朝4時半に起きて海にいく。湘南の波はせいぜい腰ぐらいの高さで、湖なのではと思うようなさざ波の日も少なくない。でも、低気圧の前線が関東地方を西から東へと通り抜けた雨の翌日。そして、遠く南の海上に台風が発生し、ゆっくり北上し出したとき。湘南の海は大きく呼吸をはじめる。波のサイズが肩から頭、そしてヘッドオーバーへと上がる。高さだけではない。厚みも増し、ついに波は山のようになる。そんなときは、ゲッティングアウト、パドルして沖に出るのも大変だ。ボードに腹ばいになった状態で波を見上げるとヘッドオーバーの波はさらにその何倍もの高さに見える。崩れる波に何度も押し戻され、そしてやっと波のブレイクポイントの裏側に出る。サーフィンは波の崩れるその前の坂を降りるわけで、波待ちの場所は、波が崩れる地点より少しだけ沖合いになる。そして波が来ると波に合わせて岸に向かってパドルしてスピードを付け、波がくずれる瞬間のそのちょっと前の、ボードがスーッと滑り出した時をとらえてボードに立つ。
ヘッドオーバーの波になるともう波に乗るとか坂を降りるではなく、真下に落ちる感じだ。気合いを込めてボードに立つと海面が一気に迫り、スケッグ(ボードの裏に付いているフィン)がヒューと悲鳴を上げる。振り替えって見上げると波頭が落ちてくる。それを横に逃げ、足元にできたばかりの壁をさらに先へと加速しながら降りていく。
でも、パドルスピードが足りなかったり、テイクオフでためらうとノーズが海に刺さり天地がひっくりかえる。それからは洗濯機状態。足はボードに結んだパワーコードでひっぱられ、手で頭を抱えたままなすすべもない。波が通り過ぎるまで息をこらえて待つだけだ。
ぼくはそのどの瞬間も好きだ。パドルして沖に出るのも好き。ボードに座って波を待つのも好き。もちろん波に乗るのが好き。そして、洗濯機状態も悪くない。でも、実はもうひとつ大好きな瞬間がある。それは大きい波が音を立てて崩れていく様を波の裏側から見る時だ。波は前側に砕け落ちるだけでなく、後ろへもはじけるのだ。水面がまるでソーダ水のようにパチパチとはじけ飛ぶ。それを見るとぼくはいつも感動する。何度見ても「スゲー」と声に出してしまう。
波のそんな姿は海岸から見たのではわからない。だからぼくはサーフィンのことを聞かれると、波に乗ることとは別にいつもこの特別な瞬間の話をする。そしてぼくはこう思う。Macの中にもソーダがはじける瞬間がある。パワフルでそして美しく、幻想な時。凝縮されたエネルギーが一気に変換していく様。
ぼくはテクニカルライターとして、それを見たいと思う。それを見て語るのがぼくの仕事なのだろうと考える。