地震その日

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しばらくblogから遠ざかっていた。が、やはり記録を残すのが大事なので、また書き始めることにした。

原発事故が起きた今、われわれはどう行動すべきか?即避難か?過剰反応か?いろんな人が様々なことを言う。結局、あれこれ予想するより、起こったことから統計をとるしかないのでは?ということは今我々のすべきことは、後世に記録を残すこと。

政府発表のデータや、個人の主張や、いろんな資料を個人で保存しておくことも大事だと思う。その一つとして、ふつうの生活者としての記録も残しておきたい。

地震そのとき

前日小さな地震が2回あって、小さな地震ならまた来るかもぐらいの気持ちはあった。外の防災無線でジャラ〜〜ンジャラ〜〜ンと警報音が鳴り始めると、夫と「きたっやばい!!」と声をかけあったが、とっさに何をしてよいのかわからず。(地震警報は以前の地震の際にも鳴って、聞き覚えがあった。ので、この音=地震と学習していた。そして津波警報と違って意外と正確だという認識もあった)

ガスの元火は消えている。玄関ドアとベランダの引き戸を少し開けて逃げ道確保。家の中のどこにいたらよいかわからず。なんとなくトイレの前の廊下に立っていると、カタカタそしてグラグラ(ふだんならここで終わり)そしてガシャンガシャンと大きな振幅で揺れ始めた。こんなに揺れるのは初めてで、しかもなかなか終わらない。

(今日死ぬんだろうか?どうせなら一気に死にたい。半端に生き残って地獄絵を見るのはいやだな)などと思っていると、夫がしっかり抱いてくれて、(死ぬにしても)かなり安心できた。

安否の確認

揺れが治まってから、大分の実家に携帯電話の番号が変わったことを教えていなかったことを思い出し「教えておかないとしかられる!」とすぐに電話。地震直後だったので、電話はつながり「新しい携帯番号をメモして」と「こっちで地震があったけど大丈夫だから」とだけ言ってすぐに切る。

宮崎の実家には夫が携帯で連絡しようとしたが、softbankは全くつながらず。一応メールも出したが、メールサーバーが機能したのは、かなりたってから。

一方、twitterは全く問題なく使えて、twitterアカウントを持っている都内在住の姪の安否は確認できた。夫がiPhoneにskypeをダウンロードするようtwitterのdで教えて、skype通話もできるようになった。

被害状況の確認

異常はほとんどなし。棚のおもちゃが少し落ちていたぐらい。震源の方向が北で南北方向の揺れ。このマンションは東西方向に長く、南北の揺れに弱い。壁に沿って東西に向かって配置された家具は全く問題なし。南北に向かって置かれた家具からは少し物が落ちていた。または、家具止めが少しゆるんでいた。
台所のレンジのまわりに鍋やお玉などをたくさん掛けてあったのが、揺れている最中ガチャンガチャンとすごい音を立てて怖かったので、きちんと扉が閉まる場所、または引き出しにすべてしまった。

地震後の津波情報

東北地方太平洋側の巨大な津波をテレビで見て、同じクラスのが来るかもとおびえてしまった。よく夢に見る。6階のうちの窓の直下まで波が来る夢(そんな時はトイレに行きたいときなんだけど)。近所の人が避難しに来るかも。鍵は開いているのか?廊下から下を見ると、各部屋の奥さんたちが廊下に出て話している。誰か来て入れて!と言ったらすぐ対応できそう。

江ノ島近辺でものすごく潮が引いているという報告があった。窓の外を見ると、茅ヶ崎漁港は潮位の変化はなさそうだ。日が暮れる頃、港の外を漁船が2、3隻回遊しているのに気がついた。津波から船を守るために沖に出たのか?それ以外の漁船はいつも通り港の中に係留されていた。消防署、消防団が海岸線をパトロールして人を海岸に近づけないようにしていた。134号線も車両通行禁止になり、湘南マラソンの日のように静かになった。結局津波は来たのか?全然わからず。

帰宅難民

地元茅ヶ崎から都心に通勤している人たちは、電車が止まり歩いて帰ることを決心した人もいた。自宅にいる人は、twitterで歩いている人を励ましたり、避難所の情報や、帰宅困難者対策情報などをリツイートしてバックアップ。災害時にiPhoneは役に立つ!と実感。