打ちのめされるようなすごい本から本命、丸谷才一の「笹まくら」。図書館で借りた新潮現代文学全集63巻。「笹まくら」「年の残り」「思想と無思想の間」「横しぐれ」と一気に読んだ。「打ちのめされる」というよりも「吸い取られた」感じで消耗した。
「恋と女の日本文学」に書かれていた、「恋愛という個人的な事と、社会との関わりという公の事、どちらかだけを描くのではなく、双方が密接にかかわり合い切り離せないストーリー」(私のつたない解釈による)そのものですね。
過去と現在が交互に同時進行するスタイル。素晴らしいラストシーンは香港映画「ラヴソング」を思い出した。わたしの印象に残ったのは、その少し前、陽子が実は。。。で、主人公が妻の寝顔を見るシーン。主人公はその時初めて、妻を女としてでなく同じ人間として見た、と思う。普通の人には理解できない(と主人公が思っている)特別な孤独と悩みを持つ人間として。
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徴兵忌避というと思い浮かぶのは、イラク戦争への従軍を拒否して裁判になっている、米国陸軍将校、ワタダ中尉の事件だ。中尉はハワイ出身の日系人。
暗いニュースリンク: ワタダ中尉の従軍拒否に関するタイムズ紙報道
太平洋戦争時、日系人の部隊は戦闘の激しい前線に送られた。日系人がアメリカ市民として社会に受け入れられるため、収容所に入っている家族や同胞のため、命令通り戦い戦死者も多数出た。
一方、その子孫であり生まれた時からアメリカ人として育ったワタダ中尉は、状況を自分で判断し、行いを自分の意思で決めるというアメリカ人らしいスタイルを通した。どちらもアメリカに忠誠を尽くしアメリカ市民であるための行動だ。
もし日本国憲法第9条が変わったら、徴兵制が復活すると思うけど、そのとき夫や息子が招集されたらどうするだろう?ワタダ中尉の母のような立場になったら?
あらゆる情報が国境を越えてネットであっという間に世界に知れ渡る今、個人個人の信条や判断を認めないことで成り立っている軍隊という組織は維持するのが難しくなるだろうな。軍需産業は衰退して行くだろう。これからの国家規模の公共事業は戦争から他のもの(たとえばゴア式環境ビジネスとか)に変わっていくのかな。
「笹まくら」で主人公は「国家は何のためにあるのか」という問いに「戦争をするためさ」と答えている。「スイスなど特別な例を除いて」。著者がこの文を書いている時は、その例外に日本も入っている。9条のような憲法を持つ国は希有な存在だ。世界の宝だとおもう。
軍事産業が縮小されるとすると、在庫品をどこで処分するかが問題になる。アフリカとか中央アジアとか世界の目が届きにくい所が選ばれるんだろう。意外と極東の日本ということもありうる。経済的にはともかく、言語によるコミュニケーションという点では世界から孤立しているから。
ゴミ箱にされるのを慎重に避けなければならない時に、わざわざ戦争を出来る国に変えたりするなんて、不法投棄のトラックが出入りしやすいように、山の中に舗装路を造るようなもんだ。