海と魚と原子力発電所

海と魚と原子力発電所―漁民の海・科学者の海 (人間選書) [単行本] 水口 憲哉 (著)

海と魚と原子力発電所 ー漁民の海・科学者の海ー
水口憲哉 著
農山漁村文化協会(農文協)

一晩寝たら、また変わっていた。わたしはぁテクノクラート派ですなどとよくもしゃあしゃあと言えたもんだ。過去の自分のblogを読むと、わたしが反戦派なのは、戦争を体験した祖母に幼少時言い含められたからであり、憲法9条を支持するのは、小学生の時かわいがってくれた担任の先生の影響だ。

合理性や経済性を使って他人を説得する作業は割とうまくできると思う。けどその前に、すでにどの方向に論を導くか、腹の底は決まっている。その動機は、幼少期にそう教えられたからだ。つまり自分が感じる「まっとうさ」に操られている。それは言葉にできない。

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祖母は明治の家父長制と戦争に振り回され傷ついた経験から、権威と贅沢を嫌い、どんな境遇の人にも平等に接しやさしかった。

「道で摘んだ花は、人の勝手な気まぐれで連れてこられたのだから、せめて命つきるまで毎日お水をかえてお世話するのよ」

「まあ、毛虫がこわいなんて、小さな小さな生き物じゃないの。これに一体何ができようか。鉄砲撃ったり爆弾落としたりする人間のほうがずうっと怖いよ」

「人を一度でも裏切ったら、信用というものは取り戻せないよ。そりゃそのときは許されるよ、けど同じ事が起きたとき、あのときああだったから今度もまた。。。と思われてしまうものなのさ」

「男と女の仲とは不思議でね、あるときは皮と骨がなかったら溶けてくっついてしまいたいとまで思うときもある、けどまたあるときは相手がものすごくいやになって顔も見たくない時もある。ずっと同じって事はない。いつも心は揺れ動くものだよ。」

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小学校の担任の先生は特攻の出撃予定日の数日前に終戦し、先に死んだ級友の霊とともに生きていた。

「先生がいなくなっても、きみたちが自分で勉強しつづけられるよう、方法を考えて教えておきたい。」

「きみたちがおおきくなるころ、一家に一台コンピューターがあるだろう」(当時コンピューターはタンスより大きかった。障子を外して縁側から入れるんだろうか?と思っていた)

「きみたちがおおきくなるころ、よのなかに情報があふれて、そのなかからほんとうのこと、役に立つことをえらぶちからが大事になるよ」

「本や教科書に書いてあるからといって、そのまま信じてはいけないよ」

私は小学生の頃まったく作文というものが書けなかった。先生はどんな子でも作文を書ける方法があると教えてくれた。カードに思いついたことを書き、順番を考えて並べ変えればひとつのお話になる、というものだった。学生になって、梅棹忠夫の本を読んで、これだったんだ、先生もこの本を読んでいた!と感動した。

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そんな小さないろいろなエピソードがセットになったものが、自分にとっての良識・譲れない線となって体内に存在する。反戦や9条だけをこのセットからピンセットでつまみ出す事はできない。強固な固まりだから機能しているのであって、解体してしまったら、自分が自分でなくなる。

そしてもっと深く思い返すと、その人たちが自分を理解しかわいがってくれたという、センチメンタルな思い出がある。アタタタ。

子どもの頃の体験は自己完結していて、大人になってから他人とシェアするのは無理だ。

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このごろ、ラジオやテレビやネットで、いろんな人がいろんな事を言う。そのとき話の途中で、「個人的には」と頭につけるひとには何かうさんくささを感じる。だって、ということは、それまで雄弁に語っていた、個人的な考え以外のことは、ウソのタテマエなのか?ということになる。

高木仁三郎の著書の中にあった言葉、「わが国は」で始まる論文に注意、そういう言い回しは、個人の良心による責任を回避することにつながる、というのが忘れられない。