アーシュラ・K. ル=グウィン

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アーシュラ・K. ル=グウィンが亡くなった。初めてのアーシュラ・K. ル=グウィンは高校生のときの「闇の左手」。働き始めたころに読んだ「所有せざる人々」など。

ファンタジーやSFを読むには、それに適した年齢というのがあると思う。「ゲド戦記」とは、まだ小さい甥と姪に送る本を選んでいるときに出会い、その時私はもう大人になっていたので、面白くは読んだけど、私の心はすでにいろいろなことで埋まっていた。

甥と姪に「ゲド戦記」を買って送ったのは、この子ども向けの本を読んで著者のことをおぼえていれば、将来他の本も読んでくれるかもと思って。甥と姪はその本を読んだのか?さえも今はわからないが(彼らの母親である妹(5歳年下)は読んでおもしろかったと言っていた、送った第1巻のつづきの第2巻は女の子が主人公で(ジェンダーの問題を扱っているので)読んでと言ったが、その後妹が自分で本を買って読んだかどうかきいていない、わたしが買って送ればよかった)。

子どものころにSFを読むのって大事だと思うけど、わたしが子どもの頃学校の図書館にSFはなかった。

2006年のエッセイ「ファンタジーと言葉」の中に、著者はこどものころ、学校の図書室の本を全部読んでしまい、読むものがなくなったので、毎週末弟と二人でバスに乗って隣町の図書館まで通っていた、というエピソードが書かれていた。それを読んでわたしは子どもの頃の自分に会ったような気がした。わたしも小学生時代、毎週末一人でバスに乗って県立図書館に通っていたから。わたしの周りにそんなことをしている子はいなかった。たぶん自分は変わり者なんだろうと思っていた。

アーシュラ・K. ル=グウィンの父親は人類学者だったらしい。なるほどなあ。(今思い出して、祖母の文机にいつもあった本を眺める「草木虫魚の人類学―アニミズムの世界」(岩田慶治 1973)という本)

わたしは単なる読者でしかないけれど、喪失感が大きいのは、彼女の著書が若い頃のわたしの心を作る材料を与えてくれたからだと思う。どうしてだか、勝手に同年代の人だと思っていた。

犬・猫・そしてダンサー - r2