7 29, 2015

丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略―

丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略― (扶桑社新書) 新書 足立 力也  (著)

コスタリカといえば、われわれバードウォッチャーにとっては自然がいっぱいの楽園、エコツーリズム発祥の地なのだけど、最近安保法案の話題に関連して、非武装中立国という面が注目されている。

この中に書かれているコスタリカの陽と陰、日向と日陰を読むうち、日本と同じ平和教育が徹底した国であるコスタリカにあって日本に無いものについて、著者が書いている点にハッとした。(p.211〜)

コスタリカ人の平和のイメージは、平穏、自由、民主主義、文化、尊厳、環境など肯定的なイメージが強い。肯定の肯定。平和はまず自分自身の内部の問題であり、コスタリカ人は常に平和の概念を心のどこかで意識しながら暮らしているそうだ。

対して日本で平和教育といえば、反戦教育であって、過去の悲惨な戦争を想い出して否定するという、否定の否定。そのため、平和という言葉にネガティブなイメージがつきまとい、後退を食い止めることはできても、さらに前に進むところまでは行かない。平和←第二次世界大戦のイメージが強すぎて、平和=遠い昔の話、遠いどこかの国の話に思えていないか?と著者は言う。

そこだ!!日本で平和教育といえば=反省。先生からしかられる的なイメージが強い。反戦運動への反発には、子どもの頃の劣等感、わからずやの先生や処世術に長けた優等生への反発の感情がないだろうか?アメリカにおける反知性主義と同様の。

    外資企業で働いていた頃、第一次イラク戦争が起こった。そのとき同僚だったアメリカ人(モルモン教徒)と、戦争について論争した。彼女とは仲がよく何でも話せる間柄だったのでお互い安心して言い合えたのだけど、彼女は「平和主義」を机上の空論的なマイナーなイメージでとらえていたなあ。

平和主義がダメなんじゃなくて、平和教育が間違っていたのでは?戦争からだいぶ時間が経った。あの時のことを覚えているのは大事だが、同時代の現実にも目をむけては?

今の日本のいいとこに注目しよう。

外で友人たちと遊べる

静かに本を読んだり映画を見たりできる

テロを恐れず交通機関を利用できる

テロを恐れずマラソン大会が開催できる

夜も自由に歩き回れる

言論の自由がある

母国語を話せる

水道・ガス・電気・道路が保安されている

クロネコヤマトが神業

食料が安定供給されている

四季折々の景色・自然の移り変わりを堪能できる

PTSDの親類縁者・友人がいない

街で暴力が幅をきかせていない

乳幼児の死亡率が低い&長寿

外国への援助品を相手からこころよく受け取ってもらえる

国内で災害があったとき、ほとんどの国から援助と励ましをもらえる

本土を失っていない

本土が分断されていない

天皇制が存続している(李朝、清朝は断絶した)

戦争の影をひきずっている他国の事情を思い浮かべてしまうのでやはりマイナスなイメージが全くないとはいえないが、後ろだけを向いているよりはいいかも。

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