生産効率低下委員会解散

とうとうその日はやってきた。5月に宣告されてから8ヶ月、心の準備には十分な月日なはずだったのに、あたしは一体何をやっておったのか?いや子猫のシャミを拾った19年6ヶ月前からいつか来るとわかっていたのに。できることはすべてやったはず。なのになぜ悲しいんだろうか?

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腎不全による尿毒症と感染症で食欲がなくなり、シャミは日々やせ細っていった。小さな炎を燃やし続けようと、お刺身や缶詰を家人がすり鉢ですってムース状にして指につけてなめさせたり、ビタミン剤を処方されたときの注射器(猫に薬を飲ませるためのもので針はない)で栄養剤を口に入れたりもしたが、自然の法則には追いつかなかった。すくった水が指からこぼれて砂に吸われるように、シャミは衰弱していった。

動物病院の先生は家畜も診る先生で、どちらかというと昔気質の腕の良いお医者さん。動物の心をよくわかっている。先生の前で暴れる犬猫を見たことない。「昔は猫は死期が近づくと自ら姿を消したけど、今は養ってもらった恩返しに最後まで飼い主につきあう義務があるんです。」と。

シャミよ、最後までわたしたちにつきあってもらってすまないね。でもシャミは自分のスタイルを通した。アゴでわたしたちを使い倒すという。そしてイヤなものはイヤ!妥協しなかった。最期まで美しい猫だった。先生は「この強情さが長生きの秘訣」とおっしゃっていた。


最期の数日はほとんど眠っていてときどき意識が戻ると水を飲んだ。最期の夜は何度か家人の顔を見て、か細い声で鳴いたそうだ。そして台所にいる私を見ていた。シャミはいつも台所の私を監視していた。元気な頃のシャミを思い出して、今なら食べるかもしれないとおもい、魚の身をすり、口元へ持って行くと、ひとなめだけしてくれた。

夜2時頃ふと目が覚めて枕元に置いたシャミが寝ている籠を見ると、目を覚まして私を見ていた。次に私が目を覚ました4時50分頃、シャミは動かなくなっていた。まだ暖かかった。家人を呼んで起こして二人で呼吸が止まっているのを確認した。

しばらく二人で横たわるシャミをながめて、朝までわれわれも寝ようともう一度眠りについた。夢の中で、いろいろな人が弔問に来てくれた。それが私の知らない人ばかり。私の身近な老婦人の紹介らしいのだが、その老婦人は誰だったのだろう?背が高くて上品な人だった。すでに他界した啓大伯母だったのかもしれない。


9時頃、もう起きて現実と対面しなければならなかった。いつも通りコーヒーを入れて飲んで、シャミの遺影を撮影した。ネットで埋葬について調べて、下寺尾のお寺で火葬と埋葬をしてくれるとわかった。電話すると今日は日曜なので引き取りはできませんが、持ち込みなら受け付けますと。タクシーも考えたがわれわれには亡骸でも、運転手さんには単なる動物の死骸。申し訳ないので家人のビーチクルーザーで運ぶことにした。

段ボールの箱にエアキャップとペットシーツを敷き、保冷剤を起き、フリースで包んだシャミを置き、またエアキャップを四方に詰めて小さな保冷剤を置いた。段ボールのふたを閉めてガムテープで密封するとき、不覚にも涙がこぼれ落ちて呼吸が乱れてしまった。絶対泣かないと決めていたのに。


お寺は新興住宅地を抜けて昔ながらの里山の入り口にあった。向かいは菜の花畑でもう満開だった。受付でお金を払いシャミの入った箱を渡した。受付の人に最期のお別れをしてくださいと言われたが、また封を開けたら閉めるとき号泣しそうで、そのまま帰った。実は箱を包んでいた風呂敷をほどきながら、すでに少し泣いていた。

帰りは周りの風景をながめる余裕があった。空は明るく青く駒寄川にも映っていた。川に沿って小出川との合流地点まで行ってみようと二人で自転車をこいだ。

カメラを持った中学生ぐらいの少年が川をのぞいていた。相模線を越えて小出川との合流地点に出た。オオバン1、コサギ1、カルガモ数羽、そして葦にキラキラと青いカワセミが留まっていた。わたしはシャミの目の色を思い出した。

さっきの少年がやってくるのが見えたので、手招きして、カワセミを指さしてにっこりした。少年はやってきて私の顔を不思議そうに見た。


自宅の近くまできて、自転車のペダルの調子が悪くなり、聞いたことが無い不気味な音を立て始めた。一度帰宅して、お昼を食べて、ママチャリを購入した自転車やさんに行って見てもらった。

ベアリングが摩耗しているが、すでにないメーカーなので部品はない、けどどこかにとっておいたパーツがあるかもと工具箱を探してくれた。左右両ペダルを分解しないと行けないので1時間ぐらいかかりますがと、すまなそうに言われ、その日は預けて歩いて帰ることにした。

歩いていると耳が寒くて、通りすがりのお店でニットの帽子を買った。

家人が今日は料理はしなくていいからお弁当にでもしようと言ってくれていた。雄三通りと鉄砲道の交差点のお弁当屋さんで、お店の若い男の子が丁寧にメニューについて説明してくれた。

今日はなんだかみんなやさしいな。世界中がわたしにやさしい。。。

家に戻って洗面所で手を洗いうがいをし、鏡を見ると酷い顔だった!自分では普通にしているつもりだったが、わたしはずっとずっと泣いていたのだった。


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生産効率低下委員会は解散した。