2006年5月22日

スポバカ DELUXE 2006

今年もちろん、石川とらさんは「TRAs Sports News"スポバカ DELUXE 2006"」を決行!ドイツW杯とMLBイチローを追いかけて、5月15日から7月24日まで、約2か月半の強行軍です。

日本を発つ前に電話で話したけど、W杯がはじまると毎日3本の記事をアップしなければならないとか。それにしても殺人的なスケジュール。すでにクロアチアからレポートが届きはじめています。
先日のUEFAチャンピオンズリーグファイナルのレポートも「スポニチ・世界のコラム」にあります(記事とは別の生レポートはblogで読めますよ)。

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2005年12月16日

仰木監督のこと。ベニテズ監督のこと。

TOYOTAカップ取材中の石川保昌(石川とら)さんからのメールです。

『仰木監督のこと。ベニテズ監督のこと。』(石川とら)

リバプール戦の帰りの電車のなかで、仰木監督が亡くなったというメールをもらって、呆然と家に戻りました。
ぼくがスポーツについて書くようになったのは、95年に仰木さんと出会ったからです。
それまで野球もサッカーもラグビーも、スポーツは趣味ではあったけど、スポーツについて書くようになるなどと考えたこともなかった。趣味を仕事にするなんて発想のない貧乏性だったのかもしれない。

震災取材で神戸に年の半分くらい通っていたころ、仰木さんの義兄弟みたいな方、島原市の前の市長だった(ひげの市長さん)鐘ヶ江管一さんの紹介でお会いするようになって、おふたりの本を作ったり、宮古島のオリックスのキャンプに訪ねたりするようになりました。
一時は、オリックスのゲームを年に50試合か60試合、観に出かけました。ケーブルテレビの中継も含めると、100試合くらいスコアブック、それもコンピューターに1球1球データを打ち込んでね。たまに球場でご挨拶すると、「どうや、今日はあとで寄りなさい」と声をかけられて、ずいぶん野球のお話を聞きました。
仰木さんの野球の話、面白かったのです。スポーツを本業にしないぼくが素朴な質問をしても、なんでも教えてくださいました。
宮古島のキャンプに訪ねると、一日の練習が終わると、監督は球場を車で出るんだけど、途中で降りてトレーニングがてらホテルまで歩いて帰ります。
ぼくはレンタサイクルで自転車で同じホテルから球場に通っていたので、サトウキビ畑のなかの一本道で、監督と一緒になる。真っ赤な夕焼けの下を2キロくらい、そのときは野球の話よりも子供時代の話とかしながら二人で歩いて帰ったものです。
一度、キャンプが終わって、そのまま宮古島から東京までオープン戦を桜前線といっしょに一か月近く北上しました。
スポーツ人物もののルポはそれが初めてでした。
監督はよく歩く人でした。神戸でも、朝5時半ころに起きて、新神戸駅の裏の山道を1時間くらい歩いて、前の日の酒を抜いていました。
そういう朝はぼくもただついて歩くだけで。
オリックス・バッファローズの発足会見のときに、ちょうど大阪にいたので、ご挨拶だけはしたけれど。
またゆっくりお話を聞く機会があると思っていました。WBCの取材にご一緒できると、またイチロー君の話を仰木さんからお聞きできると楽しみにしていたのに。


ぼくはサッカーの話を書くのでも、当事者に会わないと、なにを書くことにするか、アイデアがわいてこないタイプの書き手です。
たとえば、今日、ベニテズ監督と記者会見で質問をし、またミックスゾーンで話を聞き、ということをするわけですが、お互い、不慣れな英語で話をするわけだし、話を聞くことができる時間なんて限られていますからね。それでも彼がぼくに話をしてもいいよという気になってもらうために、たとえば、イスタンブールの勝利後の機嫌のいいときにまず声をかけています。先々週のチェルシー・リバプール戦も、ベニテズ監督に会っておこうと思うから、いろいろと面倒な手続きを経て話をお聞きする。そういうアプローチの仕方って、人によっては「うざったい」と思われるときもあるけど、うまくバイオリズムみたいなのが合うと、素敵な話を聞くことができることもある。こいつには話してもいいやという気になってもらうことをぼくは大事にします。

今日のデポルティボ・サプリサの試合だと、ジェラードの2点目が決まったところで、正直言って、あの追加点の取られ方は、サプリサの選手にとってはギャフンというような失点の仕方ですから、あそこで試合は終わっちゃってるわけです。
ぼくがそのあと見ているのは、ベニテズ監督がどんな指示を出しているかだけです。
彼は試合中、サイドライン際にほとんど立ちっぱなしで、選手に細かい指示を出すタイプの監督です。それで、3ゴール目を取ってからも、攻撃の指示をしている。
とくに、シセの位置取りに細かい指示を出しつづけていました。ロング・フィードを中央でクラウチが頭で競って、それをバックヘッド気味に相手ディフェンスの間に落とす。シセはオフサイドラインきりぎりで相手センターバックの間を突破するというシンプルな攻撃ですが。日韓W杯でアメリカのブルース・アリーナがポルトガルを破ったときの戦術です。シンプルな攻撃ほど、守りにくい。後半はほとんど、次のサンパウロ戦に備えた攻撃チェックじゃなかったかなというのがぼくの見方です。

そんなわけで、記者会見で、ぼくはこう質問しました。
「3ゴールで決まってしまった試合で、いったいなにを指示していたんですか。確かに去年、3ゴールを上げて敗れたチームもありましたけど(笑)。ほとんど攻撃のチェック、シセのポジションについて指示していたように見えましたが?」
「もう1点、取ろうと。そうして完全に試合を決めようと思っていたんだ」とベニテズ監督は(イスタンブールのくずぐりで笑いながら)とぼけて答えました。
記者会見場で投げることのできる質問はひとり1問だけです。
この質問は伏線。ミックスゾーンでまた監督を待ち受けます。
ミックスゾーンでは、今度は、監督のほうから、笑いながら握手でやって来てくれたので、本音を聞きやすい。
「アウトゥオリ監督が、昨日の記者会見で、リバプールのハイボール攻撃は予想していると話しましたが、今日のクラウチとシセのオーガニゼーションならいけると思うか?」
と本題に入るわけです。
「確かに警戒されるだろう。ただ、有効な戦術だと考えている」
「だから、ずっと、シセのポジションに注文をつけていた」
「トップ2人がうまく機能することがとても重要だからね」
「最初の試合が今日みたいなイージーゲームになるのと、昨日のサンパウロみたいにタフなゲームになるのとでは、どちらがいいのか?」
「う〜ん。いや、メンタル面で緊張がゆるむという問題もあるから」
「それを締め直す?」
「うん。まあ、それが仕事だから。どちらにしても、ファイナルだからタフな試合になるのは当然でね」
「じゃあ、また、ここでファイナルのあとで話を聞かせてください」
というやりとりで終わり。監督が出てくるまでに、シセには、クラウチとの関係について聞いておくわけです。

話を聞かせてもらうというためには、言葉はもちろんだけど、それ以外にも、敬意であったり、エチケットであったり、ウィットやユーモアであったり、いろんなコミュニケーションのお約束事というのがあってしかるべきだと思っています。そいう努力を経ていなくても書こうと思ったら書く方法がないわけじゃないけど、そういう努力をしないルポって書き手としてはつまんない気がするのです。

ぼくはそんなことを、スポーツの世界をはじめてのぞいたときに、仰木さんから、知らず知らず、教わったんです。
今日は、とりとめもない変なレポートで申し訳ないですが。石川とら。

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'TRA'  石川 保昌

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