アジサイ

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わたしは3歳まで港の近くの古い街並みで暮らしていた。父が郊外に土地を買って家を建て引っ越して、4歳から山の上の当時は新興の団地の中にあった幼稚園に通った。山の上の幼稚園は古い街中とは違って、空が広く風通しがよく元気な子どもたちがいっぱいいいた。

たぶん6月だったんだと思う。工作の時間で、貼り絵でアジサイを作りましょうという課題だった。青や紫の色紙を小さくちぎって、画用紙に貼りましょうというもの。わたしはあじさいの花は、4枚の花びら(ほんとはガクだけど花だと思っていた)からなる小さな花の集まりと知っていたので、色紙を小さく切ったのをさらに折って4枚の花びらの花を作り、それを貼っていった。

当然作業量が多いので、みなさんできましたか?と声がしたとき、私だけ半分もできていなかった。しまった!よかれと思ってやったのに、これじゃあ半月形のあじさいになってしまう。いや、半月じゃアジサイじゃない!とあせった。

その上、きれいなやさしい先生が、心配そうにわたしの手元をのぞいた。そのとき、あっ私は先生の言うことを聞かずに勝手なことをやっていた、ということに気がついた。そのとき、ズーンと黒くて重い罪悪感が上から降りてきた。先生は「また続きをやればいいわ、今日はここまでにしようね」と言ってくれた。わたしは、やっちまった、という重い砂袋を背負いながら家に帰った。

その夜、嘔吐が止まらず衰弱して往診してもらい、その場で医師の判断により入院ということになってしまった。あとで成長して当時の病名を母に聞くと、自家中毒ということだった。祖母によると父も幼少期に同じ病気になったそうで、ああ、あれね、という感じで、家族はあっけらかんとしていた。

その夜から1週間の入院だった。なんとその医院は幼稚園の隣の敷地で、病室の窓は通っていたお教室に面していた。朝になるとみんなの歌やお遊戯の声が聞こえる。それを聞きながら小さな声で一緒に歌っていた。

毎日11時になるときれいな看護婦さんが点滴セットを持ってやってくる。看護婦さんは好きだが点滴の針は怖かった。針を刺す痛さにさえ耐えれば、後は楽になる。そのまま午後まで眠っていた。

目が覚めるとおともだちは家に帰りお教室はガランとしていた。3時ぐらいになると、オルガン教室になり、小学生のお姉さんたちがやってくる。そのオルガンの音を聞いていた。

退院してしばらく家でゆっくりして、また幼稚園に復帰した。幼稚園の行事はめまぐるしい。もうアジサイの課題は終わり、七夕の飾りの準備を始めていた。チマチマしたアジサイに比べて、七夕は大がかりで楽しそうだった。そんな日、ふと先生の机を見ると、机の後ろの壁に、わたしの作りかけだったアジサイの貼り絵が飾られていた。

ここに貼る、と鉛筆で丸く描いた半分しか花びらが埋められていない、未完成の半月のアジサイを。先生はおこってなかった。先生はわたしを待っていてくれた。その日、家に帰って、母に「オルガンを習いたい」と申し出た。初めて自分から何かをやりたいと言ったことを、家族は喜んでくれた。