寒くて眠い雨の夜は本の世界に逃避行。
縄文時代の海水面は今より高く、東京の低地は水没していた。当時海の中に尽き出した岬状の土地は、霊力が宿る特別な場所と考えられ、神社・仏閣・放送塔などの形となって現代に残っている。それは東京タワーの周辺や上野の山などに顕著に見られる。丘の上と低地を結ぶ斜面に何か特別なものを感じるというのはよくわかるな。タモリもそう言ってるし。
急な斜面を下ると、草木の根が見えたりして、地の底に降りていくように感じることもあるし、長い階段を上がると平地から離れていくような気がすることもある。坂道は現実からちょっと離れる感じを作り出す装置になっている。
海をじっと見ていると、水の底に川の流れがありその川筋だけ水面の色が違っていたり、海底に段丘があって外洋から押し寄せる波がそこで変化したりするのがわかる。海岸線から向こうは単なる無というわけではなくて、海の底にも別の世界がある。
別の世界を覆っている水面の光の反射の中に立つことができる岬のような土地は、やはり特別な場所だと思う。不安と陶酔が入り交じる場所。未知の世界へ飛び立つための滑走路のような。
私のホームページのBBSに「同じような写真がたくさんあったので、へっへえ・・・!と少し驚きました。」と書き込んでくれた方がいて、同じ風景に価値を見いだす人がいた!という不思議な感動に包まれたのですが、近所の茅ケ崎はともかく、稲村ケ崎の何でもない普通の家屋と空き地を撮ってしまうのはなんでなんだろう。その地形に引き寄せられる何かがあるんでしょうか。とすればその要素は具体的に何なのか?
わたしの学生時代の美学の先生は、長らくギリシャ美術を研究されていましたが、近年その延長として現代における「環境美学」というものを研究してらっしゃるそうなのです。人が、ある超現実的・非現実的光景に引き寄せられるのは、神話的な考え方や感じ方と関係があるのではないかということなのですが。。。また学生に戻って、あれから20年後の先生の講義を聞きたいです。