トゥルルルル。
『もしもし、ビデオですけど』
「ビデオ?どこの」
『リビングのビデオです。昨夜のお帰りが遅かったので今日電話しました』
/ASCII MacPower 1995.2月号掲載
はじめぼくは「インテルばぐってる」という題で今回のエッセイを書こうと思っていたのだけど、大晦日にテレビを見ていたら大笑いしてしまって気が変わった。/ASCII MacPower 1995.3月号掲載
「知恵を絞り、手塩をかけて作り上げた街を突然の大地震が襲う。いたるところから火の手が上がり街はさながら空爆を受けたようになってしまった」これがレビュー記事ならば、それはシムシティの紹介だ。/ASCII MacPower 1995.4月号掲載
PBC01245「やだなあ〜。(T_T)」
MPW***「どうしたの?浮かない字ヅラして」
PBC「サーファーは嫌いだって」
MPW「何それ?」
/ASCII MacPower 1995.5月号掲載
ぼくは初心者をサル扱いにする本が嫌いである。それは誰にでもわかりやすいということを強調するコピーであることはもちろんわかっているが、企画会議のジョークでなく、それを書籍の表紙に刷ってしまう感覚を疑う。/ASCII MacPower 1995.6月号掲載
「皆様、この度はご搭乗まことに有難うございました。謹んでご案内申し上げます。本日の天候は晴れ、眼下には富士山麓が迫っております。おくつろぎのところ誠に恐縮ではございますが、ご着席のうえ、シートベルトを装着願います。なお、禁煙サインがつきました。しばらくの間お煙草をご遠慮くださるよう重ねてご案内いたします」/ASCII MacPower 1995.7月号掲載
ネットワークのIDが1つ増える度に自分が公開されるのではなく、自分が裏へと潜っていく。パスワードは深く潜るための深呼吸。インターネットは地球規模の裏ネットワークへの入り口。モデムがどことつながっているのか自分にもわからない。/ASCII MacPower 1995.8月号掲載
6時30分。定刻にメンバーが登場し、1曲目が始まった。そしてすぐに、やられたと思った。ものすごくカッコよかった。リズムに緊張があって呼吸が凝縮していた。音が立って、それは耳にではなく鼻の奥に届くようだった。彼は極めるために向かっていた。/ASCII MacPower 1995.9月号掲載
いまさら指摘するまでもないのだけど、でも、いまさらながら思うのは、たとえばこの原稿である。今日は8月3日。そして、この原稿が本となって書店に並ぶのは9月18日である。/ASCII MacPower 1995.10月号掲載
ぼくたちMacユーザーもSystem 7をずいぶん待たされたものだった。でも、System 7がリリースされたからと言ってパソコンショップに行列はできなかったし、新聞もTVもそれを話題にすることはなかった。それを思うとWINDOWS 95の注目度というか露出度はハンパじゃない。/ASCII MacPower 1995.11月号掲載
ただばくぜんと「Macはいいらしね」というバージョンがあるだけで、止まっていたわけだ。言うなれば、MacOSが進化していることが一目でわかるようなデザインのマシンを投入してこなかったということでもある。そして、もうひとつの見方をするならば、MacOSは1987年頃にすでに2000年ぐらいのバージョンを描いていて、それを少しずつ作ってきた。これはつまり、本当にMacOSのバージョンは止まっていたと言えるわけだ。/ASCII MacPower 1995.12月号掲載