ぼくが新宿駅をよく使っていた頃、丸の内線から小田急線へ向かう通路の階段の上がり口の、真ん中の大きな柱の前で黙って、「私の詩集を買ってください」という小さなプレートを胸に下げて女の人がまっすぐ立っていた。すくなくとも見ている間に誰かがそれを買うことはなく、彼女がそれを売って生活しているとも思えなかった。行きずりの誰でもいい人に自分の詩を読んでもらいたいというのなら、売るなんてことせずに配ってしまえばいいとも思った。
でも彼女にしてみれば、ビラやティッシュを配るように自分の詩集を配ることは考えたくなかったのだろう。面倒臭く受け取られて、川を流れるゴミのように自分の詩集が人混みに浮き、少しも歩かないうちにごみ箱に捨てられている。それは耐え難いことだ。
自分の詩集の値段がいくらなのか。それをお金に換算することも気が向かないことだったろうけど、お金を出して買ってくれた人はきちんと読んでくれるに違いない。そう考えたのだろう。あるいは、お金を差し出すということ。それを受け取り、詩集を渡すということ。その行為の中に何か気持ちの受け渡しのようなものの存在を感じていたのかもしれない。
しかし、彼女の立ち姿は胸に下げた「買ってください」という文字とは裏腹に人を寄せ付けないものがあり、そこだけ白く空いた塗り残しの絵のようにしていた。その姿はなにか修行のように見え、そうまさに托鉢そのものに映った。彼女にとってそうやって黙って立っていることは、詩を書くことと同じくらい大事な意味をもっていたのかもしれない。今思えば、それもまた彼女のメッセージだったと気付くのだった。
白状すればぼくも自分の詩集を作って売ったことがある。中学の時はガリ刷りで、高校、大学ではコピー機で作った。値段はコピー代の100円だった。でも、街頭に立って売りさばくというものではなく、迷惑にも友人に売りつけていた。友達から100円取り上げてはコピー機に走るわけだ。考えてみれば、ぼくは今でもそれと変わらないことをしているわけで、人間として成長が見られないのがなんとも嘆かわしい。
そして昨年からは懲りもせずにインターネットにホームページを開いている。今頃になって昔話をしたのは、そういう理由にある。人のホームページを見ると、最近どうもあの新宿の地下通路に立っていた女の人とイメージが重なってしまう。ホームページのことをテレビや雑誌のインターネット特集では、個人が世界に向けて情報発信するとか、もうちょっとかっこよくデジタルインディーズとか言うけど、ぼくは自分でホームページ作りをしていて「デジタル私の詩集」「オンライン私の詩集」のような感じが抜けないのだ。
それというのは、決して中身が詩集というのではなくて、どんなにクールな(って表現はクールじゃないけど)ページでも、いやクールなページであればあるほど、かたくなに立ち続けている彼女がぼくには見えてしまうのだ。
誰が読んでくれるかもわからない。誰も読んでくれないかもしれない。でも、毎日せっせとページ作りをする。存在しない読者に「お久しぶりです」なんて語りかけたりする。「楽しいことと悲しいことがありました」と報告する。そこは私の場所で、明日もそこに立たなければならない。こないだ詩集を買ってくれた青年がまたやってきて、私に何か言うかもしれない。そのときそこに私が居ないと悲しむかもしれない。
ホームページ作りを2カ月、3カ月と続けていると誰もがそういうデジャブーに迷い込んでしまうことだろう。そう、自分が張ったクモの巣に捕らえられて身動きできない自分に気付くのだ。
でも大丈夫。そうやって磔(はりつけ)の日々を過ごしているうちに少しずつ回りが見えてくる。彼女はいつか悟るだろう。自分にとって特別な場所を作ったのは自分自身だし、特別な時を作ったのもほかならぬ自分だということを。
特別な場所なんてないのかもしれないし、もしそこが特別というのなら、そこをそうしたようにほかのどこでも特別な場所にすることができるはず。特別な時だと信じていた時間は、はじめから自分の時間だったわけで、そう思えば時間はもう少しゆっくり流れている。
冷蔵庫を開けたら牛乳が入っていたという普段の生活がある。インターネット接続は、それと少しも違わない。日常の普通の場所と普通の場所が普通の時間の流れでつながっているだけだ。