという。ヒェ〜。

後妻にとっては理不尽なことだと思うけど、正妻だというだけで、すでに先妻に勝ってるんだから、まあしようがないか。いきなり銃で乱射されるよりはいいかも。

Posted by ritsuko at 22:34 | |

4 19, 2007

数学的にありえない

数学的にありえない〈上〉 (単行本)

数学的にありえない〈下〉 (単行本)

「24」と「エイリアス」と「NUMBERS」(数学デカ)と「ミディアム」(霊能者デカ)をミックスしたような展開。

ドラマ化を望む。

Posted by ritsuko at 23:13 | |

4 10, 2007

科学とオカルト—際限なき「コントロール願望」のゆくえ

kagakuto.jpg

私家版・ユダヤ文化論 (新書)

まだぼんやりしていて言葉にならないが忘れそうなので記録。

ちょっと昔までは、有名な科学者や思想家といえども、物事の結果には必ず原因があるという考え方が一般的だった。悪い事が起こるとその影には何か陰謀が潜んでいるのでは?と考えずにはいられない人はまだ多い。(私がメルマガをとっている「田中宇の国際ニュース解説」もそうだし。一応目を通すけど、氏の国際情勢に関する予測はけっこうはずれる。

しかしそれは、万能の救世主のような存在を望まずにはいられない人間の善の部分と対になっている。(私家版・ユダヤ文化論より)

人種、文明にかかわらず多くの人が似たような考え方をするというのは、ヒトの脳がそういう風にできているからだと思われるけど、今ふと思いつくに、ある文明における成長と衰退の過程は、人間の成長過程に似ていないだろうか。

子どものころは親の存在が全てで万能な親に生活の全てを支配される(中世暗黒時代)。思春期を経て親から独立する頃、言動が暴力的になりケンカが強いと思い込む(大航海と植民地支配時代)。30を過ぎる頃多少落ち着き、自分は何もかもわかってるもんねといい気になっている(現代)。

または車の運転だ。教習所では教官に頼らざるを得ず一人で路上に出るなど怖くて考えられない(中世暗黒時代)。免許を手にして1年ぐらいは、車を自由に操る万能感に浸ってスピードを出しすぎて事故を起こす(大航海と植民地支配時代)。自分はベテランドライバーだといい気になって初心を忘れている(現代)。

さて問題は老人期なんですが、どうなるんでしょう?イスラム、インド、中国文明に学びたいところだけど。。。

私家版・ユダヤ文化論を読むと、ユダヤ人って、いじめられっ子の転校生みたいだなあと気がついたんだけど、ユダヤ陰謀説など「根拠はないけど、もしかしてすべての根源はアレでは?」という人類に共通した感じ方はいじめの構造と関係あるのか?

・身の回りで起きる不快な出来事はすべて時の権力者のせいだ
・天災や政変の際にUFOが現われる

なんかも、いじめの構造と関係があるんだろうか。

Posted by ritsuko at 23:36 | |

3 14, 2007

さよなら、サイレント・ネイビー—地下鉄に乗った同級生

さよなら、サイレント・ネイビー—地下鉄に乗った同級生 (単行本) 伊東 乾 (著)

ノンフィクションです。永江朗氏のブックレビューを聞いて読んでみました。

TBS RADIO 小西克哉 松本ともこ ストリーム powered by ココログ: 12/13(水)ストリーム・ブックレビュー

地下鉄サリン事件の実行犯の一人、豊田亨は教団や元教祖の批判はするが、自己弁護は一切行わず被害者への償いとして自分の死刑を望んでいる。著者は豊田の元同級生で現代音楽家。普通の人だった同級生がなぜあのような団体に入って犯罪を犯したか?

著者はマインドコントロールについて検証するうちに、これは特殊な例ではなくて、誰にも起こりうることだと思い始めた。母校に戻り若い学生を指導する立場になった著者は、後の世代がまた同じ過ちを繰り返さないよう、事件の詳細を保存する必要を感じる。

そのために、黙して語らない豊田に接見し、あのとき何があったのか話してほしいと懇願する。黙っていなくなるより、情報源として生き続けてほしい。個人が裁かれ事件が世間から忘れられるのを防ぐため、著者は数年かけて原稿を二つ用意した。一つは最高裁に提出する上申書。もう一つが社会に出すためのこの本。

著者はわたしと同じ60年代生まれです。読後に残ったのは、著者の不器用さ、かっこ悪さ。それを隠さず訴えてくる必死さ。amazonを見ると「著者の自己顕示欲が。。。」というレビューもありますが、わたしはそうじゃないと思います。

無味無臭の人が語る言葉より、生い立ちや家族のことまで明らかになっている人が語る言葉の方が心に残ります。著者が豊田に「取るに足りないと思われることでもいいから話してほしい、なんでもない小さなことが大事なんだ」と語りかけるシーンがあります。本質は思いもかけないところから訴えてくる、それを逃さないためには語り手自身が取捨選択しないことが大事だと著者は述べています。

それを著者自身も実行しつつ、もしかして自慢?ともとられかねない事も総動員して、読者を説得にかかっているんだと思いました。その点で著者は村上春樹の「約束された場所で—underground 2」を批判しつつ、同じ手法をとっています。

この本には「相棒」というキャラクタが出てきて著者と会話しますが、その仮想読者に親しく普通の言葉で語りかけることで、難しく抽象的になりがちな話しの内容をわかりやすく伝えています。

この本の題名「さよなら、サイレント・ネイビー」は、「個人が黙って責任を取ることで事件を忘れるのはやめよう。全てを明らかにして、後の人が同じ過ちを繰り返さないようにしよう。」という意味らしいです。

人口密度が高い日本では他人の主張がストレスになります。客観的な言葉より感情や空気が優先される。けどそれはその場、その瞬間のものだけで、時間が経てば消えてしまいます。国家的な犯罪の責任者が言葉による詳細な記録を残さないと、後の世代は過去から学ぶことが出来ずまた同じ過ちを繰り返すでしょう。

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・平泉澄(きよし)

■マインドコントロールについて
新興宗教、マルチ商法、自己啓発セミナー、違う分野のはずなのに、なぜか勧誘してくる人の口調はとっても似ている。先日、ある人から、それらには共通のモデルがあると聞いた。アメリカでベトナム戦争の帰還兵を治療する必要から、大量のセラピストが養成され、マインドコントロール法が授けられた。戦争が終わり、失業した彼らはその手法を使ってビジネスを始めた。というわけだ。ほんまかいな?と検索したらこんなのがありました。

Folklores of LGAT: 自己啓発セミナーの都市伝説

自己啓発セミナーの周辺では、「自己啓発セミナーは、
ベトナム帰還兵のリハビリテーションに起源を発している」
という都市伝説があります。

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いつだったか親友がくれた手紙にあった言葉を思い出す。

「一体自分はどうしたいのか、それをいつも自分でわかっていないと、他人を傷つけてしまうの。」

ああ、ほんとに。でもむずかしいよね。自分は何を恐れ、何を欲しているのか?客観的に観察し事実を認めるのは。いつも幽体離脱して上から見てるわけにはいかないし。

川柳や4コマ漫画を趣味にするってのもいいかもね。宗教の敵は「お笑い」って「薔薇の名前」でも言ってたしね。

Posted by ritsuko at 01:04 | |

3 13, 2007

環境にやさしい生活をするために「リサイクル」してはいけない

環境にやさしい生活をするために「リサイクル」してはいけない (単行本(ソフトカバー))

金属類のリサイクルは有用だが、ペットボトルや紙のリサイクルは、かえって環境を悪化させるという説。著者は材料学の研究者です。

>名古屋大学 武田邦彦

で、ほんとのところどうなのか?私にはわからない。
ただ、リサイクル出来るからと安心して、資源やエネルギーを使い続けることに疑問を抱かないでいるよりはいい。

材料をリサイクルできたとしても、そのためにかかるエネルギーがそれを一から製造するよりもかえってかかっているとしたら?

白熱電灯を禁止しても、それに代わるものや器具を製造するエネルギーが必要だし、車をハイブリッドに買い替えたとしても、そのハイブリッド車を製造するために、古い車に乗り続けるよりも多大なエネルギーが使われていたとしたら?

自分は環境にいいことをしていると思い込んでいても、見えないところでは実際どうなのか?そもそも楽してしかも環境にいいなんてありうるのか?

この人のサイトに掲載されている文章より。「へーなるほど」と思っちゃいました。

一夫多妻の論理

人間がいかに自分に都合が良いように解釈するかという見本のようなものに「一夫多妻」がある。世の男性に「一夫多妻はどうですか?」と聞くと、ほとんどの男性は「うらやましい」と答える。妻1人でも大変なのにとも思わないでもないが、それが人情というものだろう。そして婦人団体は眉をひそめる。

 この「一夫多妻」に対する男性の反応こそ、「人間は事実をそのまま理解するのではなく、必ず自分本位に解釈する」ことの典型的な例である。

 一夫多妻というのは1人の男性が複数の女性を妻に持つということである。そして男と女は結婚年齢に達した時にはほぼ同数である。ということは、例えば一夫多妻が男性1人に妻10人とすると、男性10人の内、たった1人が妻を持ち、子供を持てるのであって、残りの9人はあぶれる。

 だから男性に一夫多妻を聞けば、9人は「イヤだ」と言い、1人だけが「うらやましい」と言うはずである。それをほとんどの男性がうらやましいというのは自分が10人の内の1人になると錯覚しているからである。

 一夫多妻制度は男性には厳しく、女性にはまだましな制度である。男性は10人のうち1人しか子孫を残せないのに対して、女性はとにかく全員が子孫を残せるのだから。

 自分に都合の良いことが真実であり、実際には不利であっても錯覚の限度一杯に錯覚しようとする、そんな可愛い存在が人間なのだ。そしてその性質を利用してズルをしてやろう、儲けたい、自分が当選したい・・・などと考える不埒な奴もいるから困る。

おわり

名古屋大学 武田邦彦

Posted by ritsuko at 23:38 | |

2 26, 2007

ワシタカ類飛翔ハンドブック

ワシタカ類飛翔ハンドブック (新書)

マニアックな本です。ワシ・タカ類は見分けるのがむずかしい。それ以上に撮影するのはほんと大変。なのにこの写真はよく撮れてます。その写真をじっと見ていると、あることに気がつきます。それは、この撮影されているワシ・タカのみなさんがカメラ目線なこと!こっちが鳥を見ている以上に鳥はヒトを見ているのですね。

Posted by ritsuko at 02:46 | |

2 25, 2007

新ネットワーク思考

新ネットワーク思考—世界のしくみを読み解く (単行本)

ノードとリンク。何を見てもそう見える〜。今まで読んだ本の背表紙に隠されていた新しいページがバタバタと開いたイメージ。アリの社会も、構造主義進化論も、みんなこれだったんだよ。

スモールワールド・ネットワーク」と重複する内容が多いが、こちらの方が私のような一般ピーポーにはわかりやすい。図書館で「スモールワールド・ネットワーク」は社会学に分類されていたが、「新ネットワーク思考」はPCの棚にあった。アプリケーションの使い方とか、web2.0とは何かとか、そういう実用書の類いに分類されていたというのも、読んだ後で納得した。この本が発するメッセージは「理系」のなかに留まらず、人の生活に直結していて、具体的。

経済、言語、物理、生物の細胞、あらゆるものに現われるネットワークのモデル。西洋文明「ネットワーク」に出会う。かな。本の後半になるにつれ、「ツボと経路」とか「因果応報」とか感覚的に持っている東洋人であるわたしには、ええー?今更何を言う?というところもあったけど。

芸術の批評の分野では個々の人間性(作家の内面)に重点を置く価値観の次に来るのは、「ネットワーク」だろうと思われてきた。だからなのかよくわからないけどコンセプトがどうのこうのというアートがたくさんあって、装置があるのはいいけど「それが何か?」(by オオマエハルコ)みたいな感じがしちゃうんだけど。

ところで、「ハケンの品格」を見るたび「木枯らし紋次郎」を思い出すのはわたしだけでしょうか。

木枯し紋次郎 - Wikipedia
(お若い方はDVD時代劇チャンネルなどで)

Posted by ritsuko at 21:40 | |

2 08, 2007

匂いの記憶—知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官

匂いの記憶—知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官 (単行本)

Posted by ritsuko at 02:04 | |

1 23, 2007

ナイロビの蜂

ナイロビの蜂〈上〉 (文庫)ナイロビの蜂〈下〉 (文庫)

スクールボーイ閣下」を読み終わってから、ジョン・ル・カレは私にとって一級の小説家になった。スパイ小説というジャンルであるにもかかわらず。あれから20年。またル・カレと出会った。

私の亡くなった祖母は言った「男には社会的立場ってものがあるからね。言いたい事を言えないんだよ」「平和を守るのは女の役目だよ」と。子どものころから大事に教えられて来た事が、今踏みにじられて(日本はイラクに派兵していて、イラクでは人がたくさん死んだ)それをわたしはただ見ている。

ジャスティンはテッサが死ぬまで不正を知らなかったことになっている。でも本当は知っていたのかもしれない。きっと子どものころからそのようなことを見続けてきたんだとおもう。そしてそういうことに悩むことから自分を守る術も身に付けたにちがいない。

物語の終わりの方に出てくるセリフ。「女たちがアフリカ唯一の希望なんだよ」「女は家庭をつくり上げ、男は戦争を生み出す。アフリカ全土が男女の戦いなんだよ」男性は女性のように強くは生きられない。でも女性だってむずかしい。実際テッサは死んでしまったし。

ル・カレの「Absolute Friends」がはやく翻訳されないかな。されてるかもしれないけど、あと二年は刊行されないかもしれないな。

(ナイロビの蜂は映画化されたらしいけど、まだ見てないです。)

Posted by ritsuko at 01:46 | |

1 18, 2007

疲れすぎて眠れぬ夜のために

疲れすぎて眠れぬ夜のために (単行本)

Posted by ritsuko at 00:01 | |

1 15, 2007

スモールワールドネットワーク

スモールワールド・ネットワーク—世界を知るための新科学的思考法 (単行本)

10年ぐらい前「ウイルス進化論」の文庫版を読んだとき、あとがきに書いてあった事を思い出した。ウイルス進化論とは、遺伝子が血縁の無い個体同志で水平方向にも伝わる事がある、それを介するのはウイルスだという、新しい進化論。今では遺伝子組み換えなどバイオテクノロジーでウイルスが使われているように、実用化されている。

「ウイルス進化論」が書かれた当時はまだ新しい理論だったため、いろいろな研究者から著者に問い合わせが来たそうだ。あるとき、生物学とはまったく無縁の研究室から参考にしたいという問い合わせがあった。著者がおどろいて会って見ると、それは交通システム、具体的にはカーナビのシステムの研究室だった。そして「ウイルス進化論に基づく制御充足問題の解決」というタイトルの発表が情報処理学会で行われたといういきさつが書かれてあった。

まったく別の分野にまたがる問題。それまでの学問体系にはなかった分野。「スモールワールド・ネットワーク」は著者が「SYNC」の著者 スティーヴン・ストロガッツと共に、その存在に光を当て、模索したドキュメンタリーでもある。(SYNCにもスモールワールド・ネットワークについての章がある)

ネットワークのモデルは「ベーコン数」が有名だが、そのような現象を理論によって説明できる、いやしようとする試みがすごい。ネットワークを理論化するという試みは、昔は仮説を立てても検証のしようがなかった。それが今は巨大なデータベースを瞬時に処理できるコンピュータというものがあるおかげで可能になったそうだ。

世の中のすべての問題はすでに解決済みで、残されているのはとてつもなく難しく人類には取りつく島も無いような気がするが、世界のどこかで着々と新しい分野の研究が、というか分野が開拓されつつあるのだと思うと、いやあ、世界っておもしろい。

医学都市伝説: ベーコン数

六次の隔たり - Wikipedia

スモール・ワールド現象 - Wikipedia

ウイルス進化論―ダーウィン進化論を超えて
中原 英臣 , 佐川 峻
Posted by ritsuko at 19:57 | |

12 21, 2006

古楽とは何か

古楽とは何か—言語としての音楽 (単行本)

アーノンクールは一体何考えてるのか?著書を読んで見た。何が言いたいのかよくわからない。「