9 27, 2005

久しぶりに銀座に

行ってきました。AppleStoreに詣でると、オシャレな若いカップル&ファミリーでギュウギュウ詰めでした。道路に面したショーケースに飾られたiPod nanoの前を通る人は老いも若きもオバチャンも口々に「薄い!」「かわいい!」と叫んでいましたねえ。

写真は1丁目付近の更地と、JRの高架下で待機中のハイヤーのみなさんです。

出かけたのは、一昨年まで所属していたゴスペル教室の発表会を東京国際フォーラム・ホールAに見に行くためでした。教室を去ってもなお、声をかけてくれる友人たちがいる。。。本当にありがたいです。江ノ島音楽祭の時も舞台上から客席の私を見かけたかつての仲間がメールをくれました。とってもうれしかったです。

私がお世話になっていた教室はヤマハで宗教とは無縁です。でも関東圏だけでも数千人の生徒さんたちが、初めて会った人同志でもすぐハモれる。その組織力は、音楽が好き、歌うのが好き、ゴスペルの曲が好きという単純な気持ちに支えられているのです。音楽の力ってすごいです。音楽の力といえば。。。私たちの先生、淡野先生と有志の精鋭がニューオーリンズに行った時のレポートです。

■ニューオーリンズのフェスティバルで歌う!?
 総勢60名のAWANO GUMIメンバーは、不安と期待を胸に秘め、成田空港を飛び立った。というのも、「淡野保昌プロデュース ゴスペルの源流を訪ねる旅 Part2」となる今回の旅は、なんとニューオーリンズで開催されるゴスペル・フェスティバルへの出演がプランニングされていたからである。

信者でもないのにゴスペルを歌うわたしたちってどうなの?という問題はいつもついて回ります。私が思うに、たとえばクラシック音楽も元々は教会音楽なわけですけど、現代ではバッハのマタイ受難曲やベートーベンの第九を歌う人が全員キリスト教徒なわけではないですよね。でもその歌詞の意味を知らない人でも、音楽そのものに感動したり涙したりします。

音楽はどこかで生れ、民衆に歌い継がれ、教会でスタイルができることもあり、そしてまた普遍的な名曲としてすべての人々に戻ってくる、そういう何者をも越えた存在なんだと思います。

音楽を奏でるのは人間だけど、それが合わさると一人一人を越えた存在になる、クワイヤ(コーラス)の中に居てみんなの声が一つになるのを聞くとそう感じます。この感覚はサーフィンにも共通する所があります。いい波に乗せてもらった時、大きな存在である自然と一体になれた感覚。そしてこの快感はクセになります。そのイメージが何度も夢に出てきたりします。私は変わった人間なので、時々そういうのにハマルと自分がやばくなるかもと怖くなる時もありますね。

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