近所の古書店で手に入れた「現代思想 臨時増刊 1980.7 総特集=地中海」に若桑みどり氏が書いている「人体表現における南と北」という文章を読んで、どうしてもティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を見たくなった。
これには元絵があって、ジオルジオーネの「眠れるヴィーナス」だというのは有名だけど、今回の展示を見てそれにさらに元絵があったことを知った。それは本の挿し絵として描かれた小さな線画で、「こんなマンガみたいなのが元ネタなのか!」とyo氏は驚いていた。
ウルビーノでこの絵を見たっけ?所蔵はウフィツィになっていた。なぜウフィツィにあるんだろう?
このようなヴィーナスの絵は、当時、婚礼家具の長持ち(カッソーネ)のフタの裏によく描かれたものだったらしい。こんな感じで。
すると、このウルビーノのヴィーナスが横たわっている理由や、背景の説明がなんとなく浮かんでくる。
若桑氏によると、イタリアルネサンス期の人体表現法はゲルマンにも影響を与えたが、その北方の一派クラナッハなどと、南方のティツィアーノらの、ヴィーナス像の表現を見比べると決定的な違いがある。それはシンメトリーの徹底具合で
シンメトリーとは、ラテン人にとっては、個と個、個と全体、空間内における人体のシンメトリーであった。それゆえ風景なしに人体はありえない。クラナッハやグリーンのように(デューラーすらも)背景を黒でうめるという事は、イタリアには決してないのです。らしいのです。「個と全体との絶え間ない均衡の感覚」を背景は表わしているのか。。。(モナリザの背景なんかにもそういう意味が?)
若桑氏は続けて、ゴシック的、またはラテン的な人体表現は、それぞれの「民族性」によるものではなくて
それは人間と世界の関係についての、その文明の根源的な視点から生れたものであります。即ち、世界を有限な、閉ざされた、人間の尺度によって計測しうるものと感ずるか、あるいはまた、これを無限で捕らえがたく、超人的尺度において見るかということであって
まさに、その故にこそ、十六世紀イタリア、曾て黄金の人体比例を完成させたその本拠が、ルター側にもましていっそう狂信的な宗教改革をこうむり、自治都市の崩壊と"新封建化"と呼ばれる初期絶対王制への転回を行ったこと、そこには十五世紀ゲルマンと酷似したマニエリスムの「蛇状体形」(ディスプロポーションと波状形姿とドラブリを特徴とする)が生まれ出たのも、不思議ではありません。
「ヴィーナス誕生」や「春」を描いたボッティチェリが、晩年はサヴォナローラの影響で別人のような作風になってしまったことや、(あのサンマルコ修道院のサヴォナローラの部屋。。。そこだけは公開されていなくてそれがまた恐ろしかった)、ウルビーノがこの「ウルビーノのヴィーナス」が納品されてからしばらくすると自治を失って教皇領になってしまったことなどを思い出す。
そして氏の研究はマニエリスムへと。。。ドラブリって何だ?次に読むのはこれだろうな、古書店の奥の方にあったなあと思いつつ。まだ「クアトロ・ラガッツィ」も読み終わってないんだけど。
人が手を伸ばせば届く距離で完結する世界、いつも全体を見渡せる位置か。盆栽や茶室や日本庭園はそれを実現してないかな。その後に行った国立博物館の庭園で感じたのでした。
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ドールハウスとか鉄道模型とか、人が世界を理解できる大きさに定義し直したものを好むのはそういうこと?ルネサンスの絵画がわれわれにあたえてくれる幸福感とは、LEGO的なものなのか?いやいや、ああいう判で押したような、無限に増殖するようなパターンによる表現、エジプト美術ぽいものは、ルネサンス的なものと対極にあるって言ってたよな。。。ああわかんなくなってきました。