未来の記憶
Backpackerというギターを買った。民族楽器のようなスリムな形のギターで、人が弾いているのを見て欲しくなった。その彼がとてもうまかったこともあるが、小さいのに音がよかったという印象がずっと尾を引いていた。

楽器店がひしめく神田に行くとそれが店頭にぶら下がっていた。値段も手頃で、よく見るとなんとMartin製だ。憧れのマーチン。僕は中学、高校といわゆるフォークブームのときにギターをやっていて、マーチンギターが欲しかった。だってそのときは友達から5000円で譲ってもらったギターを弾いていたのだから。

大学では下宿の先輩に誘われるがままにジャズとは知らず軽音楽部に入部。ここでもギターをと思ったら、同期に自分よりはるかにうまい奴がいてあっさり辞退。僕はドラマー、もう一人のギター希望者はテナー奏者になる。深爪のクセは直らなかったが、左手の指先はやわくなり、代わりに両手にスティックだこができた。でもそれも、右親指の腹に小さなひっかかりが残るだけで今はない。

ギターを買って帰った翌朝。15、6年ぶりのチューニングで、いきなり3弦を切る。次の日、今度は1弦を切る(弦と音叉はオクターブが違うので高く合わせてしまうのだ)。ハーモニックスの調弦法を思い出し、やっと弦を切らなくなる。指先も弦と擦れるキュッという音を立てるようになってきた。

6、7年ほど前のこと、義務教育の教育課程にコンピュータが導入されるという話が出たとき、コンピュータリテラシイという舌を噛みそうな言葉が取りざたされた。読み書きの素養のように、コンピュータに対する素養がこれからの時代には不可欠であるという。

往々にしてその議論の多くは子供たちの将来というより、むしろ、ワープロに悩む中年サラリーマンの行く末を憂う結果を招いたが、確かにコンピュータリテラシイは若い時期に養われるべき能力のひとつだと言える。しかし、何をもってコンピュータリテラシイとするのか、答えは出ず仕舞いだ。

キーボードアレルギーを取り除くメンタルトレーニング?ブラインドタッチ競争?素早く正確なポインティングのためのマウスの特訓?認識率を上げる正しい書き方教室?それとも音声認識に備えて正しい発声の練習?そうだ、マルチメディアだ。ビデオ映像をパソコンに取り込んで発表をしよう。でもこないだ畳屋さんを取材したばかりだし、豆腐屋さんは隣の組が行ったばかりだし・・・。

忘れていたはずなのに、自然に指が次のコードを押さえる。それが不思議でたまらない。コードを弾くと、懐かしいメロディが口をついて出てくる。僕はそれをどこで記憶していたのだろう。思い出したくても思い出せないものもあるというのに。僕は歴史とか地理、人の名前を覚えるのが極端にダメだ。なのに、僕の中には、僕が忘れていたものがまだ記憶されている。

将来役に立つ記憶。僕の中には、まだこれから役に立つ記憶が隠れているだろうか。それとも、もうこの歳だから、役に立つものはすべて出尽くしただろうか。

映画ターミネータではこれから起きる未来に備えて、母サラが息子にサバイバル術を叩き込む。確実で避けられない未来。しかし本当に避けられない未来はあるのだろうか。

もし人間に他の動物より優れている能力があるとすれば、それは未来を発明する力だ。その力ゆえ、未来を憂い、脅える。そして、その力ゆえ、未来を熱望し、勇気を奮い起こす。今学ぶべきことは未来に備えるための知識ではなく、未来を作り出す知識だ。


ASCII MacPower 1994.7月号掲載
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