夏に日本の神話のイラストを描いて、当時の衣装や装身具がわからなくて苦労しました。それを調べているうちに芋づる式におもしろい本に出会いましたので記録しておきます。
きっかけになったのは、サクヤコノハナヒメの話。ニニギノミコト(弥生人)と、もともと九州に住んでいた土着の部族の姫君サクヤコノハナヒメ(縄文人)が出会い結ばれ、しかしいろいろ両家の間で悶着があり。。。、女性側の親が姉も一緒にもらってくれと送り付けてきたのを返したり、女性の妊娠期間が短いので自分の子ではないのではと疑ったり、それを怒った女性が火を点けた小屋の中で3つ子を産むという話。
一夫多妻、早産、多産、産屋の風習、それらが大陸から来た洗練された文化(当時比)を持つ男から見れば、獣ぽいというか野蛮な感じに見えたんでしょうか。愛の力で結ばれた二人ですが、やはりカルチャーギャップがあり、二人の間が長続きするわけも無く。。。ショーペンハウエル先生の言う通り「遺伝子的に最良の組み合わせが、その後の生活を心地よいものにするとは限らない」であります。
「図説 地図とあらすじで読む古事記と日本書紀」は日本の神話の世界を短時間で俯瞰できます。神話のストーリーを地図と合わせて見ていると、神話の舞台が出雲や日向なのはなぜなのかなど、いろいろ考えてしまいます。大陸から来た人々は稲作に適した暖かく湿潤な平野を探していたはず。農地を探して宮崎平野にたどり着いた弥生人の先遣隊と、先住民だった縄文人との間で、いろいろあったかもとか。
古事記と日本書紀を比較対照しつつ、なぜ2つの記紀が存在するのかも解説されています。古事記は国内向けに大和朝廷支配の正当性を確実にするため。日本書紀は外国(中国)にうちはこういう国ですと提出するためだったそうです。
そこらへんの事情をミステリーというか歴史スキャンダルとして書いているのが梅原猛「神々の流竄(ルザン) 」
そして遺伝子レベルで当時起こったことに迫る「Y染色体からみた日本人」と日本におけるDNA研究を客観的に述べた「DNAから見た日本人」
日本人男性のy染色体においては2つの系統があり、それぞれを世界的なy染色体の系統図(というのを調べた人がいたのですね)にあてはめると、両者はかなり離れていた。人類はアフリカで発生し、ヨーロッパ、アジアと移動して(弱いものが追いやられて)きたわけですが、片方のy染色体はアフリカ系に近い。つまり、かなり初期に大陸を移動して、このアジアの辺境の崖っぷちの日本にたどり着いて定着した。その後かなり時間が経ってから、大陸から朝鮮半島を経由して別の系統の人たちが移動してやって来たというストーリーが推測される。
元々日本列島に住んで漁労採集生活をしていた人々(縄文人)と、農耕文明を携えて大陸からやってきた人々(弥生人)、海彦山彦の話しのように、各地で対立が起こっていたのかとおもいきや、遺跡などを調べるとそうでもないそうで、人々はじわーっと混ざり合い、いつの間にか区別がつかないようになった。日本語も混ざり合って一つの言葉になったし(動詞の2段活用が縄文語、5段活用が弥生語の名残だそうです)日本人は単一民族と疑わない人もたくさんいます。
「Y染色体からみた日本人」の著者は、このように系統的にはかなり離れていた民族同志が、諸外国で起こっている民族対立紛争みたいなことにならず、仲良く共存している事実を強調しています。これはなぜなんでしょう。大陸からの落ちこぼれ同志だから?それとも稲作と言う経済活動の力?
職場で知り合った外国人の女性があるとき「夫は私に、日本人はそうはしない、日本人はこうするんだと指図する。わたしは外国人なのに!」とガハハと笑った後ふとマジな顔になって「日本では外国人は外国人のままでは暮らせない」とさしみそうに言ったことがあります。
日本の上空にはなんていうか吸い取り紙のようなものが浮かんでいると思うことがあります。とにかくちょっとでも異質なものは何もかも吸い取ってしまう。いいものも悪いものも。そして適度に油抜きされて粒子が揃ったものが残る。その吸い取り紙状の装置とはやっぱり神社なんでしょうか?あのお払いの時にバサバサふられる紙を切ったヤツ、あれがあやしい。