日本語や日本社会というコートを脱ぎ捨てて海外に出ていける人は、才能や環境やお金に恵まれた人なんだろうか?恵まれた人にお説教される筋合いは無い?いやでもね、今はインターネットってのがあります。そして逆に、狭く深い世界に潜るほど、遠くの人と触れ合う機会が増すって事もあるよなあ。狭い業界とか、カルトな趣味とか。接点は小さくても、そこから相手の背負ってる大きな世界を知る事もあるかも。
そして1対1という多少リスクを伴う関係でなくても、blogという個人が発するメディアがある。イラクのリバーベンドという女性のblog。ある時、アメリカ人の記者が拉致された言うニュースが報道され、その際イラク人の通訳が殺害されたと小さく付け加えられていた。通訳はリバーベンドの知人だった。彼が生前どんな人だったかを日本語に訳されたblogで読んだ。下のリンクのずっとスクロールした写真の下あたりから。
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Baghdad Burning
2006年1月12日 木曜日
音楽に捧ぐ・・・
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世界中のピンクフロイドファンはこれを読んでどう思うだろう?政治家や大メディアが「イラク人」としか報道しない人。その人がどんな人かを知ったら。
この頃、いろんな知識がたまるほど、空き容量が少なくなって、新しいものへの好奇心が少なくなってるかもなあと感じることがある。古くて肌になじんだ毛布を捨てるのはつらい。このblogもレイアウトを新しくすれば?と言われるけど、なかなか腰が上がらない。エントリーを追加するのは簡単だけどレイアウトそのものから変えるのは勇気がいる。レイアウトを変えるとは根本的な何かを一から考え直さなくてはならないということで、とても骨が折れる。webもblogも最初に作った時は何か湧き出るように自然にできた。それまでが白紙だったからだろうか?自分を白紙に戻すとは、一から始めるよりも大変かもしれない。