スルメを見てイカがわかるか

二十歳の頃、ある人と話していて、「私は科学しか信じない」というと「しかしその科学も人間の頭の中で作られた言葉によって成り立っている」と言われて、うーんと思ったことなどを思い出した。自分を取り巻くこの世の中の現象を言葉によって単純なものに言い直したいという欲求。それは科学とか宗教とか哲学とか美術評論とか様々な形を持つが本質は共通している。

急速な経済のグローバル化を不安に思う気持ちが、今の世の中にあると思う。企業の買収や証券取引の活況に対して、スローライフとかロハスとかこれも実態のないものが印刷物や音声の商品になって流通している。イタリア発祥のスローフード運動は島村菜津さんの本で有名になった。彼女はイタリアで「エクソシストとの対話」という本も書いていて、その中に忘れられない一文がある。取材した教会関係の女性の言葉「このごろの人はみんなすぐに答えをほしがる。人には理解できないものもあるということを忘れているわ」(だったかな?)私はこの言葉がグローバル化への反発であるスローフード運動の鍵だと思った。貨幣のように数えることが出来ず、言葉のように表わすことが出来ないものの価値を見直そうという。

混沌とした現象を受け入れて暮らすのはとても不安でできれば避けたい。隅々まで明るく照された夜道を歩きたい。人がそう思うのは当然だ。そして極端に脳化された社会システムの中で生きていると、すべて自分の意志でコントロールできると思ってしまう。けれどかつて大文明が栄えた場所が森林資源を使い果たして荒野になり巨大遺跡だけが残っているのを見ると、この脳化社会の行く末はどうなるのかと不安になる。脳のしくみを知ることで脳の限界を知る。という学問に人気が集まるのもわかるな。


芸術と言説について

踊る人を見て、その感動を思い出す。劇場の出口で、道を歩きながら、電車の中で、家に帰ってベッドに入って目を閉じてから。思い出すたび感動の輝きは少しずつ部品が落ちていくように周りから欠けていく。なんとかつなぎとめようと言葉に記録する。しばらくたって、書かれた言葉を読むとその日の感動を思い出す。でもそれはかすかに記憶に残る元の感動とすでに少し違っている。このとき自分はこう感じたのか。。。と思う。またしばらくして読む。もう元の感動はどこかに消えている。残された言葉が代わりになる。そして時間が経つほど確実に元の感動と言葉がすりかわる。

お正月にテレビで白洲正子の世界みたいな番組をやっていて「花の美しさはない、けど美しい花はある」という言葉が紹介されていた。白洲正子は能の人。そして脳の人、茂木健一郎も同じことを言っていた。ノウ同志。


著者について

本の最後に著者から読者に贈られる言葉がある。こうやってお土産まで用意してくれるなんて、なんていい人だろう。この人はいろんな人と対談をやっていて、mp3で聞くことが出来る。これがけっこうおもしろい。

茂木健一郎 クオリア日記: (本日)いとうせいこう × 茂木健一郎