シリーズ〈共生の生態学〉

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

「クモのはなし」を検索していてふと目に付いたこのシリーズ。師匠から「このマユ調べといて」と渡された草の茎についた直径2cmほどの白いマユを、マヨネーズの空きビンに入れて放置しておいたところ、ある日20匹ほどの小さな羽虫がマユから羽化していた。2ミリほどの小さな羽虫はビンのフタのガーゼに阻まれて外に出ていけずに、ビンの底でお亡くなりに。。。気がつかなくてゴメンよ。。。その虫をルーペでみると、それは小さいながら一応ハチ(蜂)だった。こんな小さなハチが存在するとは!

一つのマユから20匹。。。何か出てくるなら1匹だとおもっていたのに。マユをカッターで切ってみると、外側の白い糸とは少し色が違う糸によって、細長いマユが同じ方向にそろって積み重なるようになっている。ハチの幼虫が集まって規則正しく整列し集団で繭を作りサナギになったのだろうか?どうやって?

岸一弘先生に写真をお送りして見てもらって、ハチはコマユバチの仲間ということがわかった。ネットで検索すると、大変恐ろしいことが書いてある。コマユバチの仲間のメスは、ガの幼虫(アオムシ)に卵を産み付け、孵化した幼虫はアオムシの体内で生き続ける。成長すると宿主の表面から一斉に出て繭を作ると。バッタや甲虫類に寄生するボーベリア菌も恐ろしいが、このコマユバチの仲間の寄生はそれを上回る。

普通、体内に入った異物は免疫により退治される、または異物が強力な場合、寄生された宿主は死亡する。しかしコマユバチとアオムシはどちらも死なずに生き続ける(コマユバチが出るまでは)。コマユバチの幼虫たちが出て体表が穴だらけになっても、アオムシは死なずに生き続けるのは何故か?コマユバチがサナギになる前に、アオムシがサナギになってしまったら?

昆虫を操るバクテリア (シリーズ共生の生態学) 単行本 - 1994/9/1<br />
石川統 (著)

共進化の謎に迫る―化学の目で見る生態系 (シリーズ〈共生の生態学〉 (4)) (日本語) 単行本 - 1995/3/1 高林 純示 西田律夫 山岡亮平 (著)

寄生から共生へ―昨日の敵は今日の友 (シリーズ〈共生の生態学〉 (6)) (日本語) 単行本 - 1995/7/1 山村則男 早川洋一 藤島政博 (著)

寄生から共生へ―昨日の敵は今日の友」共著者の一人、早川洋一さんの研究。「寄生バチをめぐる三角関係」でも概要を読んだとおり、ハチの幼虫が宿主であるアオムシの体内で生きていられる秘密は、ポリドナウイルスというウイルスの介在があるらしいのだが、そのしくみを分子レベルで調べていくドキュメンタリー。

ポリドナウイルスは、ハチの種類ごとに違う種類が存在し(1995年当時)40種類ほどが報告されている。ポリドナウイルスの遺伝子は、寄生バチのゲノムDNAに組み込まれていて、ハチの子孫へは垂直伝播する。オスメス両方の寄生バチの体の細胞内に存在するが、増殖できるのはメスの卵巣でのみ。ウイルス粒子は卵巣内側輸卵管でのみ見られる。寄生の際には、卵や毒液と一緒にアオムシに注入される〜そしてゲノムDNAのみアオムシの細胞に感染する。ウイルス遺伝子についていえば、常に寄生バチからアオムシへの一方通行。(コロナウイルスのしくみをテレビで見ていたので、エンベロープとかの言葉にもついていけた!)

から話がさらに専門的になって、知識としては字を読めても、心から理解することができず、受験勉強ぷくなってきたので、早送りでページをスキャン。

終わり近くに、衝撃的な記述が。現在は寄生バチのゲノム内に一体化してしまったポリドナウイルスが、そのゲノム内にアワヨトウガ(宿主のアオムシ)の遺伝子を持っているということは、このウイルスが過去にアワヨトウガと遺伝子のやりとりがあったことを意味する。。。ガとハチという異なる種類の昆虫の間で遺伝子のやりとりが!

ポリドナウイルスがどのように進化してきたのか?知りたい!!(誰か調べて)

さて、この本は1995年刊行なのです。分子生物学の分野の研究はすごい速さで進んでいると思います。今はどうなってるの?とっくにいろいろわかっているの?

「生物多様性」ってなぜ必要なのか?今までよくわからなかった。珍しい種が絶滅してしまったら、コレクターとか詩人とかが寂しいからなのか?今回、現実に世界的なパンデミックという事態に遭遇し、ウイルスの影響が日々報道されるのを見つつの、一見関係なさそうな寄生バチの生態の研究を読んでいると、ん?これ今まさに世界中の研究者が血眼になってやってることと似てない?と感じることがあった。どんな生物もいつ人類にとって役に立つかわからない、貴重なサンプルを保全しておくの大事。標本じゃ無くて、生きている状態で環境ごと。と思った。

ーーーーー

寄生バチとポリドナウイルスの関係 早川 洋一

自然界で生まれる遺伝子導入昆虫:ブラコウイルスによる蝶への蜂遺伝子の組み込み

小さなエイリアン!〜コマユバチの生存戦略〜

The Kitchen Playlist

Facebookでイイネした、ミュージシャンが、自分の演奏のストリーミングデータや、家で過ごすための音楽リストをアップロードしてくれている。確定申告の友はマックス・リヒターの「The Kitchen Playlist」(Spotify)ゴーゴーペンギンの「Home Listening - playlist by GoGo Penguin」(Spotify)だった。このSpotifyのリストはいいな。無料アカウントでも利用できる。無料の場合、途中でCMが入るが。他人のリストを聴きながら、いいなと思った曲やアーティストに♥をつけると、それが記録される。自分でもリストを作ってみたい。これやり始めると3日間ぐらい集中して他のことを一切しなくなる気がする。

Max Richterのfacebookより
KITCHEN PLAYLIST / https://spoti.fi/2wHqr86
Since we are all spending a lot more time in the kitchen these days, I'm starting up The Kitchen Playlist again; 3 tracks every Friday of what's on rotation at our place.This week a Persian king sings one of the most beautiful love songs ever written (to a tree), the sprit of King Tubby visits Texas, and Bach transfigured for viols. Stay home and stay safe everyone!

GoGo Penguinのfaceboolより
Hey everyone, hope you're ok. Just in case you missed it... we've put together a Spotify playlist with tunes picked by each of us and we wanted to share it with you to help keep your spirits up! We'll add to it each week. Love GGP x
Listen here: https://spoti.fi/2JmLNu9

COVIT-19がくれた時間

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

しばらくblogから離れていました。本を読む時間が、というか心の余裕が無かったため。

コロナウィルスによる社会情勢により、叔母3(これまでこのblogに登場していない夫の叔母)が入居している介護施設が面会謝絶、物品の持ち込みもできるだけ制限ということになった。最初は叔母3のことが心配だったが、電話で話すと結構気持ちが安定しているよう。「つらいのは私だけじゃない」「私より恵まれない人もいる」「みんな同じように我慢している」という聞いたことのない言葉が出て驚く。いつもは「周りの年寄りはみんな嫉妬深い」など反対のことを延々と言っているのに。家族からの接触が一様に制限されて、施設入居者間の「親族からの愛され格差」が無くなったためだろうか?にしても叔母3が1年前と同様独り暮らしだったらと思うとぞっとする。今は介護施設のスタッフに守られているので安心。叔母3もそう思ってくれているといいけれど。叔母3に会えなくなったことは、私たちにとってかえって心の平安をもたらした。何もできることはない、全てを神(施設のスタッフ)にお任せするほかないのだという。

わがやは元々二人とも家で仕事をしているし、駅から遠く車も持っていないので、買い物は生協の個人宅配中心。花粉症なのでマスクの在庫は普段からある。ということで特に生活には変化無し。だが、あれに出かけねば、これに顔を出さねばということが無くなり、心が平安に。この平安な時間をCOVIT-19がくれた時間として普段はできないことに使わなければという気がして、確定申告の期限が延びたのもあり、申告書作成のやり直し。65万の控除を受けられるコースで申告(間違いが無ければいいけど)。クラウドの会計ソフトで簡単にできると言われていたけど、今まで「同意する」ボタンを押すのが怖くてできなかった。やればできたのに!(と今は言える)

故郷に高齢の親がいて、春休みに帰省を考えていた友人たちは、感染から親を守るため帰らない決断をした。わたしもその一人。心配だけど帰れない。実家にインターネット環境があってよかった。Facetimeで顔を見ながら話せるし、ここ数年、1年に一度まとまった時間を一緒に過ごして、IT奴隷としてネットの使い方の特訓をさせてもらった苦労が報われた。老人ホームにはWi-Fiが無いところが大半だと思うけど、わたしたちが施設のお世話になる頃(自分はならないかもしれないが)は、Wi-Fi、ケーブルテレビが施設を選ぶ主要な条件になっているだろうか?

クモの奇妙な世界

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

クモの奇妙な世界 その姿・行動・能力のすべて (日本語) 単行本 - 2019/8/28 馬場 友希 (著)

「クモのはなしⅠ」「クモのはなしⅡ」という1989年の本を「時間がある時に読んで」と師匠から預かって3ヶ月、読む時間が無く机の上にある表紙を毎日眺めていた。この本を読んだら読みたくなるだろうと「クモの奇妙な世界」を図書館で予約していたら(人気の新刊で順番待ちだった)、とうとう「クモの奇妙な世界」が手元にやってきた。これは2週間で読まなければならない。

いろいろなクモの変わった生態が紹介されている。イソウロウグモの章とトリノフンダマシの章、それらの変わった生態は野外で鳥のカウントの合間に教えてもらっていたので、ふむふむと流し読み。その章の末尾に、最近DNAの解析ができるようになって、進化の系統樹があきらかになった。近縁の種で変わった採餌方法を持つ種類が、「普通ならこの順番で進化してきたのだろう」と思っていたら、DNAの解析結果はまるで違っていた。という部分があり、興味深かった。普通ならこの順番で。。。というのは、ヒトの思考の特性を表しているなあと思って。もしクモが「ヒトの奇妙な世界」という本を書いたら、何を最初に書くだろう。

「クモの奇妙な世界」の中に、当然という感じで「『クモのはなし』という本にも書かれていますが」という記述が数カ所あり、それは今わたしの机の上にある2冊の本では!ああ、早く読まなくちゃと思ったのでした。

恋するオスが進化する

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

恋するオスが進化する (メディアファクトリー新書) <br />
宮竹 貴久  (著)

著者は沖縄で「不妊虫放飼法」という作戦で、農作物の害虫ウリミバエを根絶させる仕事に携わっていた人(1993年にミッションは完遂)。

生物の(この本では昆虫の例)オスもメスも自分の遺伝子を残すために、特にオスはいろいろと姑息な手段を使っている、時には遺伝子を残すために協力関係にあるべきメスを敵に回してまでも、その例が次々紹介される。

しかしこのオスvsメスの戦いというか、出し抜いたり出し抜かれたりというか、虫の世界はすげえな、とも思えるし、面白いなとも思えるし、虫の世界も世知辛いのう、とも。

「哲学のなぐさめ」に書かれていた、哲学者ショーペンハウエルの言葉「よりよい遺伝子を残すことと、よりよい生活を送ることは(パートナーと楽しく暮らす)、相反する(場合が多い)」生物のほんの一部であるヒトを観察することによって、生物一般に共通するこの問題を喝破していたショーペンハウエル先生はすごいなあと、今改めて思う。

各章ごとに、その章のポイントが箇条書きである。読んだはしから忘れていく私には、読後直後の強制的なおさらいは、なかなか助かった。(受験勉強か?)

レット・イット・ビー

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

レット・イット・ビー 単行本 - 1988/11 若桑 みどり  (著)

若桑みどりにしては珍しくエッセイ集。女性画家列伝 - r2を出版した後の反響について書かれた一文がある。

    この本(「女性画家列伝」)かへの反響から私が学んだことは、女性の自立と解放なしには、男性の解放も自由もないのだということを、最も切実に知っているのは、実は妻子を持った壮年か老年の男性なのだ、という事実である。そのことは同時に、女性の解放という問題は、男女を越えて人間性そのものを圧迫し差別しているあらゆる桎梏(しっこく)の取り壊しによってしか実現されない、ということを意味している。p163

まさかと思ったが、このほんのタイトルは、ビートルズのあの「Let It Be」のことだった。

    私は美術史家だけれども、ほんとうに悲しいときは、音楽を聴くのであって、絵を見るのではない。打ちのめされている心には、絵など何の役にも立たない。だれでも生きているうちには、この夜の明けるまでとうてい生きていられまいと思うような夜がある。

    "夜の空に雲がたれこめても、わたしの上に射す一筋の光はある。その光は朝まで続き、消えはしない。わたしは音楽によって目覚め、聖母マリアがわたしのそばでささやくのを聞く。すべてをあるがままにあらせなさい。きっといい日がくる。" p218

    どうしようもない状況を暴力的に変えようというのではない、さりとて、それに従えととか、満足せよというのでもない。そういう状況の中でも、やけを起こさず、希望を捨てないといういうのである。 p219

小学生の頃からそらんじていたこの歌詞。中学で卒業したと思っていたビートルズ。若桑さんのテキストを読み、久しぶりに聴いて涙が。。。子どもの頃は知っているようで、本当の意味がわかっていなかった。

日本人は何を考えてきたのか 昭和編 戦争の時代を生きる 単行本 - 2013/6/22 NHK取材班 (編集)

福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一 - r2 を読んで、この本を読もうと思った。

    プロローグに、福岡伸一が西田幾太郎に興味を持ったきっかけは、NHKの番組「日本人は何を考えてきたのか 第11回 近代を越えて〜西田幾多郎と京都学派」に参加したことだったとあった。その番組のテーマは、第二次世界大戦前夜における日本の代表的な哲学者たちの戦争責任についてだった。

学生時代に美学美術史の先生に言われたことを思い出す。
「哲学(美学)とは、楽しみであって、それで世界を変えるための手段では無いんだよ」
先生は、わたしが世界に対する怒りをもって哲学(美学)に接していると感じられたのかもしれない。

ーーーーー

三木清だけが二十世紀の戦争の現場を経験した。当時の首相東条英機も陸海軍首脳の多くも日米戦争の現場経験が無かった。戦争の現実を体験した人が指導層にほとんどいなかった。政治指導者も軍人も知識人も二十世紀型の戦争の難しさと恐ろしさを十分に想像できなかったのではないか。哲学者だけではどうにもならなかった。言論の自由がないのが致命的で、各分野の専門家・実務家と一緒に議論して日本の未来を構想していくことができなかった。そのような状況では沈黙していることが政治的には賢明だが、京都学派の人たちは一縷の望みを抱いてどうにかしようと飛び込んでいった。(植村)

世界を語る言葉が求められた時代に、言葉を政治利用に差し出すか、自重して普遍的な物として留めておくか、その判断が個々の哲学者に試された時代だった。西田本人は持ちこたえたが、弟子たちの中には積極的に言葉を時局の中で踊らせてしまった、あるいは巻き込まれてしまった人たちがいた。言葉を信じ、言葉を操るものとしての哲学者のスタンスが厳しく試された時代だったと感じる(福岡隆)

西田哲学は時代の激流に飲み込まれてしまった面があると思うが、「日本文化の問題」を読んで大事なことに気がついた。それは類希なる生命論がそこで語られているということ。西田は「全体」と「部分」についてその二つは同時的なものだと言っている。「全体」と「部分」が呼応しているというのは、現在の生命科学が直面している重要な問題。西田は、一つ一つの部品は全体でもあり、全体は一つ一つの部品でもあり、生命はある種の関係性のなかでとらえなければならないと言っている。これは非常に古くて新しい生命観。生命というのは「合成」と「分解」という一見矛盾することが同時に起こっている。西田の言う「矛盾的自己同一」がそこで起きている。こうした生命のあり方を「動的均衡」と呼ぶ。このビジョンがすでに「日本文化の問題」に書かれている。関係性や同時性、「全体」と「部分」の不断の連続性によって生命が成り立っていると。(福岡隆)

哲学とは何か。私たちには固定したものの見方がある。そのフレームに対して批判的であり得る「知」だと考える。従来の枠組みを越えて出ていく自由を持った学問。越えて出ていくためには、自分がフレームを持っていることに気づかなければならない。そのために大事なのは異なった考え方をする人との対話。東アジアに限らずアメリカ、ヨーロッパ、イスラム圏など様々な考え方の人たちが対話する場が出来上がってくればそれぞれが自分のフレームの限界に気づくと思う。そこから新しい哲学が生み出されていくのではないか。(藤田)

決められたこと、決まったように見えること、それは全てではない。もっと別なことがある、その外があるというセンス。それが非常に大切。(上田閑照)

ーーーーー

哲学の門から入るとよく理解できないことも、生物学の門から近づくと、それは結局こういうことなのかと理解しやすいことってあるのね。応用編(部分)を理解できて、初めて概論(全体)が理解できるという手順。哲学者がたどった道を一緒に歩いて到達点に着けるというか。

日々悩まされる些末な問題を背負って耐えながら生き、他人とそれについて話して共通することに気づき、ふーんこの荷物はそういうものなのだと問題が自分だけのものではなくなり気にならなくなった時、それを壊す言葉や出来事が現れ、自分たちが絶対と思っていた理は本当にそうなのだろうかと疑問が起きる。そのとき!未知の価値観に対応できる力があるか?その力を鍛える筋トレが哲学という学問なのかな。

ーーーーー

私は、911の報復でアフガン空爆〜イラク戦争が行われたとき、哲学や宗教に激しく落胆してしまった。全世界の良識ある人々(特に宗教界、学界)は報復行為が間違いであり無意味な殺戮がゆるされるわけがないと分かっていたと思う、なのにあのような行為が実行されるに至ってしまったとは。異文化を紹介することを生業とするナショナルジオグラフィックス社が黙っているのにも腹が立った。

悲劇が起きて、被害に会った当事者・当事国の悲しみ怒りの最中に、報復という手っ取り早い解決が採用されようとしているとき、それを諫める上から目線の情報を降らせるのは、多くの人にとって時期的に受け入れられないときもあるかもしれない。哲学・学問が人間にできることって何なんだろうか?

福島の原発事故が起こったとき、不遇に耐えて原発の危うさを啓蒙し続けた学者たちが再評価され、逆に政府寄りの見解の裏付けを提供していた学者は御用学者と罵られたが、あれから数年のうちに節電という言葉もきかれなくなり、事故のことも、あのとき怒りとともに語られたことも、すでに忘れられつつある印象がある。

戦前、戦時中に起こったことは、他人による愚かな行為、自分とは無縁の遠い出来事とは言い切れない。その後も学問が試される出来事は続いている。やっかいなことに、やって失敗してみなければ(部分)、本質(全体)にたどりつけない。悲劇を回避するにも、あらかじめ血を流さなければならない。またかたくなに真理(全体)だと思っていたことが、(部分)でしかなかったということもある。

ーーーーー

学問・哲学が、希望やみちしるべになり政治的に人々を導くという面もあると思うが、逆に、具体的に何の役にも立たずただあるだけという面もあると思う。むしろその方が多い。しかしそういうものの中に、過酷な人生のなぐさめがあると思う。「はー自分が悩んでいることは、そういうものか、みんなそうなのか」という。

わたしが今一番、宗教界、学界に頑張って欲しいと思うのは、老年期のあるいは人生の終末に関すること。日本の歴史上いや世界でも、名を残す人は大体早死だった。長生きした人も、今ほど高齢でなかったと思うし高齢者の人数も多くなかった。キリストも若死だったので老人の心はわからないままだったと思う。どうか名だたる宗教者・学者は長生きして、老年期にこそ頑張って、それも若い頃からの研究を続けるのはすっぱりあきらめて、老年期の心の研究をして世に発表してほしい。私の大叔母(シスターT)は宗教者としてキャリアのある人だったが、老年期の心の問題は当事者としては初めて対面することのようで大変だったようだ。若い頃の時間を支えてくれた宗教(価値の体系)が、ずっと老年期まで支えてくれるのか?「学問すること」がその人を支えていた場合、それができなくなった時、何が残るのか?

*このblogに出てくる私の大叔母は二人いて、どちらもカトリック信者でまぎらわしいので、イニシャルを付けました

10万個の子宮:あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか 単行本 - 2018/2/9 村中 璃子  (著)

反ワクチン運動の真実: 死に至る選択 単行本 - 2018/5/8 ポール オフィット (著), ナカイ サヤカ (翻訳)

SNSで、ワクチンが危険という記事や、著書の紹介や、映画上映のお知らせなどが、タイムラインにあらわれる。投稿する人は善意で、しかし何も考えずに情報をシェアしている。元の情報をシェアした人が、自分が信頼できる人だから、同業者だからという理由で。

ワクチンが有害なのか、無害なのかは、科学的に検証すればすぐわかる。でも、だからといって人々がその事実を受け入れるかどうかは別だと言うことが、この本には書かれている。日本における事情を書いた本では、レビューを読むとほぼ高評価だが、少ないながら徹底的な(長文の)低評価が頑なにある。一方海外での歴史上の経過を書いた本では100%高評価だ。

ワクチンに疑惑を感じる理由として
・自閉症や、思春期の少女の神経症が、多数存在するとそれまで世間で知られていなかったため、急に増えたと感じる。
・ワクチンが高価すぎる。製薬会社・行政・医師が結託しているのではないかという陰謀論に陥りやすい。
・過去に、実際にワクチンの薬害があった。
などがあるという。

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護 単行本 - 2018/7/16 Emma Marris (原著), エマ マリス (著), 岸 由二 (翻訳), 小宮 繁 (翻訳)

「自然」という幻想 | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社

【立ち読み用公開】「自然」という幻想 ――多自然ガーデニングによる新しい自然保護(エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳) - 草思社のblog

翻訳者がラジオに出演し、「手つかずの自然」とは、アメリカ発祥のカルト思想、と断言しているのを聞いて、読んでみました。

外来種×、在来種○、みたいなのをよく聞くけど、フィールドに出ていると、なにもかもそうとは言えないんじゃ?と思う場面がある。耕作放棄地に茂るアレチウリが、何もかもを飲み込んで低木をも覆ってしまっているのを見ると、嫌な気持ちになるが、冬になって里に下りてきたミヤマホオジロがそのタネをついばんでいるのを見ると、アレチウリがあってよかった!と思ってしまう。晩秋の花が少ないときに、コセンダングサやセイタカアワダチソウの花は、蝶たちにとって貴重な蜜源になっているし。

里山って、大陸からイネが渡ってきて、ヒトによって変えられた人口の自然ですよね。日本のそれ以前の自然からかなり変えられたはず。田んぼも残したいけれど、米の需要がないのに里山風景だけ維持するのは無理な気がする。

この本で著者は、現代人が思うところの「古き良き自然」に何が何でも戻すべきという考えが、ナンセンスだと論じていますが、だからといって何もしなくていい、というのとも違います。必ずしも過去の自然に戻す必要はないが、生物多様性は管理して守るべきと言っています。

(訳者は例として、池の水を抜くテレビ番組を挙げていますが、あれを見て楽しいのは外来種が駆除されるからでは無くて、ふだんよく見えない池の中に実はこんなのがいた!という単純な驚きだと思います。あまり心配しなくてもいいと思いますけど。。。)