「日の名残り」のカズオイシグロの作品。限定された境遇を受け入れながら生きるということについて。この小説の場合の主人公たちの境遇は「提供」という言葉が出た時点で薄々わかってしまう。その秘密は、読み手を物語の最後まで連れて行ってくれる動力になっているが、読み進むうちに、彼らが過酷な運命の中に生きていることを忘れてしまう。主人公たちの子供時代、思春期と物語を読み進み、主人公の心にぴったりと寄り添ううちに。
以下は本作を読まれた後に
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この小説の中には登場人物の容姿についての記述がないのです。欧米の作品を読む時、うっとうしく思うのが、髪は、目は、何色で。。。というくどくどとした表現なのですが、この作品では登場人物の具体的な外見については語られません。
彼らにとっては外見は単なるコピーでしかない?外見には意味はないのか?
もしこの作品を映像化するとなるとそこら辺が問題だろな。この作品を読んだ人は電器羊(ブレードランナー)とかを思い出すんでしょうか。私はメアリ・スチュアート・マスターソン主演の映画「恋しくて」です。
それから、三角関係といえば、古いけど、やっぱり私には「冒険者たち」ですね。アラン・ドロンのあの最後のセリフ・・・。