12 21, 2006

古楽とは何か

古楽とは何か--言語としての音楽 (単行本)

アーノンクールは一体何考えてるのか?著書を読んで見た。何が言いたいのかよくわからない。「音楽と言語」を読んで勉強しなおしか。言語が。。。となると、日本語しか話さない日本人に西洋音楽が理解できるのか?というところに行き当たってしまうのかな。

それでも食いつけそうな単語を見つけてはその周辺をかじっていくと、ヴィヴァルディやモーツアルトについて研究した具体的な成果については、ほほうと思う所があった。でもそれはどちらかというと雑学の類いで、周りをグルグル回っているだけでアーノンクールという人にはちっとも近づけない。

寝る前に2、3ページ読んではパタっと閉じて「あ"〜〜」。そんな日々を過ごして2週間。そして昨日アーノンクール指揮のマタイ受難曲を聴いた。「ああ、そういうことか!」言葉で説明できないけど納得してしまうのはなぜ!?不思議。ということでこの本終了。

数年前ポリーニがアーノルト・シェーンベルク合唱団を日本に連れてきてくれて、私は初めてマレンツィオやジェズアルドのマドリガーレを聴いた。ルネサンス期にこんな変態音楽が!いや失礼。こんな複雑で抽象的な音のための音みたいな声楽曲があったのかと驚いた。ほんとに衝撃だった。聴いているうちに上下左右の感覚がなくなり、曲が終わって拍手しなくては行けないんだけど、さて手はどこに行ったか?まずは足を地面につけなくちゃ。その感覚が忘れられなくて、CDを探して手に入れて聴いたが、あの時の感動はどこへ?ちがう。アーノルト・シェーンベルク合唱団だったから?あのホールだったから?

それから数年して、ジェズアルドの曲に似た音楽を聴いた。それはジャワの宮廷のガムランのCDだった。バリ島のガムランと違って、非常に洗練されていて。。。ていうか洗練されすぎてちょっと変態入ってる感じ。あるスタイルが洗練されてされすぎると、それはむしろ変!になる。この法則はバレエや、オペラや、歌舞伎や、巨大になりすぎた恐竜や、やせ過ぎのモデルさんなどにも当てはまるとおもう。それはそれで私は好きだが、「プリーズ・ミスター・ポストマン」はカーペンターズよりビートルズの方が好き。

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シャミの予防注射。病院の猫はこんがりトースト色。食欲不振で連れてこられていた子猫がかわいかった。

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バルサのみなさんもやっぱり行くのか秋葉原

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