ー天正少年使節と世界帝国ーという本を読んでいます。若桑みどりさん渾身の1冊。16世紀の日本文化とヨーロッパ文明と接触した際の克明な記録。当時の日本が元スペイン・ポルトガル領の南米の国々のように植民地化されることを免れたのは、イエズス会の宣教師が「当地は非常に貧しく占領する価値はない」と母国に報告したからだったらしい。
アフリカを出て大陸で生存競争をしながら移動してきた極東の地、この先は太平洋でどこにも逃れる場所はない、ここでどうにか生きなくてはという場所。チベットもアイスランドも同じような環境だったと思う。生産性が限られた厳しい土地で、淘汰してくれる天敵もいない人類が、殺し合わずに生きて行くというシステムを作り出した、チベット仏教はすごいと思う。
モノがなけりゃどっかから獲ってくればいいじゃないか、いらなくなったらそこら辺に捨てときゃいいじゃないか、いやになったら出て行けばいいじゃないか、生き残るために他民族から略奪するのは仕方ない、というスタンスのキリスト教に比べて。
西欧文明と接触するたびに影響を受けて、日本も何度か大陸に略奪に出かけている。秀吉の朝鮮出兵とか、明治以降の植民地政策とか。だから日本人だって善人というわけではない。それに宣教師から見てどうしても許せなかった日本人の悪徳についても書いている。
この本は重く厚く読み通すのが難しいと著者自身思ったのか、ちゃんと飴とムチで読者を誘導してくれる。その飴は「当地は占領する価値はないので無敵艦隊を寄越さないでほしい」と報告した宣教師は、中国人と日本人は野蛮な未開人ではなく、西欧と同等の高さの文明を持つので、暴力で支配したり子供扱いして指導するには適さないと判断した、という部分。
550ページ中、今やっと160ページ。まだ天正の少年使節はユニット結成もしていない。少し読んではいろいろ考える事があってなかなか先に進めない。昨日今日はチベットの暴動のニュースを見てまたオプショナルツアーに出てしまった。
ラサにはもう行けないんだろうか?西川一三の「秘境西域八年の潜行 上・下・別巻」、木村肥佐生の「チベット潜行十年」を読むとチベットだっていい事ばかりじゃないらしいけど、いつか行って見たいと思っていたのに。そういえば、西川一三さんって今年までご存命だったのですね。チベット式: 【訃報】西川一三さん、チベット暦元日に逝く
ダライ・ラマとは特別な人なのか?図書館で著書をパラパラと立ち読みした事がある。めぼしい記事には当たらなかったが、これは?と思った一言があった。それは「あなたは他人が一目見てあなたが何者であるか判断できる身なりをしなければならない、でないと人は後であなたが第一印象とは違う人物だとわかると、だまされたと思って憎しみを抱くから」というもの。難しいです。こんなことは他の宗教家は言ってなかった。
まず自分が何者なのかわからなくてはならないし。普通の人は「ほんとの自分」より「なりたい自分」を服装で演出してると思うし。「本当の自分」って何?ときかれれば、自分を全く知らない初対面の他人が情け容赦なく観察した結果が「本当の自分」だ、と思っている、自分の事に関しては他力本願な私には特に。
昨日今日とチベットのニュースを見てると、ふとあれはもしかして公安のスパイのことを言っていたのか?そんな具体的なことやったん?とも思えてきた。
日本は資源のない貧しい国。今までどこの植民地にもならなかったのは、その価値がなかったから。もしもすんごい天然資源が発見されたら。。。チベットみたいに他国の餌食になっちゃうのかな。それはいやだ。そのとき、アニメを愛する世界のオタクが抗議行動をしてくれるだろうか?