インテル笑ってる
はじめぼくは「インテルばぐってる」という題で今回のエッセイを書こうと思っていたのだけど、大晦日にテレビを見ていたら大笑いしてしまって気が変わった。

その番組はスタジオに集まった100人ぐらいの芸能人にアンケートをとってその場で集計し、それを素材にして笑おうというものだった。そのとき、アンケート集計に使われていたのが我等がMacだった。

これは「所さんの笑ってヨロシク」っていう他局の番組のパクリなんだけど、あちらはリアルタイム集計に見せた録画編集であるのに対して、この番組は本当の生番組だった。一回きりの特別番組でしかも生放送。もうそれだけでぼくのネジはキリキリキリと巻かれてしまった。

一瞬、数台のMacに囲まれたオペレータチームが映った。そしてその中にぼくはアップル社のAZさんを見た。彼はこんなことには関係ないセクションの課長だ。本当なら生まれたばかりの子供をひざに抱えて新年を迎えるばかりというハズなのに、大晦日の夜にオペレータをやっている。見間違いだろうか、いや、あの不精ヒゲは・・・。

それはすぐに起きた。1994年に活躍した人のアンケートで、イチロー選手を押した人が何人もいたのにこれが集計されなかった。「??」って感じが漂って、それから数問しないうちに、「この回答のAさん・・・」って司会者がAさんに水を向けると「自分はそれを選んでません」「それは自分です」「いえ、あたしじゃないです」と回答者と集計値が一致しない。さらにポイントを獲得するゲーム仕立にもなってたので、「わたしたち正解ですけど」ってな具合で、あちこちからボロが出てきた。そしてついに出た言葉が「このコンピュータ変!」「コンピュータが間違ってる」。

巻いたネジがビヨヨンとはじけてぼくは笑い転げてしまった。何がおかしいって、それまで連日のように新聞にはペンティアムのバグ騒動が載っていて、それでも止めない「インテル入っている」っていうコマーシャル。ぼくはあれを見るたびに口癖のように「インテルばぐってる」って言い換えてたのだけど、インテル入ってる側の人は年末にMacの醜態を見て苦笑してるだろうなあって、それを思うとおかしかった。きっと原因は、出演者の席順が間違っていたなんてアホらしいミスに違いない。もうみんなで大笑いだ。

バグっていうのはシステムの中に潜んでいる、内在していると考えている人もいるだろうけど、実際にはバグの要因は外にあることがほとんどだ。そんなつもりで作ったんじゃない、そいう使い方は想定していない、そんな話ばかりだ。

JRの自動改札機には故障時のためのリセットスイッチが個々に付いているらしいんだけど、これを押して改札を抜け出る悪質な行為が断たないため、スイッチを二重にする改造を急いでいるらしい。つまり、すべてがそうなのだ。

形があるものは壊れるって言うけどそうじゃない。形がないものだって壊れるのである。それはある日突然崩れ落ちるかもしれないし、徐々に何年もかけて壊れるかもしれない。哲学的に聞こえるだろうけど、すべてのものが存在自体がもう壊れている一歩なのだ。規則も価値観も思想も、それには形がないけれど壊れていくのである。それは避けられない。大切なのは壊れていくことに気付く能力だ。そしてそれを修復、治癒する能力があるかということだ。そしてさらに大事なのは、どれくらいまで壊れても大丈夫かということに尽きるだろう。

さてここで気になるのは、アップル社はどれくらい壊れたかということだろうか。


ASCII MacPower 1995.3月号掲載
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