金属類のリサイクルは有用だが、ペットボトルや紙のリサイクルは、かえって環境を悪化させるという説。著者は材料学の研究者です。
で、ほんとのところどうなのか?私にはわからない。
ただ、リサイクル出来るからと安心して、資源やエネルギーを使い続けることに疑問を抱かないでいるよりはいい。
材料をリサイクルできたとしても、そのためにかかるエネルギーがそれを一から製造するよりもかえってかかっているとしたら?
白熱電灯を禁止しても、それに代わるものや器具を製造するエネルギーが必要だし、車をハイブリッドに買い替えたとしても、そのハイブリッド車を製造するために、古い車に乗り続けるよりも多大なエネルギーが使われていたとしたら?
自分は環境にいいことをしていると思い込んでいても、見えないところでは実際どうなのか?そもそも楽してしかも環境にいいなんてありうるのか?
この人のサイトに掲載されている文章より。「へーなるほど」と思っちゃいました。
一夫多妻の論理人間がいかに自分に都合が良いように解釈するかという見本のようなものに「一夫多妻」がある。世の男性に「一夫多妻はどうですか?」と聞くと、ほとんどの男性は「うらやましい」と答える。妻1人でも大変なのにとも思わないでもないが、それが人情というものだろう。そして婦人団体は眉をひそめる。
この「一夫多妻」に対する男性の反応こそ、「人間は事実をそのまま理解するのではなく、必ず自分本位に解釈する」ことの典型的な例である。
一夫多妻というのは1人の男性が複数の女性を妻に持つということである。そして男と女は結婚年齢に達した時にはほぼ同数である。ということは、例えば一夫多妻が男性1人に妻10人とすると、男性10人の内、たった1人が妻を持ち、子供を持てるのであって、残りの9人はあぶれる。
だから男性に一夫多妻を聞けば、9人は「イヤだ」と言い、1人だけが「うらやましい」と言うはずである。それをほとんどの男性がうらやましいというのは自分が10人の内の1人になると錯覚しているからである。
一夫多妻制度は男性には厳しく、女性にはまだましな制度である。男性は10人のうち1人しか子孫を残せないのに対して、女性はとにかく全員が子孫を残せるのだから。
自分に都合の良いことが真実であり、実際には不利であっても錯覚の限度一杯に錯覚しようとする、そんな可愛い存在が人間なのだ。そしてその性質を利用してズルをしてやろう、儲けたい、自分が当選したい・・・などと考える不埒な奴もいるから困る。
おわり
名古屋大学 武田邦彦