「アリはなぜ、ちゃんと働くのか」の解説で知った、構造主義進化論。先日同じ著者の「分類の思想」を読もうとして、まったく歯が立たなかった。数字や記号だけがズラーと並んでいるのを見ると、意識がフッと遠のいて先に行けなくなっちゃうんだな。生物には興味あるけど統計がダメだあ。この本は講義という口語による説明がベースになっているので、ちょっとは付いて行ける。
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で、構造主義進化論って何?ということだが、「生物はダーウィンが言うように競争の結果進化しているのではなくて、なるようになるべく進化している。だって生物とはそういうものだから。」らしいんだけど。。。(ちがう?^^;)
ダーウィン以前の進化論の歴史もおもしろかった。昔の人は、たとえばイヌをイヌたらしめているのは、イヌのイデアがとりついているからだと思っていた。イヌが死ぬとイデアも離れるので、肉体が崩壊しイヌではなくなる。とか。プラトンのイデアが、実体のあるものとして使われていたとは。
18世紀末、ヒトが後ろに反って(イナバウワー状態)おへそが頂点になる姿が、ヒトデに似ているので、脊椎動物と軟体動物は元は一緒だったのでは。。。という説が出て、それは言えてる!と非常にウケて、かのゲーテも支持した。ところが内部の構造がちがうんだからありないと解剖学者に反論されて、ゲーテの評判も少し落ちてしまった。とか。
近代以前の暮らしは毎日同じことの繰り返しだったので、進化という概念がなく、種は不変と信じられていた。産業革命が起きて、社会が変化することが当然な時代になったという背景があって、初めて生物も進化するという考え方が現われたそうです。
ダーウィンの進化論は、競争により弱いものは淘汰されて当然という、資本主義の新興階級のセンスにぴったりと合い支持されました。(でもですよ、弱いものは淘汰され、より環境に適したものに進化していくと言うなら、なぜ先進国で少子化が、開発途上国で人口爆発が起きるの?とわたしなどはおもうのだけど。)
科学は客観的で絶対的な真理を追究するものであるはずだけど、けっこう時代の気分を反映しているものなのですね。仮説を立てて検証することによって科学は成り立っているのですが、仮説を考えるのも、検証する道具を作るのも人間ですもんね。学術的な世界は、世俗的な政治や経済とは独立した崇高なものと思いがちですが、学問だからと言って信用出来るとは限らないということでしょうか。サイードの「オリエンタリズム」と、この「さよならダーウィニズム」は、その辺のヒントをくれたとおもいます。
ダーウィンの自然選択説はメンデルの遺伝学の登場により破綻しましたが、今は両者を融合する形で現われたネオダーウィニズムという自然選択説が主流だそうです。けど分子生物学によりこの説もじき主流ではなくなるだろうというのが著者の予測。
構造主義の考え方によると、人はあるルールを作りそれに従って生きているが、そのルールの根拠は絶対的ではない、便宜上とりあえず決まったものであるが、決まった以上はそのルールが人を拘束する。たとえば言語の成り立ちにみられるように。ルール(同一性)の根拠は恣意的なので、常に矛盾が生じる。それを修正するとまた矛盾が生じ修正する、それを原動力にして社会は動いていく。そんなことが全く起こらない完全調和な世界は死の世界だろう。うーん、東洋的。
この本は原理主義やグローバリズムについての批判の書にもなっています。ということは著者の説もまた世間の風潮に反発すると言う意味で時代の影響を受けているのです。
この本は知識を授けてくれるというよりは、考え方を示してくれる。特に構造主義について。シニフェとシニフィアンという単語が出てきた時は、うっ出た。。。とやばいものに再会した気分になりましたが、単なる知識として記憶にインプットされていた時と、それがどう使われるものか応用例を知った後とでは、印象が違います。考え方を学ぶとは、達人が作った道具を、また他の達人がどのように使いこなしているか、その応用例を多く知るということだなあとおもいます。
ーーー
(オプショナルツアー)
わたしはこのごろ、iTunesでポッドキャストとか講演とか聞いているのですが、iChatのメンバーリストに今聞いているタイトルが表示されたりするのですよね。んで、偶然クリスマスに「他者の痛みを感じられるか」になってるけど、テーマ重スギ!とか、「朝刊読み比べ」は地味スギとか苦情を受けたりするのですが、ちなみに今日はmixiのNinja tuneのコミュニティで知ったSmall Cast Radio Networks: ZEN TV Ed.を聞いていました。Small Cast Radio Networksの別のエントリーRapperShadeの"NAVIGATOR"を聞いていたら、15分15秒ぐらいからかかるホーカス・ポーカスの73 touchesという曲が気持ち良くて、Amazon.frで検索して全曲試聴してみました。残念ながらすぐに欲しいのはこの1曲だけで、listen.Japan ではダウンロード販売されてるけど、わたしはMacなので買えません。たのむ、iTMS。
で、先日保坂和志さんという作家の講義を聞いていて、このごろの若い人がノートを取らないという話に相づち。ノートとは単なる記録ではないのです。会話や文字列という1次元の情報を聞きながら、同時に分類や構築をして2次元の情報に置き換える作業。情報のパーツを拾いながら全体を推測する高度な技(ちなみにyo氏はその技の天才)。情報のカケラを集め、選び、組立る能力は子どものころに鍛えると効率的。それは物事を創造する力と関係があると思います。
この頃の若い人は先に出来上がり図をほしがる。このパーツで何が出来るか想像してまずは組み立ててみるということに慣れていないし、だいたい組立可能な数のパーツが溜まるまで我慢できないことが多い。たしかに昔に比べれば処理すべき情報の絶対量が多いので、ゆっくり考える時間がないのかもしれないけど。
以前いた職場で若い人に何かを説明する時は、ズバリ核心部をできるだけ少ない単語で伝えるようにしていました。でも、その一人とかなり親しくなって進路を相談されるようになると、わたしは彼女の将来が心配で、情報の断片だけを示して、結論は自分で考えるように促しました。(だって「ソフトの入門書にはこういうことが出来ますと書いてあるけど、何をしなさいとは書いてない」と不満そうに言うんですよ。)彼女は私のやり方を時代遅れで合理的でないと思っていたかもしれません。
そんなわたしたちのやり取りを脇で聞いていたアルバイトのコピー&お茶係の若い女性が、「その話、わたしにはわかる」と入ってきまして、「最初は意味がわからなくてもある程度知識が増えると、ある日突然それがきれいにつながって形になることがある」と。わたしは感激して思わず「そうなのよ!」と握手してしまいました。
聞くとそのアルバイトSさん(私だって派遣だったんだけど)は元SEだったそうで、わたしはその人が安い時給で働いているのはもったいないと思って、そこから引き抜いて彼女の能力を生かせる別の職場を紹介したのでした。
ーーー
そういえばわたしも小学生のころ祖母に「意味がわからなくてもいいから古典を読みなさい。読んでいるうちにわかるようになるから」と平家物語を読破するよう命令されました。意味がわからないのによんでもしようがないじゃん?と冒頭の数ページを読んで挫折。翌日また最初から読み始め、数ページで挫折。。。の繰り返しで、結局読みませんでした。ゴメン、おばあちゃん。あのときおばあちゃんが言ってたこと、今の私にはよくわかる。もう遅いけど。
ーーー
で、保坂氏はクロソウスキーという作家のことを話していて、あとでamazonで検索したら「ディアーナの水浴」という本があり、訳者は宮川淳だった。最近偶然「ありそうもないこと 存在の詩学」という本を見かけて、冒頭の「ラベンナの墓」を読んで「ああ、はまった。。。」と膝がガクンとなって訳者を見ると宮川淳だった。宮川淳が生きていたらなあとおもう。彼ならこの時代をどう見てどう思ったろう。
学生時代、一般教養の必修で音楽の時間があって、それは大講堂でただレコードを聴き感想文を提出するだけのものだった。わたしは退屈でその曲にまつわる私的な想い出やいいかげんな物語を思いつくまま長々と書いて出した。その学期の終わり頃、音楽科の教授が美術棟の美学の先生のところに遊びにに来て、そういえばおたくに面白い学生がいるねと話題になったときいた。
その音楽の教授はゲジゲジまゆ毛で耳たぶが大きくいつもダブルのスーツを着ていた。そして彼はゲイで、男子の学生にはとってもやさしいのに、女子にはものすごーく厳しいので有名だった。わたしは叱られるんだろうかと心配になった。受講生が多いから全部のレポートの内容まで目を通さないだろうとタカをくくっていたのだ。「ああ、オノ君(旧姓)ちょっと」と呼ばれてO研究室のドアの前に立った。「キミなめてんの?」とか言われるのかな。
ビビった私は先手に出た「あ、K先生、わたし音楽史を勉強したいんです。音楽科の講義を受講させていただけないでしょうか」なんであんなことを言ったんだろう。当時から口から出る言葉を制御できなかった。「ああ〜、全然かまわないよぉ」先生は見かけに似合わず甘い声で歌うようにおっしゃった。それでなぜか(K先生がこわいので)西洋音楽史の講義に出て、スカルラッティなど古楽のビデオを見た。んでまた当時の衣装や髪形がぶっ飛んでいて、ブハッと思ったけど、音楽科の生徒は誰も笑わない。一緒に受講していたH君と美術棟に戻ってから、ダハハと心ゆくまで笑った。H君はオーストラリアに留学して陶芸家になり今も向こうに住んでいる。
当時美術棟の窯芸室にはいつも留学生がいてろくろを回していた。なんで外国人は日本文学を専攻するとついでに陶芸をやりたがるんだろう?とにかく、そのときはサンフランシスコからメアリさんという女性が来ていて、修行の合い間に私たちとお茶を飲みながらいろんな話をした。ある時「私の住んでいた町はゲイの街。周りはゲイだらけ。だから私には誰がゲイで誰がそうじゃないかすぐわかる」と宣言した。われわれ田舎ものの日本人は「へーっ、そんなに潜在的にゲイがいるものなのか」と驚き「で、だれだれ?」ときくと「そりゃO先生、絶対」という。「それはわかるね、ありうる」「でも先生は自分ではまだ気づいてないね」「このまま気がつかない方がいいんじゃない?」もうメアリさんそっちのけで日本語で勝手に盛り上がって、大体他人がゲイかどうかなんて大きなお世話だし。
まあK先生とO先生はむずかしい芸術のことやなんかで話が合ったんでしょう。K先生が美術科の飲み会に加わることもありました。あるとき「オノ君、こっちおいで」と呼ばれて何かお話をしなくてはいけない状況になったときがあった。私は酔っていたのと、K先生のようにとっても偉い教授とサシでお話をするのは気まずいなあという、あまりに気まずいので気が遠くなりそうだった。そして今度もワラをもつかむ気持ちで、でもつかんだワラはなぜか
「先生ゲイってほんとですか?」
ええ、その場の空気は瞬間氷結。だけど先生はかまわず「誰からきいたのォ?ぼくはね、女の子のいるお店には行かないんだよ。あれ飲んでいいかしら、これ頼んでいいかしらって言われるばっかりで、全然楽しくない。お酒を飲むならゲイバーにかぎるよ。今度ね、僕がかわいがっている子がお店を出したんだ。どこにあってどんな内装で。。。」K先生のしゃべり方は歌のようだった。そのときの話はここで記憶がなくなっています。H君が助け船を出してくれてバカ話に戻ったのかもしれない。こいつとは話が合うなあと意気投合した男子の友人はみんな今は海外で暮らしています。なんでだろう。日本の女に幻滅させる何かを私が提供したんだろうか?
ーーー
深夜のロケット花火初認
松林のウグイスのさえずりますますさえ渡りのどかで力が抜ける
冷蔵庫壊れて2日目、冷凍食品がだいぶ解けてきた修理人が来る月曜までがんばれ
で、構造主義進化論って何?ということだが、「生物はダーウィンが言うように競争の結果進化しているのではなくて、なるようになるべく進化している。だって生物とはそういうものだから。」らしいんだけど。。。(ちがう?^^;)
ダーウィン以前の進化論の歴史もおもしろかった。昔の人は、たとえばイヌをイヌたらしめているのは、イヌのイデアがとりついているからだと思っていた。イヌが死ぬとイデアも離れるので、肉体が崩壊しイヌではなくなる。とか。プラトンのイデアが、実体のあるものとして使われていたとは。
18世紀末、ヒトが後ろに反って(イナバウワー状態)おへそが頂点になる姿が、ヒトデに似ているので、脊椎動物と軟体動物は元は一緒だったのでは。。。という説が出て、それは言えてる!と非常にウケて、かのゲーテも支持した。ところが内部の構造がちがうんだからありないと解剖学者に反論されて、ゲーテの評判も少し落ちてしまった。とか。
近代以前の暮らしは毎日同じことの繰り返しだったので、進化という概念がなく、種は不変と信じられていた。産業革命が起きて、社会が変化することが当然な時代になったという背景があって、初めて生物も進化するという考え方が現われたそうです。
ダーウィンの進化論は、競争により弱いものは淘汰されて当然という、資本主義の新興階級のセンスにぴったりと合い支持されました。(でもですよ、弱いものは淘汰され、より環境に適したものに進化していくと言うなら、なぜ先進国で少子化が、開発途上国で人口爆発が起きるの?とわたしなどはおもうのだけど。)
科学は客観的で絶対的な真理を追究するものであるはずだけど、けっこう時代の気分を反映しているものなのですね。仮説を立てて検証することによって科学は成り立っているのですが、仮説を考えるのも、検証する道具を作るのも人間ですもんね。学術的な世界は、世俗的な政治や経済とは独立した崇高なものと思いがちですが、学問だからと言って信用出来るとは限らないということでしょうか。サイードの「オリエンタリズム」と、この「さよならダーウィニズム」は、その辺のヒントをくれたとおもいます。
ダーウィンの自然選択説はメンデルの遺伝学の登場により破綻しましたが、今は両者を融合する形で現われたネオダーウィニズムという自然選択説が主流だそうです。けど分子生物学によりこの説もじき主流ではなくなるだろうというのが著者の予測。
構造主義の考え方によると、人はあるルールを作りそれに従って生きているが、そのルールの根拠は絶対的ではない、便宜上とりあえず決まったものであるが、決まった以上はそのルールが人を拘束する。たとえば言語の成り立ちにみられるように。ルール(同一性)の根拠は恣意的なので、常に矛盾が生じる。それを修正するとまた矛盾が生じ修正する、それを原動力にして社会は動いていく。そんなことが全く起こらない完全調和な世界は死の世界だろう。うーん、東洋的。
この本は原理主義やグローバリズムについての批判の書にもなっています。ということは著者の説もまた世間の風潮に反発すると言う意味で時代の影響を受けているのです。
この本は知識を授けてくれるというよりは、考え方を示してくれる。特に構造主義について。シニフェとシニフィアンという単語が出てきた時は、うっ出た。。。とやばいものに再会した気分になりましたが、単なる知識として記憶にインプットされていた時と、それがどう使われるものか応用例を知った後とでは、印象が違います。考え方を学ぶとは、達人が作った道具を、また他の達人がどのように使いこなしているか、その応用例を多く知るということだなあとおもいます。
ーーー
(オプショナルツアー)
わたしはこのごろ、iTunesでポッドキャストとか講演とか聞いているのですが、iChatのメンバーリストに今聞いているタイトルが表示されたりするのですよね。んで、偶然クリスマスに「他者の痛みを感じられるか」になってるけど、テーマ重スギ!とか、「朝刊読み比べ」は地味スギとか苦情を受けたりするのですが、ちなみに今日はmixiのNinja tuneのコミュニティで知ったSmall Cast Radio Networks: ZEN TV Ed.を聞いていました。Small Cast Radio Networksの別のエントリーRapperShadeの"NAVIGATOR"を聞いていたら、15分15秒ぐらいからかかるホーカス・ポーカスの73 touchesという曲が気持ち良くて、Amazon.frで検索して全曲試聴してみました。残念ながらすぐに欲しいのはこの1曲だけで、listen.Japan ではダウンロード販売されてるけど、わたしはMacなので買えません。たのむ、iTMS。
で、先日保坂和志さんという作家の講義を聞いていて、このごろの若い人がノートを取らないという話に相づち。ノートとは単なる記録ではないのです。会話や文字列という1次元の情報を聞きながら、同時に分類や構築をして2次元の情報に置き換える作業。情報のパーツを拾いながら全体を推測する高度な技(ちなみにyo氏はその技の天才)。情報のカケラを集め、選び、組立る能力は子どものころに鍛えると効率的。それは物事を創造する力と関係があると思います。
この頃の若い人は先に出来上がり図をほしがる。このパーツで何が出来るか想像してまずは組み立ててみるということに慣れていないし、だいたい組立可能な数のパーツが溜まるまで我慢できないことが多い。たしかに昔に比べれば処理すべき情報の絶対量が多いので、ゆっくり考える時間がないのかもしれないけど。
以前いた職場で若い人に何かを説明する時は、ズバリ核心部をできるだけ少ない単語で伝えるようにしていました。でも、その一人とかなり親しくなって進路を相談されるようになると、わたしは彼女の将来が心配で、情報の断片だけを示して、結論は自分で考えるように促しました。(だって「ソフトの入門書にはこういうことが出来ますと書いてあるけど、何をしなさいとは書いてない」と不満そうに言うんですよ。)彼女は私のやり方を時代遅れで合理的でないと思っていたかもしれません。
そんなわたしたちのやり取りを脇で聞いていたアルバイトのコピー&お茶係の若い女性が、「その話、わたしにはわかる」と入ってきまして、「最初は意味がわからなくてもある程度知識が増えると、ある日突然それがきれいにつながって形になることがある」と。わたしは感激して思わず「そうなのよ!」と握手してしまいました。
聞くとそのアルバイトSさん(私だって派遣だったんだけど)は元SEだったそうで、わたしはその人が安い時給で働いているのはもったいないと思って、そこから引き抜いて彼女の能力を生かせる別の職場を紹介したのでした。
ーーー
そういえばわたしも小学生のころ祖母に「意味がわからなくてもいいから古典を読みなさい。読んでいるうちにわかるようになるから」と平家物語を読破するよう命令されました。意味がわからないのによんでもしようがないじゃん?と冒頭の数ページを読んで挫折。翌日また最初から読み始め、数ページで挫折。。。の繰り返しで、結局読みませんでした。ゴメン、おばあちゃん。あのときおばあちゃんが言ってたこと、今の私にはよくわかる。もう遅いけど。
ーーー
で、保坂氏はクロソウスキーという作家のことを話していて、あとでamazonで検索したら「ディアーナの水浴」という本があり、訳者は宮川淳だった。最近偶然「ありそうもないこと 存在の詩学」という本を見かけて、冒頭の「ラベンナの墓」を読んで「ああ、はまった。。。」と膝がガクンとなって訳者を見ると宮川淳だった。宮川淳が生きていたらなあとおもう。彼ならこの時代をどう見てどう思ったろう。
学生時代、一般教養の必修で音楽の時間があって、それは大講堂でただレコードを聴き感想文を提出するだけのものだった。わたしは退屈でその曲にまつわる私的な想い出やいいかげんな物語を思いつくまま長々と書いて出した。その学期の終わり頃、音楽科の教授が美術棟の美学の先生のところに遊びにに来て、そういえばおたくに面白い学生がいるねと話題になったときいた。
その音楽の教授はゲジゲジまゆ毛で耳たぶが大きくいつもダブルのスーツを着ていた。そして彼はゲイで、男子の学生にはとってもやさしいのに、女子にはものすごーく厳しいので有名だった。わたしは叱られるんだろうかと心配になった。受講生が多いから全部のレポートの内容まで目を通さないだろうとタカをくくっていたのだ。「ああ、オノ君(旧姓)ちょっと」と呼ばれてO研究室のドアの前に立った。「キミなめてんの?」とか言われるのかな。
ビビった私は先手に出た「あ、K先生、わたし音楽史を勉強したいんです。音楽科の講義を受講させていただけないでしょうか」なんであんなことを言ったんだろう。当時から口から出る言葉を制御できなかった。「ああ〜、全然かまわないよぉ」先生は見かけに似合わず甘い声で歌うようにおっしゃった。それでなぜか(K先生がこわいので)西洋音楽史の講義に出て、スカルラッティなど古楽のビデオを見た。んでまた当時の衣装や髪形がぶっ飛んでいて、ブハッと思ったけど、音楽科の生徒は誰も笑わない。一緒に受講していたH君と美術棟に戻ってから、ダハハと心ゆくまで笑った。H君はオーストラリアに留学して陶芸家になり今も向こうに住んでいる。
当時美術棟の窯芸室にはいつも留学生がいてろくろを回していた。なんで外国人は日本文学を専攻するとついでに陶芸をやりたがるんだろう?とにかく、そのときはサンフランシスコからメアリさんという女性が来ていて、修行の合い間に私たちとお茶を飲みながらいろんな話をした。ある時「私の住んでいた町はゲイの街。周りはゲイだらけ。だから私には誰がゲイで誰がそうじゃないかすぐわかる」と宣言した。われわれ田舎ものの日本人は「へーっ、そんなに潜在的にゲイがいるものなのか」と驚き「で、だれだれ?」ときくと「そりゃO先生、絶対」という。「それはわかるね、ありうる」「でも先生は自分ではまだ気づいてないね」「このまま気がつかない方がいいんじゃない?」もうメアリさんそっちのけで日本語で勝手に盛り上がって、大体他人がゲイかどうかなんて大きなお世話だし。
まあK先生とO先生はむずかしい芸術のことやなんかで話が合ったんでしょう。K先生が美術科の飲み会に加わることもありました。あるとき「オノ君、こっちおいで」と呼ばれて何かお話をしなくてはいけない状況になったときがあった。私は酔っていたのと、K先生のようにとっても偉い教授とサシでお話をするのは気まずいなあという、あまりに気まずいので気が遠くなりそうだった。そして今度もワラをもつかむ気持ちで、でもつかんだワラはなぜか
「先生ゲイってほんとですか?」
ええ、その場の空気は瞬間氷結。だけど先生はかまわず「誰からきいたのォ?ぼくはね、女の子のいるお店には行かないんだよ。あれ飲んでいいかしら、これ頼んでいいかしらって言われるばっかりで、全然楽しくない。お酒を飲むならゲイバーにかぎるよ。今度ね、僕がかわいがっている子がお店を出したんだ。どこにあってどんな内装で。。。」K先生のしゃべり方は歌のようだった。そのときの話はここで記憶がなくなっています。H君が助け船を出してくれてバカ話に戻ったのかもしれない。こいつとは話が合うなあと意気投合した男子の友人はみんな今は海外で暮らしています。なんでだろう。日本の女に幻滅させる何かを私が提供したんだろうか?
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深夜のロケット花火初認
松林のウグイスのさえずりますますさえ渡りのどかで力が抜ける
冷蔵庫壊れて2日目、冷凍食品がだいぶ解けてきた修理人が来る月曜までがんばれ