日経ビジネスオンラインで連載中の「中国"A女"の悲劇」を読んで、むむ〜!と思った私は筆者の近著であるこの「中国動漫新人類」を読んで、またまた「えーそうなの!うーむ」とうなった。
著者は中国育ちで、日本に帰国後理論物理学を専攻、大学教授となったが、80年代に中国から大量に留学生が来るようになると、自分の過去の経験を生かして留学生たちの世話をするようになった。その数、数万人単位。たくさんの中国の若者に接するうち、ある年代から急に変化が見られるようになったと感じた。
それは、日本のマンガ・アニメの影響を受けているということらしい。一方で、その同じ若者は江沢民の愛国教育による激しい反日感情も持っている。反日と、日本アニメ大好き、その相反する感情が一人の中に矛盾する事なく同居する、これは一体どういうことだろうかと調査した結果がこの本。
調査はすべて著者自身による直接インタビューという形で行われた。対象は中国人留学生から、本国の大学生、街頭の人、海外に住む華僑、中国共産党幹部、などなどありとあらゆる分野の人たち。著者の顔の広さと根掘り葉掘り本音を聞きだす話術に脱帽。66歳になる著者は、調査のために孫とその友人から「スラムダンク」全巻を借りて読破したそうだ。
前半は、知られざる中国のアニメ事情。中国の子どもたちに日本アニメを浸透させたのは、安価な海賊版だった。たかが子供向けのマンガと政府が見逃していた間に、子どもたちは、上から押し付けられたものでなくて、自分のお金で自分の好きなものを選ぶという資本主義の基本を学んだ。という説。
後半は、江沢民の愛国教育が反日暴動に至った事情。共産党がやばくなったので国民の目をそらすために政府が裏で糸を引いてたんでしょう、という単純なものではない、という著者の解釈。特に第6章に書かれている、反日の発火点はサンフランシスコ、クパティノの反共華人からなる人権保護団体による署名活動だった、というのには驚いた。
中国の人権問題に向けられるのと同じ視点で、旧日本軍による慰安婦問題が告発されたという事実。チベット問題などで中国の人権の状況を非難するのと同様に、世界は日本の慰安婦問題も見ている。自分はシリコンバレーとは無縁ではないと思う人は、この章を読んでおいた方がいいんじゃないかな。
あと、なんで中国はああなのか?と平行して、なんで日本はこうなのか?という疑問に答えてくれる一撃な回答を得た。それは「日本人は、アメリカに負けたと思っていても、中国に負けたとは思っていない」。言えてる。戦後、アメリカは日本に対してメディア戦略をして「アメリカに負けた〜」「絶対かなわない」と強く印象づける事に成功した。著者はここで「日本テレビとCIA」という本を参考に挙げる。
近所に要塞のようなあやしい家がある。あるとき、その家の前に黒い街宣車が停まっているのを見た。それ系か!なんとなく納得したのだが、その後、またまた謎は深まった。ときたま電動のガレージが開いて家主を乗せた車が出てくるのを見るのだが、それがものすごくウエスタ〜〜ン♪なのだ。でっかいオープンカーのハンドルを握る年配の家主さんは、ヒラヒラのついたバックスキンのジャケットにカウボーイハットで、助手席にはでっかいお犬様たち。街宣車系の人って、国粋主義者じゃないの?外出時には羽織袴、乗り物はTOYOTAじゃないの?右翼にしてアメリカ大好きって本人の中で矛盾しないのか、不思議。反日でアニメ好きな中国の若者より理解しがたい。
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この本を読んで、またまたクアトロ・ラガッツィを思い出した。若桑みどりさんも、この本の著者、遠藤誉さんも、専門は別分野ながら、語学に秀でていて、根気よく集めた1次情報から、異文化の交流について考察している。そしてそのテーマの根底には、若いころの衝撃的な体験があり、今、時代の変換期にあたり、自分の使命を果たそうとしている年配の女性。
人は、今現在自分に起こっている事はなかなかわかりにくい。なんでなんだろう?と苦しみ悩んでもやもやした状態に耐える。時間がたてば、ああ、あの時の自分はああだったんだな、とわかることもある。それが、他人を横で見ている時は、それはこういうことだから、こうすればいいのに、と歯がゆくおもったりする。
国際問題も、同時代の他国、または他国から見た過去の自国を取材する。すると、今現在のことなのに、遠くから俯瞰するように自国を客観的に理解できることもあるんじゃないかなと思う。
私は最近「"現代家族"の誕生―幻想系家族論の死」という本(女性の著者によるインタビューから構成された本で、別名「親の顔が見てみたい調査」)と「中国"A女"の悲劇」(日経ビジネス オンライン)の
第8回 私が出合った<A女>たち(1) 〜年収2000万円相当、人柄最優先、でも結婚は"怖い"
第9回 私が出会った<A女>たち(2) 〜「漢民族の男とは結婚したくない!」を読んで、自分、母、祖母について考えてしまった。
「戦争とジェンダー」のアマゾンのレビューで、家父長制が戦争の原因なら、それがなくなって平和が来るのはいつの時代のどこなんだ?というのがあったが、わたしはそれは今の日本じゃないかと思う。
平和はいいことだ、でもそれはそれで男性にきびしい状態なんだろうか?
「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
ならさ、男性たちが非生産的な戦争なんつうものに行ってくれれば、その間に女性たちに仕事のチャンスが回って来るとも期待できるよね。
もし今の社会が戦前の日本のような家父長制で女性に経済力が無ければ、女性はあんな人イヤこんな人イヤと言わずに、生きるために誰とでも結婚するんだろうか?
三砂(みさご)ちづるさんは、i-morlyのインタビューで、「女性の高学歴と社会進出には、娘たちにそうするようにとの母親たちの強い希望があった」とおっしゃっています。「自分たちの結婚生活がよっぽどイヤだったんでしょうね!」と。
女性から経済力を奪えば、多くの男性に結婚のチャンスが来るだろうか?いいや〜、経済力を持つ少数の男性が愛人を何人も囲うだけだと思う。で、愛人がいる男性の家庭がうまくいくはずもなく、家の中は地獄。そんな家庭に育った息子はグレて(わたしの祖父)娘たちは、結婚を恐れて修道院へ(わたしの大伯母たち)。
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ジェンダーとかフェミニズムとかの本を読むと、女性VS男性という構図しか見えない事が多い。でも、生物的には、男性のY遺伝子は大して情報を持っておらず、男性の役割は女性が持っているX遺伝子を運ぶ事だ。結婚は男女で1組だけど、遺伝的には、女性と、男性の母親との遺伝子交換になる。
男性は、その母親である女性の出先機関、遺伝子を残すための手先。だから、男対女の戦いは、実は女対女のたたかいでもあると思う。息子に出世してもらいたい、お金持ちになってもらいたい、功徳を積んでもらいたい。それは他の女性の遺伝子(を運ぶ男性)に勝つためだ。
遺伝子そのものにまるで意志があるかのような言い方はまちがっている、と福岡伸一先生はおっしゃっているけど。
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なんか、全然まとまりなく何を言いたいのかわからなくなってきた。あの911以後、女性が書く異文化の本が変わってきたなと思う。かつては自慢系、説教系が多かったと思う。こんなに素敵な外国生活、それにひきかえ日本はダメねえ、みたいな。
私は911とそれにつづくアフガン空爆、イラク戦争、自衛隊の派遣を絶望的な気持ちで見ていた。そういうときにこそ何かを発言してくれるはずの地誌雑誌「ナショナルジオグラフィック」が文明の衝突問題に及び腰なのを見て、定期購読をやめた。
その一方で、地道な仕事で、使命を果たそうとした人がいた。若桑みどり、本書の遠藤誉、それからblogやメールメディアで情報を(無料で)発信してくれる女性たち。その仕事を読む事の出来る幸せを今かみしめている。
それにくらべると、男性が書いた本は相変わらず主観と幻想にたよっているものが多いと思う。
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ところで、秋葉原の事件の記事を見るたび、「このことについては町山さんに聞け」と思ってしまう。
EnterJam 町山智浩のアメリカ映画特電
第10回 2006/12/06up『ザ・ワールド・イズ・マイン』
そうそう、AEDについて調べたんですよ。器具の使い方はなんとなくわかった。しかし、新たな心配事が。。。それは、AEDを使用する場合、胸部をはだけるので、特に救助されるのが女性の場合、人目をさえぎらなければならない。やじ馬を遠ざけ、目隠しを設置する係を任命すること。らしいのです。だよな、そうだよな、「あ、そこのあなた!人目を遠ざける係をやって」とテキパキ言えるだろうか?それに誰を選んだらいい?やっぱり腕っぷしの強そうなカリスマ性のありそうな人か?それも女同士じゃないと。。。むずかしいなあ。電車に乗るたびに、この車両の中で任命するとしたらこの人だ、と10秒で決断する訓練をやっとくか。。。アホやな。
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その後の「中国動漫新人類」 〜「中国同人事情----オタク、何やってる?」:NBonline(日経ビジネス オンライン)