「墓の彫刻―死にたち向かった精神の様態」というタイトル。著者はE・パノフスキー。ということは「あれ」が見れるのではないか!と期待して手に取った本。
人は何を価値あるものと感じるのか?パノフスキーの「イデア」と澤柳大五郎の「ギリシアの美術」は、そういうことを考えるということはどういうことか、という実例を教えてくれた。特に「ギリシアの美術」のアッティカの墓碑の章は、それを読み終わった後、感動で長く長くため息が出た。
前5世紀半ばから4世紀末までに、アッティカ地方で作られた墓碑。それは石の板に彫られた浮き彫りなのだが、そこに掘られているのは、死者の生前の姿。故人の業績を記念する姿でもなく、死後の楽園に暮らす姿でもなく、日常の生活の一場面。
その場面には、まだ生きている家族や従者も一緒に登場することもある。しかし、その人物たちのうち誰が死者なのかは、表情を見るだけですぐわかる。死者は周りの誰の声も聞こえず、誰の顔も見えず、視線を遠くに投げ、静かに死を受け入れている。生者の人物たちはそんな死者を見つめたり手を握ったりして愛情を示している。
エジプト人のように死後に旅に出るでもなく、キリスト教徒のように天国(または地獄)に暮らすでもなく、日常の中に永遠が、死と生が同時に存在するというギリシア人の死生観。それは故人の本質とは何だったかを記録し永遠に残そうとした、墓碑の彫刻を見ることによって、私の心に刻まれた。岩波新書の数ページに小さくモノクロで印刷された写真ではあったが。
「美とはどういうことだろうか?」「それは、ある人にとっては美だが、ある人にとっては美ではない、というものであってはならず」「ある時は美しいが、またある時はそうでない、というものではあってはならない」。。。という会話によって定義されていく、プラトンのイデア論を読むよりも。
この「ギリシアの美術」を25年ぶりぐらいに読み返してみて、墓碑の章の次章に鉛筆で傍線が引かれているのを発見した。自分で引いた以外に考えられないのだが。
しかし全期を通じてギリシア人にとってはこころと身体とは一つであった。こころは眼に見えるものであった。また顔と身体は一つであった。
ギリシア人にとっては眼のみならず、全身がこころの窓なのである。
「全身がこころの窓」という言葉にあっと思った。今、同時に読んでいた別の本とつながったからだった。それは「岩波科学ライブラリー 皮膚は考える」にて。。。
パノフスキーの「イデア」は新訳が出たんですね。少しは読みやすくなったのかな。