アコースティック・コンピュータ
昨夜、本当に久しぶりにコンサートに出かけた。ゴンサロ・ルバルカバ(Gonzalo Rubalcaba)を知っているだろうか。天才と呼ばれる若いピアニストだ。彼を生で聴くのはこれが2度目らしいのだが、実を言うと前回、それは4年ほど前のことだが、山中湖でぼくはすっかりいい気分に酔っぱっていたのか、情けないことに彼のことをまるで覚えていない。

6時30分。定刻にメンバーが登場し、1曲目が始まった。そしてすぐに、やられたと思った。ものすごくカッコよかった。リズムに緊張があって呼吸が凝縮していた。音が立って、それは耳にではなく鼻の奥に届くようだった。彼は極めるために向かっていた。

そして今夜はJack Daniel'sを飲みながらロリンズ(Sonny Rollins)をレコードで掛け、PowerBook 100でこれを書いている。レコードはすべて売り払って、CDに買い替えようと思ったことがあった。でもそれをしなくてよかったと思う。レコードを売るのではなく、壊れたレコードプレーヤを新しい物に買い替える判断は正しかった。

何度か氷を取りに立った。レコードを何度か裏返した。回転数をチェックする赤い光がターンテーブルにゆらめくように映って時間が過ぎていった。

なぜかぼくはその日のことを思い出した。MacPlusとSEを下取りに出す前に何枚かの写真を記念に撮った。ケースを空けて、内側の開発者の名前と並んで自分の名前をマジックで書こうとした。でも、どうしても鮮明に書き残すことができなかった。SE/30が残り、数日後IIcxが届いた。6年ぐらい前のことだったろうか。

B面が終わり、次のレコードを選ぶ。ぼくはロリンズが好きでベイシーが好きだ。そしてはやりマイルスが好きでコルトレーンが好きだ。エルビン・ジョーンズが好きでマックス・ローチが好きだ。ドルフィーもカッコいい。いろいろ聴いてもやっぱり彼らがいい。若い時分の彼らの演奏は今を突き抜けて進んでいる。

ぼくはそれに改めて気が付いた。アコースティックな楽器が古いわけではない。ましてやアコースティックな演奏が古いわけではない。そもそも、突き抜ける新しさはそういったことでは計れないし、制止することもできないはずだ。

明日の新機種は今日の新機種を過去に追いやってしまう。果たしてそれは進んでいるということだろうか。下りのエスカレータを登り始めてしまったように、足を止めると背中の方に戻ってしまう。

ぼくが毎日向き合っているものは何だろう。ぼくが調べなければならないことは何だろう。明日のことが知りたいと言っているぼくが、今日知っていることは何だろう。

・・・

長くキーボードに向かっていると猫が邪魔しに来る。少しの間、猫の足の仕組みを調べ、耳の中を覗く。そういうことを1日に何度もする。


ASCII MacPower 1995.9月号掲載
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