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2010年10月 7日
「銀嶺の人(下)」読了
昨夜、銀嶺の人(下)を読み終えた。
上巻でマッターホルン北壁を登頂した後、次はどの山を登るのだろう?と思っていたら、同じくアルプスのアイガー北壁だった。ただ、すぐにアイガーに挑戦する話になるのではなく、その前に淑子(としこ)は泌尿器科医として、美佐子は鎌倉彫師としての話が挿入される。これは「なぜ山に登るのか?」の答を求めるための骨になることであり、新田次郎のこれまでの2冊も同じような手法で山と山でないことをからめて山屋にとっての山のありかたを探っていた。
美佐子にとっての山と鎌倉彫りの位置付けという前提を横に置いて、鎌倉彫りの話が純粋に興味深かかった。舞台が鎌倉で時々出てくる地名や由比ヶ浜に馴染みがあることも楽しめた。鎌倉彫りの作品がどのようなものかは漠然と知っていたが(うちにもお盆がある)、特に興味はなかった。しかし、今度鎌倉へ行ったならばもう少しよく見てみようと思う。
さて、山岳小説では事故は避けられない。アクシデントこそが小説に期待するところ、もっとも読み応えのある部分、まさに山場になる。最大の山場はアイガーとさらに最後のモンブラン(ドリューとグランドジョラス)にたっぷりとってあるが、挿話に冬の谷川岳で美佐子が死にかける山行きがある。この短い話が美佐子という登り手の実力を改めて示してくれるのだが、その力量を持ってしても山からの生還は最後は運が決めることも再認識させられる。
下巻では淑子と美佐子が別々の山行きを行うことになるが、二人に共通した弱さが出てくる。死への恐れを抱きながら山を登っている。それは限界に挑んでいることからくる当たり前なこととも言えるが、最後は二人がそれぞれ婚約者、夫とザイルを組むことから生まれる弱さが書いてある。強くならず、弱くなる。これは不思議なことのようでもあり、当然のような気もする。
誰かを守ることで自分が強くなるということもあるだろうが、誰かを守ることでそこに弱みが出ることも理解しやすい。谷川岳の遭難のように弱い者を守るために自分の力が奪われるということだけでなく、相手が自分より力があっても自分を十分に守れなくなる状態になる。そこに付け入る弱さが生まれてしまう。
このバランスは難しい。淑子と美佐子は互いにベストパートナーとして認め合っていて、他にザイルを組む人は居ないと言い切っている。しかし、マッターホルン北壁の後に二人がザイルを組むことはない。この二人ではないバラバラの登攀(とうはん)がその後の登りを難しくした。
「孤高の人」を8点としたら、「銀嶺の人」は9点 (^^)/
ところで、この本に登場する淑子のモデルは今井通子さんです。TVでも見かけることがあるので、写真を見れば「ああ、この人か」とわかるでしょう。美佐子のモデルは若山美子さん。若山美子さんのプロフィールはWeb上では削除されているようです。
投稿者 oshige : 2010年10月 7日 14:51