キーボードのある景色 Scene 3
IkeShop Users Group Magazine MacTalk no.15 (1990.2.20)


今回は中国の話。1989年は激動の年と言われ、成田を発つ前日(12月25日)にはルーマニアのチャウシェスク前大統領が処刑されたという報道があった。ご存じのようにその一月前にはベルリンの壁の崩壊、さらに半年前には天安門事件が起きている。

その中国に今回は行ってきたわけだ。とは言っても民主化を取材するというものではない。行った場所は北京とは遠くはなれた広州、桂林。香港経由、4泊5日のまったくの観光旅行である。

12月26日、香港の啓徳空港に降り立ったのは夜の10時。X'masそして新年を迎えるために装った香港の夜景は、1年を通してもっとも艶やかで情緒があるという。赤、青、黄、紫ときらめき、ざわめき、匂い立つような市街地を揺れるようにくぐり抜け、できたばかりだというニューワールドハーバービューホテルに着く。この日はこれで終わり。なにせ翌朝が早い。モーニングコール5時30分。8時15分発の広州行列車に乗る予定だ。

翌朝、モーニングコールより先に目覚め支度を整える。この日の予定は九龍駅から直通列車で広州に入り、市街地を見物し、昼食を取り、そして今度は広東空港から空路で桂林に入るというものだ。

九龍駅と広州駅を結ぶ広九鉄道は途中国境を越えるため、改札に続いて出国審査、あるいは入国審査の手続きがある。とくにこの数日の東欧の動きが気掛かりでもあったので、中国側に入国する瞬間は必要以上に緊張し、入国し終えると安堵感と同時に囚われの身になったような不安がよぎる。しかしそんな気持ちはおくびにも出さず、楽しい旅行のはじまりの顔をする。

広州駅。香港から里帰りする親戚などを迎える人々がうねりのように寄っている。その群衆の中を抜け、迎えのバスに乗り込む。広州市内を案内してくれるの現地旅行社のバスである。

広州は中国でも有数の大都市。ビルが立ち並び道路も広い。まず目に飛び込んだのは自転車で往来う人々。自転車の多さは話に聞いていることなので驚きはなかったが、これらの人は昼食のために家に帰るところだという。家で食事を済ませ、そしてまた午後から出勤する。移動にかかる時間も勤務中と認められ、遠い人はお昼に間に合うように早めに会社を出て、遅く会社に戻ってくる。これでいいのだそうだ。町中にはコーラや7up、日本製カメラの看板があって意外である。

孫文を奉る中山記念堂を見学した後(ここで置いてきぼりをくうところだった)、「食在広州」というわけで、われわれもさっそく食事となる。小豚の丸焼の薄皮なんぞを食べ、テーブルにあるだけで気持ち悪くなるお酒をなめたりして、くらくらしたその足で広州美術館に行き、中央電視台の放送塔に登る。

時間もなく、ただそれだけの広州を体験しただけで広東空港へと向かう。あの中国民航機に命を預けるわけだ。空港の待合室には地味ながらなんとX'masツリーがあった。

桂林。中国民航機がぐらりと傾き旋回すると、窓に水墨画の世界があった。まさに仙人が住む、霞に包まれた山々なのだ。平地から何の前触れもなく惚然として山がそびえ立ち、白い山肌には濃い緑の木々が苔がむすように生えている。不連続な地形ゆえに雲も低く、水墨画でよく知られる景色ができ上がるわけだ。

この独特の景色は山口県の秋吉台と同じくカルスト地形と呼ばれるもので、山は石灰岩の塊である。石灰岩は風雨の浸食を受けやすく、特異な形状の山々を作り出す。鍾乳洞も多い。桂林観光の目玉は、これら水墨画の世界を左右に眺めながらの漓江下りである。

さて、桂林には2泊するのであるが、その宿泊施設はみごとなホテルであった。正面には大きな噴水があり、フロントでは日本語も英語も通じる。部屋はベッドが2つ入った部屋で、消毒済みの洋式トイレ、シャワーが備え付けられている。

このホテルは日本人、香港人を主体とした外人専用ホテルで、香港との合弁で立てられたものだということだ。外観だけではなくホテル運営のノウハウもそのまま輸入したようで、サービスもなかなか徹底している。宿泊費は1泊で1万数千円だったようで、ガイドいわく中国人の平均月収の1カ月分に当たるそうだ。「日本人は金持ちね」と冗談とも取れない言葉に返答に窮する。

部屋にはテレビもあった。東芝製である。キスシーンがあるアメリカ映画の吹き替えなどの番組も興味深かったが、何よりもCMがあるので目を疑ってしまった。デザインなどは少々古臭いがテレビ、洗濯機、冷蔵庫のいわゆる三種の神器に混ざって化粧品や薬品、カメラ、ラジカセなどのCMがあった。CMの作りは、きれいな女性が洗濯機の横で微笑んだり、新婚家庭で冷蔵庫を楽しげに使ったりと日本のCMと似たりよったりである。

そして驚いたことにパソコンのCMも流れた。ちょっと自信がないのだが、確かにパソコンのCMだったと思う。写真が映っただけで、ナレーションはもちろん中国語だったので見過ごすところだった。キーボードにぴくりと反応したんだが、あたふたしているうちに消えてしまった。

中国にもパソコンがあるわけだ。ロケットを打ち上げるだけの国だからわかりきったことではあるが、コマーシャルするほどパソコンが一般に普及しているとは思えない。ところが観光でありがちの工場見学で行った先、ダイヤモンド工場で出会ってしまった。しかもそこで見たものはT3100(東芝ラップトップJ3100の海外仕様)、その横にはIBM PC互換機とおぼしきNECの後ろ姿。残念ながら正面に回ることができなかったので画面を見ることはできなかったが、プリンタから打ち出されていた文字は漢字であった。ちなみに工場の1階には、高級デパートの宝石売り場と見間違うほどきれいなショーケースの並んだ売店があって、もちろん店員は美女ばっかりで、VISA、MasterCard、American Expressなどの国際カードが使えるときていた。

桂林でさらに驚いたのは、繁華街にゲームセンターがあったこと。テーブルではなく立ったままプレイするタイプのゲーム機が4、5台。人混みの中を前の人にはぐれないように移動している最中だったので観戦できなくて残念だったが、いずれも日本で数年前に見たようなシューティングゲームだった。人だかりができてる風でもないので、ゲーム機が登場してすでに久しいのだろう。

広州は大都市だが、桂林は人々の暮らし振りや街並みを見ると30年ほど前の日本のようである。しかしこの桂林にいきなりT3100があることをどう受け止めればよいのだろう。パソコンが不似合いというのではない。最新機種であることが考えさせられる。日本ではT3100に到達するまでにPC8001があって、FM7があって、16Betaがあって、PC9801があって、FM11があってというように右に左にと揺れたわけだ。

同じように、テレビや冷蔵庫は今やっと一般に普及しようというところなのに、桂林のホテルで見たのはカラーテレビのCMだったし、冷蔵庫は2ドア、ラジカセはダブルカセットだった。

テクノロジーは逆行しない。だからあたりまえといえばそれまでなのだが、この調子だと桂林の一般の人がパソコンを買うという時が来たとき、それはもうMS-DOSではない。はじめて買うマシンがOS/2かもしれないし、Macかもしれない。もしかするとNeXTかもしれない。いくら30年遅れてるねと言ったところで、その30年はいとも簡単にショートカットされてしまうのだ。

でも本当にそうだろうかと考えると、技術の蓄積とはそんなものではないという気もする。事実、日米間のソフトウエア技術の格差はいっこうに縮まらない。でもだから中国は追い付けないということにはならない。中国には日本にはない圧倒的な文化があり、そして10億を超える人々が住んでいる。また何より興味深いのは、始めから完成度の高いパソコンシステムに出会うことがどう影響するのかということだ。

ワンボードマイコンやテープOSで四苦八苦し、MS-DOSがどうだこうだと言っている間にわれわれはいったい何を学んだのだろう。 MS-DOSを習得している人はMacIIciをいきなり買ってしまった初心者よりもどれだけ進んでいるというのだろうか。

テレビも洗濯機も冷蔵庫もあるから文化的だと言っているようではこの問いにうまく答えられない。


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