笑いました。たしかに。身代金目当ての誘拐で本人に非がなくても、事件が解決すると「お騒がせしました」と深々と頭を下げるというお決まりの会見がありますね。
以前、ペルー大使館人質事件で開放されたばかりの日本大使が煙草を吸いながら記者会見に臨んだので態度が悪いとバッシングを受けたことがありました。あれも不思議でした。大変な目に合って開放されたばかりなのだから煙草ぐらい吸わせてあげればいいのに。そんな些細なことよりもゲストの命を守り危機を乗り切ったサバイバーとして尊敬されるべきなのに。
日本人には共通の「誘拐事件から生還した人」像があるんでしょうか。たとえどんな状況でもお約束から外れるとダメなんでしょうか。水戸黄門みたいに毎回同じ絵ヅラで事件が終わらないと安心できないのでしょうか。どなたか研究してみてほしいです。
'Lost in Translation' doesn't translate well in Japan | csmonitor.com
Even the Japanese hostages in Iraq last week unveiled the different approach here. E-mail postings were actually critical of the three hostages for disrupting Japanese foreign affairs. Their family members apologized publicly for damaging Japan's image.
アメリカ人にとっても不思議みたいです。
なにかきっと意味があるんだと思うのです。共通の宗教があるわけでもなく、めちゃくちゃ法がきびしいわけでもないのに、モラルが高く互いに思いやることのできる日本社会をつくっているのは、こういうお約束の確認儀式なのかも。。。と言う気がしてきました。