キンパツネ
バリ島。クタ、レギャン通り。

Tシャツ、木彫り、彫金、竹カゴの店の前に売子が座り込んで行き交う観光客に声をかける。道路沿いのいたるところに「タクシー?」と言って両手で運転のまねをする客待ちの男たちもいる。ミネラルウォータやコーラ、煙草を売る屋台の男も声をかけてくる。通りすがりにカバンのふたを開けてパッと閉める少年たちもうろうろしている。カバンの中身はニセブランドの安物の時計だ。女性には「マニキュア」と言って女が近づく。なんと昼間から「マヤク」という声も2度、3度と聞いた。でもこれは普通のこと。ぼくはさらに違っていた。

「アナタ、ニホンジン?」3m進む。
「キンパツネ」5m進む。
「カッコイイネ」また、5m進む。
「ハーフ?」4m進む。
「ヤンキー」6m進む。

こんな調子。ぼくは今、金髪、パツキンだ。
よりにもよってパスポート更新の年にぼくは金髪にしてしまった。5年間これを使う。

「かっこいい写真が撮れたね。外人と間違えられて帰ってこれないかもしれないよ」

パスポート申請所の係のおじさんがそう言った。それは日本から既にはじまっていたのだ。

最初の滞在地、バリ島内部のウブド村ではそれでもみんな控え目だった。まったく気にせぬ風か、自分の髪を指してぼくにメッセージを送った。店の女の子たちは、ぼくと目が合うと逆に恥ずかしそうにしていた。

しかし、観光客や外国人労働者でごった返す海辺の街、クタは違っていた。ホテルから出て浜辺に足を踏み出したとたん、いきなり男が笑い転げながら肩を組んできた。

「キンパツ。カッコイイネ。サーフィンスル」

男はげらげら笑っている。笑いながらサーフボードやゴザやパラソルを借りろと商売してくるのだ。 馴れ馴れしく肩を組まれるのはかんべんだが、「キンパツ!」と驚くのはわかる。それは素直な反応だと思う。金髪の日本人はよっぽど珍しかったらしい。レストランでは「浜辺デ見タヨ」とウエイターが言う。ホテルの女性フロントたちもぼくの髪についてみんなで盛り上がっていたらしく、眉毛の色が本当の色だと教えるとやっぱりねと笑顔を見せた。

日本でも状況はさほど変わらない。ただ、声に出して「キンパツ」と言うのは小学生ぐらいまで。見た瞬間に思わず口をついて出たという感じだ。それでも5、6年生ぐらいの女の子になると「キンパツ」と言った後であわてて口を押える。すると回りの子がドッとうける。大人になると無視というより、それを言ったらいけない、じろじろ見たらいけないという反応だ。ぼくらはいつの間にか思ったことを口に出すのをためらうように教育されているのだろう。口に出して良いか悪いか、それを社会のルールとして学習する。裏返せば日本社会はバリほどに自由奔放ではないということかもしれない。

バリではぼろぼろの犬もたくさん見た。どれも痩せていて、毛の抜けた裸の老犬も多かった。昼間は道端に死んだように寝ていて、捨てられた供物の残りを食べている。もちろんどれも野犬である。日本では野犬は許されていないから、ぼろぼろの犬なんて歩いていない。バリでは犬をかわいがる習慣はないらしいが、邪険にされている風でもない。

ぼくは犬や猫を見るといろんなデザインがあっていいなと思う。色も大きさも形も生活もさまざまだ。不思議なことに人は犬や猫の形態を寛容に受け入れていて、変な顔の犬や変な柄の猫などのほうが人気があったりする。

人も肌の模様が、ぶち、とら、トムキャット、三毛というようにいろいろだと楽しいと思っている。それに加えて髪の色や目の色が違う。人はそのバリエーションを楽しむことができるだろうか。それとも同じ柄の同胞を探し回るのだろうか。何より、見てわかる違いに惑わされないもっと賢い動物になるだろうか。

暑いバリでぼくはそんなことを思っていた。


ASCII MacPower 1995.1月号掲載
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