漁港にて。
ハマヒルガオを摘むと空が曇る。と子どものころ本で読んだ。旅人がハマヒルガオに呼び止められる。どうぞわたしをつんでください。どうして?ときくと、答える。
ハマヒルガオを摘むと空が曇るってききました。あそこに小さな潮だまりがあるでしょう?先日の大波の時にお魚が取り残されてしまって、このままお天気が続くと水が涸れてお魚は死んでしまいます。だからどうぞわたしをつんでください。
で、旅人はどうしたか?忘れてしまった。子どものころはハマヒルガオの気持ちがわからなかった。なんで自分より知らない魚の方が大事なのか?
今はわかる。ハマヒルガオはアサガオのようにすぐ枯れてしまう。どうせ短い命なら魚を助けることに使いたかったんじゃないかな。
童話にはそんな説明はなかった。ハマヒルガオの気持ちがわからないまま大人になって、たまたま海辺でハマヒルガオを見て子どものころに不思議に思ったことを思い出した。
そういえば、先日海水浴場のヒタヒタの波打ち際でペットボトルに海水をくんでいる老夫婦がいた。ペットボトルをのぞきこんでいたおじいさんが「うおー!」と叫んだ「小さい魚がいる!」わたしも駆け寄ってのぞきたかった。
夕方彩雲が出た。毎回思うんだけど、ほんとに彩雲の色って写らない。肉眼では見えるのに。ヒトの眼ってすごいね。
ここ数日、晴れていても飛行機雲が見える。雨があがったと思ったらもう次の前線の高層雲がやって来ている、つまりハマヒルガオが咲く頃の天気は変わりやすい、ともいえる?
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注:後で調べて、この童話は、今西祐行「はまひるがおの小さな海」だったとわかりました。旅人はその後どうしたか?そこからがいい話だった!のにおぼえていなかった。今西祐行さんの他の作品「月とべっそう」「ゆみこのリス」「ひとつの花」「そらのひつじかい」も読み、ああどれもおぼえてる!この人の本だったのかとおもいました。(2022.05.15)