加藤陽子さんのベストセラー。この前に日経のレビューを見て「戦争の日本近現代史」を読んでいた。が、日露戦争までは話が単純でついていけたが、満州事変あたりからわからなくなって挫折。その数年後に出版された本著は、同じ内容で対象を東大生から高校生へ変更。シラバスでなく講義の内容が口語で納められている。
最初は何て楽なんだーと思いながら読んでいたが、読みやすいので理解していないことも理解した気分になってしまい、内容をほとんどおぼえていないことがわかった。ので、途中からメモを取り始めた。それは「続き」に。
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私の感想
業界に参入するなら早め早めだね。遅れて行って利益を上げるためには、抗争、博打等手荒なことも覚悟しなければ。戦争は博打。負けた分を取り戻そうとズブズブはまっていく。日本は勝って植民地を手に入れたときもあったが、それはチャラになり、千島列島と国民300万人を失った。
国民を扇動するとき、あんなわからずや、言って聞かせても無駄や!遅れているヤツラを教育してやらねばという感情が利用される。
戦争の真の動機は経済問題だが(一丁儲けたい)、結果として敗戦国は社会変革を迫られる。負けが混んできたからといって好きなときに戦争を終わらせることは出来ない。どちらかがスッテンテンになるまでやられる。結果、もう博打には手を出しませんとか、心を入替えて更生しますとか、念書を書かせられる。憲法の改正など。
著者は日本軍は(他国からの搾取でなく)一貫して安全保障という戦略的利益を優先させていた、というが、一体何を守ろうとしていたのか?
16世紀、南米を回った後、日本に来たイエズス会の宣教師は本国に報告していた。「日本には資源も広大な穀倉地帯もなく、国民は高度に教育され貧しいのに気位だけは高く自意識過剰で、維持に経費がかかるだけなので、植民地にする価値はない」と。若桑みどり「クアトロ・ラガッツイ」より。欧米にとって日本は、自分たちの邪魔さえしなければ、変な野心を抱かず中立でおとなしく正気でいてくれれば、つまりカタギでいれば手を出す相手ではなかったのでは?それを日本は自分から、しかも遅れて帝国主義業界に参戦して行ったわけだ。米・中・ロシア等大国と無理をして肩を並べる必要があったのか?
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ところで思い出したのだが。
若桑みどりの「クアトロ・ラガッツイ」で忘れられない記述がある。秀吉が天下を統一した後、諸国大名に絶対服従を徹底させるため、大坂城の築城を命じた。その費用も労力も大変な負担で、服従させることが目的なので、労働を人足に肩代わりさせず、武士たち自身に石垣の石や材木を運ばせた。あまりの重労働に耐えられず自殺する者が多数出た。
イタリア人宣教師はそれを見て、驚くべき日本人の特質としてバチカンに報告している。そんなつらいなら、普通自殺する前に抗議ぐらいするだろうと。刀を抜いて一応反抗してみないのか?どうせ死ぬなら差し違えるぐらいのことはしないのか?あんなに勇敢に戦った武士たちが!
わたしはそれを不思議に思っていたが、最近ある記事が目に留まった。
じゃ、なに?ヒトは社会が安定期に入ると、退屈で死んでしまうのか?行き続けるためにはアドレナリン全開になるものが必要ってこと?
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日本という国は、内部から変革して行くのはとても困難なようだ。ある方向に走り始めたら、もう止らない。とことんやる。次に外から異物がやって来るまでは。それをあっという間に取り込んで、次の方向が決まり、また走り始める。帝国主義路線が多大な犠牲を払ってやっと終わる。次の工業化路線を突っ走る。その終点は原発かな。なぜこんな地震国に原発を作ったのか?老朽化して解体することを予想もせずに建造し始めるなんて、どうかしてたんじゃないのか?と後世の日本人に言われるのだ。そして「それでも日本人は原発を選んだ」みたいな本が出るのか?
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「続き」
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百万人単位の膨大な死傷者が出ると国家は国民に対して新しい社会契約を必要とする。(「歴史は数だ」byレーニン)
アメリカの戦争犠牲者
南北戦争______________0,184,594人(リンカーンの演説)
第二次大戦太平洋戦線________0,092,540人
第二次大戦ヨーロッパ戦線を含む全体_0,294,597人
日本の戦争犠牲者
第二次大戦太平洋戦線________3,100,000人
中国の戦争死傷者者
日中戦争、第二次大戦(軍人)____3,300,000人
日中戦争、第二次大戦(民間人)___8,000,000人
日本の戦争犠牲者__戦死者数 国内政治に与えた影響
日清戦争_________08,000人 普通選挙・政党内閣
日露戦争_________80,000人 戦費のため増税(地租)の必要。議員の構成が地主から実業家へ
第一次世界大戦____01,250人 政党内閣誕生。(社会不安。関東大震災)
世界的には3つの帝国崩壊、共和国誕生。国際連盟。帝国主義・植民地獲得競争への反省。
第二次世界大戦__3,100,000人 憲法改正
攘夷を掲げて明治維新を行ったので、他国に負けない強い日本を主張しなければ、政権の正当性を維持できなかった。(坂の上の雲に出てくるエライヒトはみな薩摩弁)官僚は薩長出身者で占められ、新たなポストは台湾総督府など外部の植民地に作るしかなかった。
西欧諸国による植民地獲得の動機は、過剰人口のはけ口。対して日本は一貫して戦略的利益(安全保障)に合致。
インテリのはずの東大生へのアンケートで「満州問題に武力行使は正当」と大多数が回答。満州事変の前後でその値は変化していない。満州事変の前からすでに国民の間にある気運が充満していた。
命とお金をかけて戦った戦争、やっとのことで勝って締結した条約、その条約に書かれていたはずの権益、これを死守しようという発想が日本側に強かった。条約のグレーゾーンを、中国は条約を守っていない、日本は被害国、無法者の相手に道理を分からせる必要があるという主張。(グレーゾーンとはそういうもので中国は悪くない、てゆうかこっちが侵略したんだし)
英独仏に権益を主張するために、早急に既得権益を作りあげる必要があり、その突貫工事のために陸軍が活躍した。陸軍にとっては大切な生命線。
満州事変を計画した石原莞爾の主張。戦争によって戦争を養う(対米戦、対ソ連戦のため、中国を根拠地とし中国の資源で戦えば、日本のように資源がない国でも、20年30年と戦争を続けられる)。石原は第一次大戦後ヨーロッパに留学してドイツの敗因を研究。長期間の総動員戦を支える財政力が問題と認識。
ずれていく満蒙に対する意図
国民への扇動:日本が苦労して獲得した条約を、中国が守っていない。所得の激減もそのせい(実際は世界恐慌のためで中国は関係ない)。
陸軍の本音 :将来の戦争のために資源供給地として満蒙が必要。
満州事変は関東軍の参謀たちが強い決意を持ち、3年の歳月をかけて綿密に準備された。陸軍の独走に対する勢力があったが
・内閣が連立政権だったため一枚岩でなく、内部分裂。弱腰にならざるを得なかった。
・治安維持法により共産党員の大量検挙の結果、戦争に反対する勢力が激減。
・「帝国主義反対」をスローガンにする全国農労大衆党があったが、兵士の待遇改善問題を考えると陸軍に逆らいにくかった。
陸軍のスローガンに魅せられる民衆
普通選挙は行われても、国民の約50%を占めていた農民の希望は政治に反映されない。特に世界恐慌のあおりを受けて貧苦にあえいでいた小作農に政府は冷淡だった。それらの人々の不満を吸収したのが陸軍の掲げるスローガンだった。
陸軍も、第1次世界大戦でドイツが敗戦した原因を研究した結果、長期の総動員戦を支える食糧と兵力を供給してくれる農民層が疲弊しないようにするのが大事、という認識だった。
日中戦争はお互い宣戦布告なしに、なしくずし的に始まった。戦争が始まるとき、国民はこれが戦争だと自覚していないことがある。中国側の読み:2.3年負け続け、海岸線が占領されれば、各国が介入してきて日本は自滅する(胡適)。
太平洋戦争開戦時の市井の人々の本音。日中戦争は弱いものいじめのいやな戦争。強い英米と堂々戦うことになってスッキリした!アメリカと日本の国力の差は、十分認識されていた。政府も隠そうとしなかった。むしろ物的な差を精神力で克服しようと、危機感を持たせて扇動するために強調された。
松岡洋右はソ連と中立条約を結んで対中国武器援助を阻止。日独伊+ソという4国同盟を実現させて安泰かと思われたが、独ソ戦勃発でおじゃんに。するとこの際ドイツと戦っているソ連を背後から攻撃するという案を出す。参謀本部はもともとソ連と戦いたかったので、大乗り気。
それにあわてたのが、陸軍省軍務部と海軍。日中戦争終戦の仲介をアメリカにやってもらえるかも思っていたのに、外務省と参謀本部の北進論を抑えるために、南部仏印進駐を唱え実行。それに迅速に反応したアメリカが、在米日本資産凍結、石油の対日全面禁輸を実行。
アメリカはヨーロッパ戦線の武器庫だが、戦闘機の生産が間に合っていなかったので時間がほしかった。アメリカはソ連がドイツ戦に冬まで耐えるよう、ソ連軍の気力を持たせるために何でもやった。外務省が北進を唱えなければ、海軍が南進を実行しなければ、太平洋戦争は勃発しなかったかも。
軍事費・特別会計
日中戦争に3割。残りは将来の対英米戦(海軍)、対ソ戦(陸軍)の準備のために使われていた。太平洋戦争開始までに使われていた金額は256億円。現在の価値で20兆4800億円。まだ準備の整っていないアメリカを不意打ちにして叩けば勝てるかもという期待に囚われていた。太平洋戦争開始時、日本の航空母艦艦載機生産数 日本:米=100:107 終戦時 日本:米=100:1509。
奇襲
日本は奇襲先制攻撃してくるという認識がアメリカにあった。なのになぜ無防備だったか。淵田美津雄著「真珠湾攻撃総隊長の回想」によると、高度100mから落とされた魚雷は深度60mまで一旦沈む。真珠湾は水深12m。日本の海軍航空隊の操縦技術をみくびっていたアメリカは、魚雷で攻撃されることはないとタカをくくっていた。実際は「月月火水木金金」といわれるほどきびしい訓練を重ねていた。真珠湾と似ている鹿児島湾で魚雷の落とし方を訓練していた!モデルは1年前の英国軍によるイタリア・ターラント湾(水深14m)急襲作戦。真珠湾攻撃のアメリカ海軍の戦死者3077人、戦傷876人、陸軍226人戦傷、戦傷396人。
ドイツ
中ソ米英に比べて日本と同じく資源力に乏しかったドイツは経済合理的に考えて、中国へ武器輸出をしていたが、反共の立場から、ソ連をけん制するために日本を支持に転換。武器を供給されなくなった中国はソ連に接近。国内の共産党軍をけん制するためにも国民党が先にソ連に近づいた。資源力がない日独伊は長期戦は無理。奇襲と地政学による挟み撃ちなどしか作戦がない。
「日本は戦争する資格がない」
水野廣徳(みずのひろのり)いわく。日本は輸出できる物は希少品でも生活必需品でもなく、せいぜい贅沢品の生糸ぐらい。日本と貿易が途絶してもどこの国も困らない。武力では勝てても、経済戦・持久戦では勝てない。島国でめったに国境線が脅かされなければ、国家の不安材料は経済問題だけ。外国との通商関係の維持が、日本の国家としての生命線。それは他国に対して非理不法を働かなければ保障される。だから日本は戦争する資格がない。だが彼の言葉に耳を貸すものはいない。
「かくの如く戦争が機械化し、工業化し、経済力化したる現代においては、軍需原料の大部分を外国に仰ぐがごとき他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。極端に評すればかくの如き国は独力戦争をなすの資格に欠けるもので、平時にいかに盛んに軍備を張るとも、ひっきょうこれ砂上の楼閣に過ぎないのである。」
太平洋戦争全体の戦死者数のうち、9割が最後の1年に集中。地方紙の地方版に戦死者数が載っても、全国規模で情報が集積できないしくみになっていた。英語が出来る人が逮捕覚悟で短波を傍受するという手はあった。終戦の情報が民意に流れていたとわかるのは、株価。
引き揚げ
終戦時満州にいた日本人200万人。そのうちソ連侵攻後の死者24万5,400人。移民を送り出した政府の政策責任は?移民は長野県南部に多かった。世界恐慌で生糸の原価が暴落。養蚕業の人々の暮らしを直撃。飯田市歴史研究所編「満州移民」によると、初期に移住した村民から故郷に情報がもたらされる。政府から聞かされていた話と実情は違って過酷な環境、移住志願者が減り始めると当局は「満州分村移民」という制度を導入。村ごとにまとまった人数で移民すると村に特別助成金が支払われる。助成金目当てに移住者を送り出す村多数。その中で見識のある指導者は、助成金で村民の命を容易に扱おうとする国や県を批判。過去に事実を知っていると現代社会の見方も変わる(基地や原発の誘致など?)。
死亡した捕虜
独軍の米国兵捕虜死亡率:01.2%
日軍の米国兵捕虜死亡率:37.3%
自国の軍人さえ大事にしない日本軍の性格ゆえ。「飢死した英霊たち」(藤原彰)
国民の食糧を軽視。農民に徴収猶予がなく、農民の中にも技術者はいることに政府が気づいたのは44年。ドイツは食糧だけは絶対減らさない方針だった。
日本の炭坑では捕虜の中国人、朝鮮から徴用された民間人が劣悪な環境で労働させられ多数の死者が出た。その記憶は国民自身の悲惨な記憶に上書きされ落ちてしまう。
2,005年読売新聞の調査、戦争責任は議論されてきたか?という問いに5割以上の人がされていないと回答。当時の天皇・内閣・軍部の指導者の責任を問いたいという姿勢と、自分が当時生きていたら、助成金欲しさに分村移民を送り出そうとする県の役人、村長、村人側になっていたかもと想像してみる姿勢が大切。
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