2009年「デモクラシー以後」のプロモーションのため来日した際の講演、対談、取材などを集めたもの。断片ながら、そのつど著者の主張が要約されているので、わかりやすい。(わかった気になってしまって、ほんとはわかってないかもしれないという危なさはあるが)
以前「世界像革命」を読んで、「世界各国の家族制度のあり方が、その国の人々の人権と平等にたいする基本的な考え方を決定する」という、そりゃそうだけど今まで誰も気がつかなかった事にガーンとやられた。ドイツ・スウェーデン・日本・韓国・・・は長子相続で権威主義の不平等社会。スペイン・イタリア・フランスなどは平等に相続する平等主義核家族・・・しかし、平等な社会には、それから除外される階層がある。白人以外の人種(アメリカ)、奴隷(古代アテネの民主制)。
トッドの予想は、自由貿易で労働と資本のグローバル化が進むと、世界規模で存在する不平等のレベルが各国の内部に導入される。先進国の中に第三世界並みの貧困層があらわれ、第三世界の富裕者はその国の一般人からかけ離れていく。自由貿易の世界は、本性からして万人の万人に対する闘争を組織する。
わたしは若い頃バリ島に行ったとき、カフェで会ったフランス人から、為替の矛盾について議論をふっかけられて、困って逃げたことがある。天安門事件直後の中国の田舎に行ったときも、若いわれわれが両替した大金を持っているのを恥ずかしく思ったことも。同様に働いているのに、手にする額が違うのはなぜ?日本に生まれたと言うだけで恵まれているのはなぜ?
グローバル化はこういう問題を地面をならすように自然に平らにしてくれるのか?とおもっていたけど、今まわりを見ると、仕事や収入の減少は国民全体に平等に訪れるのではなく、弱い所から(うちみたいな)沈んでいくみたいだ。つまり、グローバル化によって、国ごとの格差がなくなるのではなく、世界に存在する格差が国境を越えて侵入してくるのでは?
地理的に、政治的に近い場所で、貧富の格差が大きい社会は、もめ事が多そうだ。人間の社会とは、完全に平等にすることは無理で、せめてエリアを区切ってここまでは平等、とするのが精一杯なんだろか?