愛とは?

「犬と歩けば」という映画の概要を読んで、これはもっと宣伝してほしい映画だなぁと思った。

一度は人に捨てられながらも、セラピー・ドッグとして価値を見いだされた犬たちの物語。「かつて私は(世の中に)見捨てられ、しかし今は(神によって)見いだされた」というゴスペルの定番アメイジング・グレースの歌詞のようです。

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私が生まれた時、家には親が拾って育てた犬と猫がいました。私は彼らと一緒に大きくなりました。彼らが老衰で死ぬと、今度は私が猫を拾うようになりました。親にはもう拾ってきちゃダメよ、と言われているのだけど、なぜか縁があって、路上で出会い、就職活動されてしまうのです。

でも路頭に迷っていた子猫たちって、栄養状態が悪くすでに病気になっていたりして、なかなか長生きできないのです。もうあきらめなさい、と親に言われても、おねがい、おねがいと泣きついてお金を貰って、具合の悪い猫をかかえて一人でバスに乗って動物病院に通いました。

猫を拾っては死なれて泣く私を見て、基本的にはもう動物を飼う事には反対だった親が「絶対死なない丈夫な猫をもらってきてやる」と言ってくれて(当時犬猫は売買するものではなくてもらったりもらわれたりするものでした)ある日1匹の子猫がうちに来ました。あったかい家の中でちゃんと離乳するまで母猫のもとで育てられた子です。その猫は使命を全うしてなんと18年も生きました。えらいぞピッピ。

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当時は特別な施設やお金を介さなくても、犬猫をもらったりもらわれたりという草の根のネットワークがありました。また、犬猫が少々ご近所で迷惑をかけても大目に見てもらえるっていうか、犬猫はもちろん飼い主のものですが、ご近所のものでもあるという感覚がどこかあった気がします。

実際、自分ちに犬猫がいなくても、ご近所の犬猫に接する機会はたくさんありました。うちにいた犬は私の属するガキンチョ軍団と一緒に野原を駆け回っていましたし、うちの猫はお隣の小さな女の子のお気に入りでずいぶん可愛がってもらいました。

子どもって言葉によるコミュニケーションが未熟なのでちょっとしたことでケンカしたり傷ついたりします。犬猫たちは何も言わず黙って子どもたちの悔しさや寂しさや不安を吸い取ってくれました。

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犬猫がお金で売買されるようになってから、犬猫はそれ自体生きている存在というよりは、車やアクセサリーみたいなブランド品(または品種を表す記号)みたいになってしまった気がします。だからちょっとでも他人に迷惑かけようものならうるさく言われるし、捨てるのも簡単なんじゃないでしょうか。

縁あって出会い、自分の手で命を救った子や、他人様から譲り受けた子は、なかなか捨てるなんでできないでしょう。捨て犬猫の問題は、人と人とのつながりの問題でもあると思います。

犬猫も介護も教育も何もかも産業になってしまい、お金の仲介がないと機能しない世の中で、人と行き場のない犬猫との関係の再編成の一つとして、セラピー・ドッグというシステムが生れたのかなあ。昔は良かったなんて振り返るより、今のやり方にあった方法を見つけなきゃ仕方ないのかな。

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でもやっぱさ、飼うなら雑種ですよ。雑種の犬猫たちは1匹たりとも同じ顔の子はいないんだもん。見た目も個性もみんなちょっとずつ違う。世界に1匹の犬猫だもん。たまに、お前、一体どうしたんだい?と聞きたくなるほど変なデザインのやつがいて、そういう子ほど飼い主には可愛くてたまんないです。うちのシャミはおいしそうなこんがりあぶり焼き(Rumiちゃん談)だって。

そしてね、初心者の人は犬猫の扱いについて経験豊かで相談できる人から譲り受けてほしいです。扱い方がわからないから飼いきれなくなって捨ててしまったり、逃げられたりするんじゃないかな、きっと。犬猫は人間とは違う理屈で生きてる。その大前提を知ってください。おねがいします。

犬猫を飼い始めると言うのは、金融機関のCMみたいにお金を払って必要なモノをそろえればそれでOKというものじゃありません。その犬猫を理解して関係を築いていく期間、いろんな喜びや葛藤があります。「犬と歩けば」という映画を見れば、ココリコの田中君と一緒にその過程を体験できるでしょう。

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