原子力事故と東海村の人々―原子力施設の立地とまちづくり
(シリーズ臨界事故のムラから (1))
斉藤 充弘 (著)
東海村に原子力施設ができるとき、土地利用の整備構想としては安全面から、施設の半径2km以内は緑地。6km以内は工場など居住地以外の施設。その外側に居住地。となっていた。しかし現実は、まず2km圏のすぐ外側に社宅や住宅ができ、年月が経つうちだんだん施設のすぐそばにまで住宅が建つようになってしまった。
JCOの臨界事故はなぜ起こったのか?くわしく調べられている。「プルトニウムファイル」にも、突然の臨界事故で作業員が被曝するシーンが書かれている。最初は決められたマニュアルどおりきっちり手順を踏んでいても、慣れとともにだんだんいい加減になっていく。どこの国のどの各研究施設も同様のようだ。とすれば、人とはそういうものだからという前提でいろいろやっとく必要が?で、わざとハード的にめんどくさくしておくと、ああもううるさいとかって、とっぱらわれて、なんでこんなことしたんだ?って後であきれられたり。。。
当時の作業員の被曝限度を見ると、きびしかったんだなーという感じ。タイムマシンで今こんなだよって見せたら、びっくりするだろうな。わたしたちもすでに慣れてしまっている?地震には完全に慣れてしまったね。。。