アヒルちゃん

アヒルちゃんがぼくの腕とか胸をだいだい色のくちばしでつつくから、「なあに?」って目をやると、今度はお尻をふりふりしながら向こうの壁に泳いでいく。

アヒルちゃんは中国生まれ。東京の恵比寿に売っていた。アヒルちゃんにはモーターも電池もCPUも入っていない。入っているのは中国の空気だけ。空気しか入っていないのに、お風呂の池をあっちへこっちへ、ふりふりしながら気ままに泳いでいる。ぼくがときどき大きな波を立てても、ちょっとだけおっとっとって感じになるけど、アヒルちゃんは泳ぎが上手だからひっくり返ったりしない。

お風呂に入っていると、ときどきシャミ(わが家の猫)も入ってくる。バスタブの縁を一周してまた出ていくときもあるけど、居座ることもある。そんなときは、お風呂に半分だけふたをして、その上にバスタオルを敷いてやる。するとシャミはその上でグルーミングして香箱を作って寝てしまう。仕方ないからぼくは遠慮気味にシャワーを使い、そして、半分のお風呂に顔を出している。

お風呂から上がり、後ろで結べるほど長くなった髪をドライヤーで乾かす。パンツをはき、寝間着代わりのスウェットパンツをはき、Tシャツを着る。ぼくは1年中Tシャツだから、たくさんTシャツを持っている。なにしろ、何かにつけてTシャツはよくもらうし、買ってくる。先日もSTRATAのパーティーに行って、戦利品としてTシャツ2枚とキャップ2個をゲットして帰ってきた。キャップは2個とも知人にあげたけど、Tシャツ2枚は家にある。でも、そのうち1枚はWindows版のSTRATA MEDIA Forge2.0のTシャツなのでわが家では人気がない。

お気に入りのTシャツは、ある程度着てくたびれてくると、ダメになる前に保存版としてコレクションに回る。保存版になったTシャツの中には、非売品や限定版のMacのTシャツとかNeXTのTシャツが多い。

でも、最近はどうもMacのTシャツを着るタイミングが難しい。MacのTシャツを着ていると、なんか特売品を買った人っていうか、普通の人々100人っていうか、Tシャツがメッセージ媒体だとあえて言ってしまうならば、メッセージがないっていうか、さりげなくカッコよいということがなくなってしまったような感じ。

だけどまたちょっと、Macのかっこよさが復活する兆しがないわけではない。Windowsがますます主流になれば、Macを選んでいる人は断然ポイントが高い(でも、Soft Windows入りじゃウゲッだね)。

昔、MacPlusのメモリを増設しようと開けたら、中身が空っぽなんでぼくはなんだかうれしかった。手品のタネを明そうと箱を開けたら中には何も入ってない。その不思議が楽しかった。

ぼくのMacPlusはときどき猫のように首根っこをひょいとつままれて、隣の部屋に連れ出された。あのころ、MacPlusを背負って散歩してた人もけっこうたくさんいた。回りのみんなは気付かなくても、Macユーザーには遠目でもすぐにわかる。

あれから5年ぐらい経って、ぼくのMacは床の上に立っている。片手はおろか、両手で持ち上げるのも大変。しかもモニタはさらに重い。これじゃとっても一緒にお風呂は無理な話。 PowerBookなら?そうねえ、PowerBookはやっとヒザの上だよね。どうして空気しか入っていないアヒルちゃんのようにならないんだろ。性能が違う?いや、そうでもないよ。アヒルちゃんとお風呂に入っていると結構ぼくの想像力とか処理能力が上がるんだよ。これって、Macの仕事でしょ?デニス・ホッパーがアヒルちゃんを手放せないのがよくわかる。

つまり、中国の技術をあなどるなってこと?そう、まさに技術の問題だ。ある意味において、アヒルちゃんはMacより優れている。もちろん、アヒルちゃんにインターネット接続はできないよ。絵も描けないし、原稿も打てない。でも、よく考えてみると、ぼくがMacの前に座って、モニタをじっと見ている時間、キーボードに手を置いている時間、マウスを手にしている時間、その時間のほとんどはMacが考えているんじゃなくて、ぼくが考えているんだ。ぼくが機能しているんだよ。ということはつまり、ぼくの仕事の能力というのは、その大半はMacの処理能力ではなくてぼくの機能と処理能力に依存しているわけで、言い換えれば、Macの処理能力よりもむしろぼくの処理能力を上げることのほうが全体の能力を上げることに貢献するわけだ。

ということはどうだい。ぼくの頭をふりふりで活性化させるアヒルちゃんの能力は注目すべき機能なんだ。アヒルちゃんを電灯に透かしてよく見ると、確かに中身はからっぽだけど、お腹の下の樹脂がすこし分厚い。そう、それが重りになってバランスを作っている。ふりふりの動きは前後でなく、左右にお尻を振るようになっている。静かな水面では後ろ向きでなく、前向きに進む形になっている。電池でもなく、電子制御でもなく、音声チップもなく、ただ入っているのは空気だけ。だけど、そこにはたくさんの技術がある。


ASCII MacPower 1996.5月号掲載
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