若桑先生、お久しぶりです。また芸術と世界観の有限性についての話題に巡り会いました。この話題について考えるときは、先生が後ろに立っていてくださる気がします。(わたしは単なる一読者。先生とお会いしたこともお話ししたこともありませんが。)
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実用的リスト(有限)と詩的リスト
「終わりなき」増加への嗜好。
ポール・ヴァレリーの博物館批判、その3「その貪欲さが重苦しい」(博物館組織は私的コレクションから生まれ、私的コレクションは略奪から、戦争の戦利品から生まれたという理由による。)
ジョゼフ・コーネル、アルマン、ダニエル・ハーストらの作品は聖遺物の世俗版。使い古しのもの、ほこりまみれのものに対する同一の嗜好。狂気じみた集積に対する嗜好をあらわしている。
・城壁で囲まれ、広場を中心に持つ古代都市=フォルムの都市
・ロサンンジェルス(メインストリートから無限に拡大可能)=リストの都市
「リストの都市」は「開かれた迷路」のような様相を帯びる。
古典時代と中世の全般を通じて、リストはほぼ「一時しのぎ、応急策」であり、その下に常に、可能な秩序のアウトラインが、フォルムを与えたいという欲求が、透けて見える。変わって、近代世界になると、リストは「奇形」への趣味から構築される。バロック時代は、驚異的なものに対する趣味に導かれ、あらゆる分類がリストへ。中世の偉大な「大全」によって認められた世界秩序に最初の打撃を与えるためにリストは使われた。
マスメディアの視覚リストのテクニック
セクシーな美女の無尽蔵な連なり。世界の秩序に疑いを投げかけることを意図していない。反対に、その目的は繰り返し言うこと。あらゆるものが利用可能な豊富と消費の宇宙は、秩序だった社会の唯一のモデルを表現していると
マルクス資本論より
「資本主義者の生産モードが浸透する諸社会の富は、それ自体が商品の莫大な集積として現れる」・店のショーウインドウ・見本市・パサージュ