ミツバチの羽音と地球の回転

ミツバチ@staff Blogを見て、近所なので鎌倉の上映会に行ってみました。この原発反対運動は、漂着物学会や野鳥の会経由で知っていて、なんとなくその海域に生息するカンムリウミスズメとかスナメリとかかわいい動物の姿が見られるのかな?ぐらいのノリだった。

とーころが、見てびっくり。このフィルムの主人公はオバチャンたち。お金も権力もない弱い一人一人、でも自分の生き方を自分で決めた、結果がどうなろうと決めたことのために「人生を捨て石のように与える」(by鎌仲監督)それが誇りある生き方。ライフワークというもの。ハートをギュッとつかまれた。明るくていつも笑ってるけど、村の中は原発推進派と反対派と真っ二つ。ほんとはいろいろあるんだろうななど思いつつ。

上映会の観客も、平日の昼間とあって、フィルムに登場するオバチャンたちの同年代のご婦人が多かった。で、リアクションが一緒なのね。オバチャンは全国共通!

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女性でも、オバチャンでも、生き方を他人に決めつけられたくないし、何を子孫に残すかは自分で決める。そのためには戦うぞ!という姿勢がものすごく共感を呼んだのか?上映後席を立つ人はほとんどなし。そのまま監督と鎌倉市長と環境ジャーナリストの若い女性とのトークに突入。

中国電力の横暴を暴く、新聞広告を出すためのカンパが回ってきたら、みんなジャンジャンお金を入れていた!あたしなんかは持ってる小銭あるだけぐらいだが、隣のご婦人は札びら出していた。出演者たちをもう親戚であるかのような、同じ船に乗ってメガホン持って戦ってるような錯覚になってたんだろな。

壇上に出て来た鎌倉市長は、え?この人?というほど若い人だった。感想をきかれて、2つ。飯田哲也氏の言葉を引用して、世界のエネルギー政策が新しい方向を模索してることが印象に残った。もうひとつは、為政者が住民の生き方を上から目線で決めつけることは絶対あってはならないと思いを新たにしたと。

では鎌倉市はどうするのですか?との監督の突然の問いに市長が詰まると、監督は「鎌倉には油田が必要です」と。???「都市の油田は=省エネです」。で「ナチュラル・ステップ」という本の紹介。(鎌倉市長公務の都合上退場)

[新装版]ナチュラル・ステップ-スウェーデンにおける人と企業の環境教育 [単行本(ソフトカバー)] カール=ヘンリク・ロベール (著), 市河 俊男 (翻訳)

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その後観客との質疑応答。
・ある年配のご婦人が「原発というものは人間が制御できないおそろしいものという認識が必要」と。
・その後年配の紳士が「現行の原発の代わりに常温核融合という新技術がある」と。
・次に、会場ではごく少数派の若者が「自分で使う電気を自分で選べないのに反吐が出る。フィルムの中で「(人や環境に負荷を与える)汚い電気は使いたくない」と言っていた。なぜ日本では選べないのか?無力感におそわれる」と。

監督の答えは、原発がいい悪いではなくて、大量に電気を作って送電線で運ぶという発想をやめてみようということ。バイオマスや風力や、地方の自治体主導でその地方に合った小規模の発電をやる。たとえば1万人規模の地方でエネルギーを自給自足できれば、それが千カ所実現できれば、日本全体が自立できる。中央集権的なエネルギー政策のしわよせは必ずどこかに(国内の貧しい地方、遠方の途上国など)。人間のスケールが人間を幸せにする。

現状を変えるには、とにかくビジョンを作り、まず決意しそのためにやることを決める。上からの命令に従うのではなく、地域の中で顔を合わせて話し合うのが必要。「ミツバチ。。。」の上映も、都市から地方へという中央集権的な方法ではなくて、まず地方から限界集落での上映からスタートしている。

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いくら優秀でも、経験があっても、長年馴染んだ発想からは逃れられないものだね。未熟でも若い人を登用する意味は大きい。日本のエネルギー政策が思考停止状態になっているのは、長年使ってきた古いシステムと利権を捨てられないため。電力を自由化しようという動きが出るたびつぶされる。だが、ある小さな市の勇気ある市長さんが(何市だったか?)決意をして実験を始めたところもある。

電力を自由化する法律ができれば、現状は変わる。変えられるという情報を周りに知らせることが重要。

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その後、参加者で自由に対話をするワークショップの時間が設けられたが(希望者が20人ほど居た)、わたしはお腹をすかせた家族の元に帰宅。

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原発反対運動をしているオバチャンたちは、子育ても終わり自由の身。養うべき妻や子がいる男性たちは、彼女たちほど自由ではないだろう。わたしがこうやって書きたいことを書けるのも、夫に守られているから。逆に、女性だからこそ真実を口にできるともいえる。