江戸時代までは「敵討ち」が認められていた。ただしそれにも決まりがあった。たとえば、父、兄など目上の身内の敵を取るのは許されたが、子供や弟など目下の者の敵は許されなかった。「敵討ち」は、支配層が武士である社会では全く禁止するわけにもいかない存在だったけど、大人数の戦闘になったり、復習の連鎖が無限ループしたりしないよう、最低限の流血ですむようなシステムになっていたらしい。
非常に興味をそそられたのは、冒頭に出てくる「後妻打ち」。妻を離縁した夫が、1ヶ月以内に後妻をもらった場合(たいてい先妻より若くてきれいな後妻だとおもうけど)屈辱と嫉妬の炎に燃えた先妻が親戚や知人の女たちを連れて、後妻宅を襲撃するという行事があった。
その作法は、「何月何日何時ごろ、何人で伺います。武器はこれとこれを持って行きます(たいていは竹刀や木刀)」と書状で通達し、その際の両家の使者は男性だが、あとは全部女性だけ。先妻チームは相手の家に乗り込み、台所用品や障子を破壊。その後双方の代表者で言いたいことを言い合ったのち引き上げる。流血なしのストレス解消劇。当時は女たるもの一生のうちに2,3度は参加経験があったという。ヒェ〜。
後妻にとっては理不尽なことだと思うけど、正妻だというだけで、すでに先妻に勝ってるんだから、まあしようがないか。いきなり銃で乱射されるよりはいいかも。