ぷかぷか
Shockwaveの本を書き上げたばかりのぼくは、セミの抜け殻のようになってしまって、1日中眠くて眠くてしかたない。

本を1冊書くと、だいたい1カ月位はボーッとしている。そんな余裕もゆとりもないんだけど、結果としてボーッとしてるのだ。

これはどうも自覚するに、仕事を終えた達成感から来る脱力感というかっこいいものじゃなくて、ただ単に次のことを始めるのが面倒なだけに過ぎないのだな。でも、次に潜るために息継ぎに出てきたようなものだから、いつまでも頭を出しているわけにもいかない。息を吸ったならまた水面に突っ込まなければならないのだ。

ぼくがShockwaveの本を書き上げた日は、ちょうどアトランタオリンピックの最終日だった。谷口の走りをみながらぼくは最後の原稿を書いていた。谷口はもう日の丸を付けて走ることはないだろうと語っていたが、あの日閉会式にいた選手の多くは、あくる日から次のシドニーに向けての日々がまた始まるのだろう。彼らはまたこれから4年間潜るのだ。

来年のことさえわからないぼくには4年後のことなんて考えられない。何度も息継ぎに出てはまた潜るという繰り返しだ。ぼくにとってそんな今の生活スタイルは比較的合っていると思うのだけど、それでもやっぱりもっと違う生活はないのだろうかと思う。それは人生を考えてという深い思慮ではなくて、単純にこんなんでだいじょうぶかなあという不安と、もっと楽勝はないかなという甘い考え。

できることなら潜ったりせずに、ぼくはぷかぷか浮いていたい。でもきっとそんなぷかぷか生活を続けてると体形までもが浮き袋のようになって、ちょっと深くまで潜ってみようかって時には、ちっとも体が沈まなくなってしまうんだろう。かっこよさを取るぼくとしては、そういうのはちょっと嫌だな。体が少しも沈まず、息も続かない自分がいたらきっと悲しいに違いない。

だけどちょうど今みたいに、外灯がつき、外で遊んでいた子供たちも家に帰り、静かな夕暮れがぼくの部屋に入り込んでくると、ぼくは本当は、ただじっとしていたいんじゃないかと思えてくる。さあて何をしようと1日考えているのは、本当は何もしたくないからなんだ。でも、それじゃ人間はいけないと教わってきた。何でもいいから、やらないよりやったほうがいい。何でもいいから、止めずに続けることが大切なんだ。そう教育されてきた。そしてその教育のかいあってか、ぼくもそう思うようになった。

毎日何もしてない人を見ると何かしろよと言いたくなる。のんびりしている人にはさっさとやれと言いたくなる。自分がやったほうが300倍ぐらい速いと本気で思ったりする。暇な人を見ると心配になり、忙しくてたまらないと聞くと安心する。

でも誰もが、そういうのはどっか間違ってると思うようになってきているようだ。花火大会を見に行って、次の花火がすぐに打ち上がらないともう終わり?と帰ろうとしちゃいけないのだ。何にでも緩急のリズムというのがあって、そのリズムを楽しめるようになってはじめて、本当のよさがわかるのだろう。

その点、パソコンというのは難しい。パソコンの緩急はどこにあるのだろう。パソコンのリズムはどういうノリだろうか。Macの場合、プルダウンメニューから項目を選択するとチカチカチカと3回ウインクをする(違う回数に変更もできるけど)。こういうのも、ちょっとしたリズムかもしれない。でも、もうちょっと大きなノリでとらえたとき、自分はどういうふうにパソコンのリズムを理解しているのだろう。いや、パソコンを使うのは自分なのだから、パソコンにリズムを与えるのは自分なのだろうか。

いやいやそれだけじゃない。やっぱり、パソコンを作った人のリズム、ソフトを作った人のリズムというのもきっとあるに違いない。そのリズムとぼくのリズムが合うかどうかも大事なことだ。

じゃあとりあえずぼくの場合、もう少しだけぷかぷかしていたくて、それからまた深呼吸してぐっと潜れるというリズムのソフトが必要なわけですね。

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長い間、ぼくのエッセイを楽しみに読んでくれた人、ありがとうございました。これで終わりです。バックナンバーを読みたい人はぼくのホームページにあります。もしかすると続きも書くかも知れません(約束はしませんが)。ではそういうことで。終了。

●絵を描いてくれたのはるじるしさんです。


ASCII MacPower 1996.10月号掲載
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