文化の日、放送されていたマリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)のレッスンを録画で見ました。(裏番組の所さんの笑ってこらえて「吹奏楽の旅 SP」を見ていたので)生徒はすでに国際コンクールでいくつも賞をとっているプロの卵たち。プロがプロに行うレッスンなので、教えられているのは、テクニックではなくて曲の解釈、音楽に対する姿勢などです。
マリア・ジョアン・ピリスは自宅の農場で若い演奏家向けのワークショップをやっています。音楽家を育てるには、テクニックだけでなくて、人そのものを育てなければならないという信念のもとに共同生活をしながらピアノを教えているのです。CDのジャケットの写真とは印象がかなり違っていて、小さい体、日に焼けて、余計なものがそぎ落とされた感じで、なんていうか、往年のサーファー見たいな感じ。
先生や上司に言われることって、当人にとっては「何でこんなこと言われるんだろう?」って感じで、その時は全く理解できなかったりします。元々わかっていないから、注意されるんであって、芸事のように言葉で表しにくい事は特に言葉で指摘されてもわかりにくい。
ところが、それが他人同志のやり取りをそばで見ているだけの立場の時は、先生の言うことがよーくわかる。「あんな簡単な事をこの人はなぜ理解できないの?」とイライラするぐらい。また、その事から離れてかなり時間が経ったある日、ふとあれはそうだったのか、とわかることもあります。ほんとは自分がレッスンを受けているところをビデオに撮って後で見てみるといいんだろうな。
優れた先生は、生徒の間違いのパターンや、生徒が成長段階のどこにいるかがわかっているので、「今のあなたはこうよ」と少々オーバーにやってみせ「そしてこれを見て」と全く違う事をやってみせます。(私の空手の兄弟子だったトルコ人の11歳の男の子にこれをやられた時は、ウヒャーと思いましたが)
ちょっと緊張気味だった日本人の生徒はピリスに「叫んでみて」と言われていました。「のどが締めつけられるように声が出ない時は何かを表現できないのよ」「あなたの演奏はカーテン越しに聴いているみたい」と。日本人は「もっと自分を出して」っていつも言われますね(^^;)
「この曲(ショパンの幻想ポロネーズ)で大事なことは何?」と言われて彼は「この曲の構造が理解できないんです」と言うと、ピリスは頭を振りながらふっと笑って「構造?大事なのはファンタジーじゃない?」と返します。日本人にとってファンタジーってなんでしょう?アニメですか?何か共通のこれだっていうものがあるのでしょうか?私も知りたいです。
イスラエル人の生徒が「どうやって体の使い方を習得したのですか?」ときくとピリスは「まだまだ勉強中よ、これは終わりがないのよ」と答えていました。アフリカ系の生徒の「実生活で苦労したことはありますか?」の問いには「曲の解釈で行き詰まった時、右手の故障にも苦しめられたわ」と答えていました。その右手の手首の甲には小さな入れ墨がありました。
そして「人の評価なんて気にしちゃダメよ。コンクールで賞を取ることばっかり考えてたら、演奏に集中できないでしょ」と言うと生徒たち一同笑っていました。
ショパン:夜想曲集 ピリス(マリア・ジョアン) ショパン
シューベルト:楽興の時 ピリス(マリア・ジョアン) ショパン
能の知恵 中川晶三 多摩川大学出版部